中華民国の国旗

ウィキペディアから無料の百科事典

中華民国の国旗
中華民国の旗
用途及び属性 市民・政府陸上、市民・政府・軍隊海上?
縦横比 2:3
制定日 1928年12月17日95年 + 209日)
使用色
  •   
  •   
  •   
根拠法令 中華民国憲法
中華民国国徽国旗法
テンプレートを表示
海軍旗章の掲揚方法

中華民国国旗(ちゅうかみんこくのこっき)は、地の中心に太陽がある意匠(青天白日)がカントンに配された地の旗であり、青天白日満地紅旗(せいてんはくじつまんちこうき、: 青天白日滿地紅旗)と呼ばれる[1]

1912年民国元年)の建国当初は五色旗中国語版が国旗として使用されていたが、1928年(民国17年)に国民政府北伐を終えて中国を統一した後、「中華民国国徽国旗法」が制定されて青天白日満地紅旗が国旗となった[1][2][3]1947年(民国36年)に施行された「中華民国憲法」の第6条でも「中華民国の国旗は、紅地の左方上角に青天白日をしるしたものと定める」と定義されている[4]

中華民国海軍軍旗も、国旗と同じく青天白日満地紅旗である[2]

構成

掲揚される国旗

意匠

青・白・赤の3色は国父孫文が提唱した三民主義自由・平等・博愛を表し、青には「明るくまっすぐで気高く偉大な中華民族の性格と志」、白には「正直さ・公正さ・潔白さ」、赤には「革命で流された鮮血」という意味も含まれている[1][3]。太陽の12条の光芒は十二時辰や十二支を表して永遠を象徴するとともに、国民の進取の精神を表している[1][3]

1949年(民国38年)10月10日中華民国国慶日(双十節)に中国国民党総裁蔣介石[注 1]が発表した「中華民国三十八年国慶紀念告全国軍民同胞書」の文中では、「我らが中国の領土に青天白日満地紅旗が立っている限り、それは黄帝の子孫にとっての自由と独立の象徴となるだろう」と説明されている[6]

規定

中華民国国徽国旗法」には、国旗の規格に関して下記のような規定が存在する[7]

第4条
  1. 旗の縦横比は3対2である。
  2. 青天は長方形で、その面積は旗全体の4分の1を占める。
  3. 長方形の青天の中央には国章と同一の、12条の光芒を持つ白日がある。
  4. 白日の半径と青色の長方形の水平比は1対8である。
  5. 青天と白日の光芒の位置と縮尺は、中華民国国章の規定に準ずる。

中華民国国章の規定は、同法の第3条に記載されている。

第3条
  1. 青地の円形の中心が白日本体の中心である。
  2. 白日本体の半径と青地の円形の半径の比率は1対3である。
  3. 白日本体の中心から光芒の頂点までの長さはと白日本体の半径は2対1である。
  4. 白日本体と12条の光芒の間の青地の幅は、白日の直径の15分の1に等しい。
  5. 各光芒の頂角はそれぞれ30度で、12条分を合計すると360度となる。
  6. 光芒の上下左右の方向は北南西東の方向に揃えられ、それ以外は等間隔に配される。
名称 法定尺度(センチメートル)および用法 制式
一号国旗 24 × 16(卓上に置かれる小国旗)
二号国旗 36 × 24(内政部は自動車オートバイの前に掲げることを推奨している)
三号国旗 48 × 32(慶事を祝う時に牌楼に使用される)
四号国旗 72 × 48(陸橋交通島で使用される)
五号国旗 96 × 64
六号国旗 144 × 96(「国徽国旗法」に基づいて屋外で使用される)
七号国旗 180 × 120(「国旗覆蓋霊柩実施要點」に基づいて葬儀で使用される)
八号国旗 240 × 160(講堂や議場で使用される)
九号国旗 288 × 192(講堂や議場で使用される)
十号国旗 360 × 240(講堂や議場で使用される)

憲法と「中華民国国徽国旗法」には国旗に用いる標準色の規定が存在しないが、内政部は参考として下記の配色を挙げている[8]

表現法
CMYK 100-80-0-20 0-0-0-0 0-100-100-5~10

使用

マナー

  • 中華民国を侮辱する意図で中華民国国章・国旗を公然の場で損壊・撤去・汚辱した者は、1年以下の懲役または9,000新台湾ドル以下の罰金刑に処される(刑法第160条)。
  • 国旗が正式に掲揚・降下される時は全員起立・国歌斉唱・敬礼を行わなければならない(中華民国国徽国旗法第11条)。
  • 国旗が掲揚・降下される時、国民はその場で起立して注目しなければならない。緊急車両を除く車両はその場で停止しなければならない(中華民国国徽国旗法第12条)。

屋外

軒先に掲揚される国旗(福建省金門県金沙鎮
  • 国旗の旗竿は白色で、先端に金色の冠頭を付ける(中華民国国徽国旗法第5条)。
  • 国旗を玄関前に掲揚する時は、左上を向くように掲げる。2枚の国旗を用いる場合は、戸の上に交差させて掲げるか、戸の両側に並列して掲げる(中華民国国徽国旗法第7条)。
  • 屋外に国旗を掲揚する時間は、日の出から日没までの間である(中華民国国徽国旗法第8条)。
  • 政府機関・学校・団体・軍隊は適当な場所に旗竿を立て、国旗を毎日掲揚・降下する(中華民国国徽国旗法第10条)。
  • 雨天時は、国旗を掲揚しなければならない特別な場合を除いては国旗を降ろす。雨が止んだら再び掲揚する。(中華民国国徽国旗法第13条)。
国旗を掲揚する時(「紀念日及節日実施弁法」第2-5条に基づく)
時期 説明
1月1日 中華民国開国紀念日中国語版
2月28日 和平記念日中国語版半旗
3月12日 国父逝世紀念日中国語版
3月14日 反侵略日中国語版
3月29日 革命先烈紀念日中国語版
旧暦4月8日 仏陀誕辰紀念日
7月15日 解厳紀念日
9月28日 孔子誕辰紀念日中国語版
10月10日 中華民国国慶日
10月24日 連合国日
11月12日 国父誕辰紀念日中国語版
12月25日 行憲紀念日中国語版
「紀念日及節日実施弁法」第3条の規定により、上記の全ての紀念日に全国で国旗を掲揚する。
外国の元首の訪問時 外交儀礼や慣例に基づき、外国の元首が訪問する場所では歓迎を示すために国旗が掲揚される。
国葬の挙行日 国葬法」第6条の規定により、国葬の挙行日には全国で半旗が掲揚される。
烈士入祀日 忠烈祠祀弁法」第21条の規定により、烈士(英霊)が合祀される日には現地の機関・団体・学校・企業は半旗を掲揚する。

屋内

  • 政府機関・学校・軍隊は、講堂および議場の正面中央に掲げられた国父遺像(孫文の肖像画)の上に国旗を掲揚する(中華民国国徽国旗法第6条)。

海上

一般船舶

  • 在外公館海軍艦隊・船舶の国旗の掲揚・降下は、本法の規定および国際慣例に従って行われる(中華民国国徽国旗法第15条)。
  • 船舶は、入港時から出港時まで中華民国国旗または船籍国の国旗を掲揚する(中華民国国徽国旗法第20条)。
  • 中華民国以外の船舶は中華民国国旗を掲揚することができない。ただし、別に法律に規定がある場合、または次のいずれかに該当する場合はこの限りではない(船舶法第6条):
    • 1.中華民国国慶日または紀念日。
    • 2.その他祝意または敬意を表すべきである場合。
  • 中華民国の船舶は中華民国国旗以外の旗を掲揚することができない。ただし、別に法律に規定がある場合、または次のいずれかに該当する場合はこの限りではない(船舶法第7条):
    • 1.停泊する国の国家の日あるいは記念日。
    • 2.その他祝意または敬意を表すべきである場合。

軍艦

  • 軍艦は停泊中、午前8時から日没までの間、国旗(海軍旗)を艦尾に、艦首旗艦首に掲揚し、同時に掲揚・降下する。2隻以上の軍艦が同一の港に停泊している場合、旗の掲揚・降下の時刻は、上官が駐在する軍艦の時刻に従うものとする(陸海空軍軍旗条例細則[9]第31条)。
  • 軍艦は航行中、国旗(海軍旗)をメインマストに掲揚する(陸海空軍軍旗条例第34条)。

半旗

トランスアジア航空222便着陸失敗事故高雄ガス爆発事故による犠牲者の追悼のため半旗が掲揚されている総統府
  • 現職の総統および副総統が死去した場合、半旗を掲揚する(国旗下半旗実施弁法[10]第2条)。
  • 和平紀念日には半旗を掲揚する(国旗下半旗実施弁法第3条)。
  • 下記の人物が死去した場合、総統の決定を経て半旗を掲揚する(国旗下半旗実施弁法第4条):
    • 1.国家に特別な功労がある者、または偉大な貢献をした者。
    • 2.世界平和または人類の進歩に多大な貢献をした者。
    • 3.友好国の現職の元首。
  • 自然災害または人為災害により多数の死傷者が出た場合、災害の種類に応じ、災害防救業務の主管機関の要請を受けた行政院の決定を経て半旗を掲揚する。ただし、国際災害や事件の場合は外交部が行政院に要請する(国旗下半旗実施弁法第5条)。
  • 半旗を掲揚する時は、国旗をポールの一番上まで揚げた後、ポールの半分の高さまで降ろす。旗を降ろす時は、ポールの頂上まで揚げた後に降ろす(国旗下半旗実施弁法第8条)。
  • 国旗を半旗で掲揚する時、国旗と並べて掲揚する旗の高さは国旗より高い位置にあってはならない(国旗下半旗実施弁法第9条)。

半旗が掲揚された例

  • 国葬の挙行日
年月日 出来事 備考
1965年3月5日 陳誠(副総統)の死去
1975年4月5日 蔣介石(総統)の死去
1988年1月13日 蔣経国(総統)の死去
1993年12月24日 厳家淦(元総統)の死去
2001年4月8日 謝東閔(元副総統)の死去
2020年1月14日 2020年新北市ヘリコプター墜落事故による犠牲者の葬儀 国葬に準ずる扱い
2020年7月31日から3日間 李登輝(元総統)の死去[11]
2020年10月7日 李登輝の遺骨の埋葬式[12] 国葬に準ずる扱い
  • 重要貢献者の死去または事件
年月日 出来事 備考
1975年3月26日 ファイサルサウジアラビア国王)の死去 外交関係がある国の元首
1989年6月17日 六四天安門事件の追悼
2003年10月28日 宋美齢(元第一夫人)の死去
2005年4月3日4日 ヨハネ・パウロ2世ローマ教皇)の死去 外交関係がある国の元首
2022年7月11日 安倍晋三日本国内閣総理大臣)の死去[13]
  • 災害・事故の追悼
年月日 出来事 備考
1999年9月23日から3日間 921大地震による犠牲者の追悼
2001年9月 九一七水災アメリカ同時多発テロ事件による犠牲者の追悼
2009年8月22日から3日間 八八水害による犠牲者の追悼
2014年8月5日から3日間 トランスアジア航空222便着陸失敗事故高雄ガス爆発事故による犠牲者の追悼
2015年2月10日 トランスアジア航空235便墜落事故による犠牲者の追悼
2016年2月15日 台湾南部地震による犠牲者の追悼
2018年2月21日 花蓮地震による犠牲者の追悼
2021年4月3日から3日間 北廻線太魯閣号脱線事故による犠牲者の追悼
2021年10月22日 高雄ビル火災による犠牲者の追悼
  • 地方・機関単位での半旗掲揚
年月日 地方・機関 出来事 備考
1996年11月22日から1ヶ月間 桃園県 劉邦友県長)が暗殺された
1998年7月31日 高雄市議会 林滴娟中国語版(議員)が中国大陸で殺害された
2006年11月6日から3日間 宜蘭県 陳定南中国語版(前県長)の死去
2018年10月31日 台東県 宜蘭線普悠瑪号脱線事故による犠牲者の追悼
2020年1月2日から3日間 中華民国国軍 2020年新北市ヘリコプター墜落事故による犠牲者の追悼
2020年6月7日 高雄市議会 許崑源中国語版(議長)の死去

歴史

青天白日旗

青天白日旗

1893年、孫文らと共に革命運動に参加していた陸皓東青天白日旗をデザインした[1][2][14][15]。2年後の1895年、孫文が設立した興中会広東省広州府(現:広州市)で武装蜂起を行うことを計画し、陸皓東は青天白日旗を軍旗とすることを提案した[1][2][16]。しかし、蜂起に失敗したため旗は実際には使用されず、陸皓東は逮捕・処刑された[16][17]

1900年、興中会の鄭士良恵州蜂起中国語版を起こし、青天白日旗が初めて軍旗として使用された[2][18]

国旗の選定

1906年、孫文率いる中国同盟会は中華民国の国旗の形式に関する会議を開いた[1][2][19]。孫文は、犠牲となった陸皓東をはじめとする興中会の烈士を称えるため、青天白日旗を国旗に採用するよう主張した[1][2][14][19]。しかし、黄興は「青天白日旗は単調で地味であり、日本の国旗に類似している」としてこれに反対した[1][14][15]。これを受け、孫文は青天白日旗に赤色を追加することを閃いた[1][20]廖仲愷と黄興は平均地権を表す井字旗中国語版の採用を支持していた[1][2][21]。他にも五族共和を表す五色旗中国語版や内地十八省を表す十八星旗が提案されたが、議論が紛糾したために国旗の決定には至らなかった[1][19][21]

「青天白日旗に赤色を追加する」という孫文のアイデアを基に、中国同盟会南洋分会副会長の張永福中国語版の妻である陳淑字は4種類の旗を作成した[1][20]。孫文は草案4(青天白日満地紅旗)を気に入り、これを中華民国の国旗とすることを主張し続けた[1]

陳淑字が作成した旗

国旗案として挙げられた旗

中華民国の建国

中華民国粤省軍政府中国語版が発行した通用銀票
陳炯明・青天白日旗・青天白日満地紅旗が描かれている。
孫文と五色旗が描かれた月份牌(カレンダー)

1911年辛亥革命が勃発し、翌1912年(民国元年)1月1日中華民国臨時政府南京に樹立された。各省都督府代表連合会中国語版は国旗を制定する会議を開いたが、各省の革命軍がそれぞれ異なった旗を用いていたために紛糾した。湖北湖南江西では共進会の十八星旗が、江蘇浙江安徽では五色旗が、広東広西福建雲南貴州では青天白日旗や青天白日満地紅旗が用いられた[1][15][21][20]。広東省の陳炯明は恵州での挙兵時に井字旗を用いたが、広州粤省軍政府中国語版に合流してからは使用しなくなった[15][21][20]1月10日、五色旗を中華民国の国旗に、十八星旗を陸軍旗に、青天白日満地紅旗を海軍旗に制定することが最終的に議決された[1][22][23]1月12日臨時大総統の孫文は「の海軍旗と同一のデザインである」「五色は五族()を表すとされているが、その五色の配置に上下関係が存在するのは不平等である」として五色旗が国旗にふさわしくないと考えたため直ちに公布しようとせず、臨時参議院の設置後に国民投票を実施して決定しようとした[1][22][24]。しかし、マスメディアが決議の結果を公表したため、国民は五色旗を国旗として使用するようになった[1]

孫文に代わって袁世凱が臨時大総統に就任した後の5月10日、臨時参議院は以前の決議に従って五色旗を国旗に制定することを決議した[1][20]6月8日、五色旗を国旗に、十九星旗[注 2]を陸軍旗に、青天白日満地紅旗を海軍旗に、井字旗を元帥旗・副元帥旗に制定する法律が公布された[15][23][25][26]

臨時政府北洋政府期に使用された旗

青天白日満地紅旗

第二次世界大戦における連合国のポスター
中央に青天白日満地紅旗が見える。

1921年(民国10年)5月5日、孫文は非常大総統中国語版に就任して広州に中華民国政府を樹立し、青天白日満地紅旗を国旗および軍旗に定めた[1][2][15][20]。ただしこの時点では京都(現:北京市)に依然として北洋政府が存在しており、五色旗が中華民国の国旗として広く認知されていた。

1924年(民国13年)6月30日中国国民党中央執行委員会は青天白日旗を党旗に、青天白日満地紅旗を国旗にすることを議決した[27]10月26日に出版された『中国国民党周刊』に掲載された「国旗釈義」という記事には「五族を象徴するものでしかなく、民国を象徴していない」「民族主義の一部のみを表現しているに過ぎず、民権主義・民生主義を表せていない」と五色旗を批判する一方で「光復だけでなく、国民精神の発揚において非常に重要である自強の意味も含まれている」「太陽は全ての人間の平等を象徴している」として青天白日満地紅旗こそが国旗にふさわしいとする内容が記された[28]

孫文死後の1925年(民国14年)7月1日、国民党は広州に国民政府を樹立し、青天白日満地紅旗が国旗に定められた。

1928年(民国17年)6月、北洋政府が崩壊し、国民政府による北伐が完了した[2][3]12月17日、「中華民國国徽国旗法」が施行され、青天白日満地紅旗が中華民国の正式な国旗となった[2][3]

1945年(民国34年)10月25日第二次世界大戦の終結に伴って日本領台湾が中華民国に編入されて台湾省となり、台湾でも青天白日満地紅旗が掲揚されるようになった。

1947年(民国26年)12月25日、「中華民国憲法」が施行され、第6条では「中華民国の国旗は、紅地の左方上角に青天白日をしるしたものと定める」と規定された[4]

第二次国共内戦末期の1949年(民国38年)9月27日北平で開催された中国人民政治協商会議第1回全体会議中国語版で、中華人民共和国の国旗を五星紅旗とすることが議決された[29][30]10月1日に中華人民共和国が建国され、12月に中華民国政府台湾へ撤退した[31]

両岸分断以降の使用状況

中国大陸(中華人民共和国)

広州の中国国民党第一次全国代表大会旧址中国語版に掲げられている青天白日旗・青天白日満地紅旗・孫文の肖像画

中華人民共和国は中華民国が1949年に滅亡したとみなし、自らが中華民国を継承する国家であると主張している[32][33]。このため中国大陸において青天白日満地紅旗は歴史上の存在として扱われ、南京中国近代史遺址博物館中山陵中国人民抗日戦争紀念館といった中華民国史日中戦争に関連する施設や映画などでしか見ることができない。国務院台湾事務弁公室2002年に制定、2016年に改訂したガイドラインである「関于正確使用渉台宣伝用語的意見」の第1条では、「1949年10月1日以降の台湾地区の政権に対して『中華民国』という用語を使用してはならず、『台湾当局』『台湾方面』などと呼ばなけらばならない」「中華民国の紀念法紋章を使用してはならない」などと規定されている[34]。中国大陸で青天白日満地紅旗が映っている映像などが放映される際は、モザイク処理などで隠されるのが一般的である[35][36][37]

中国大陸のウォルマートで掲示されている青天白日満地紅旗

両岸の交流が活発になるに伴い、台湾製商品であることを表すための記号として、青天白日満地紅旗が中国大陸の商店などで使用される例がみられるようになった[38]

2012年8月15日、中国大陸・香港マカオ保釣運動家7人が尖閣諸島魚釣島に上陸して五星紅旗と青天白日満地紅旗を掲げ、沖縄県警察に逮捕される事件(香港活動家尖閣諸島上陸事件)が発生した[35][39][40]。この事件は中国大陸でも報道されたが、報道写真に写っていた青天白日満地紅旗は加工されて赤く塗りつぶされた[35]

香港

香港調景嶺中学中国語版で掲揚される青天白日満地紅旗(1995年)
2019年の双十節に街中で掲揚される青天白日満地紅旗

中華民国が大陸を統治していた時期の間、香港は一貫してイギリスの統治下にあった。1950年にはイギリスが中華人民共和国と国交を樹立し、1997年に中華人民共和国に香港を返還したため、中華民国は現在に至るまで香港を統治したことが一度もない[41]。しかし、中華人民共和国を支持しない住民によって青天白日満地紅旗を掲揚されることがある[42]

中華民国政府の台湾撤退後、香港には国民党関係者の難民が大量に流入した[42]。彼らは毎年10月10日の中華民国国慶日(双十節)に青天白日滿地紅旗を掲揚していたが、1956年の双十節には掲げられていた青天白日満地紅旗が当局職員によって剥がされ、これに怒った住民らが暴動を起こした(双十暴動[42]

1997年の香港返還後、香港特別行政区政府は青天白日満地紅旗の掲揚を明確に禁止はしなかったものの、「公共の空間を占拠している」という名目で青天白日満地紅旗を撤去することがあった[43]

2019年3月、逃亡犯条例改正案反対するデモが発生した。同年の双十節には香港の各地で青天白日満地紅旗が掲揚され、反共を訴える標語が掲示された[44][45]

2020年に「香港国家安全維持法」が施行されてからは、双十節を祝うイベントの実施ができなくなり、孫文を記念する施設である中山公園中国語版に掲揚されていた青天白日満地紅旗は撤去された[46][47]

マカオ

マカオも中華民国の統治下にあったことがないが、こちらでも香港と同様に青天白日満地紅旗が掲げられていた。しかし、1966年に共産党支持者が暴動(一二・三事件)を起こすと、マカオにおけるポルトガルの権威は失墜した[48]中国人民解放軍の恫喝を受けてマカオ政庁は中華人民共和国の要求を受け入れざるを得ず、1967年1月2日、マカオにおける中華人民共和国と敵対する活動が禁止された[48]。マカオの親中華民国団体は解散させられ、青天白日満地紅旗の掲揚も禁止された[48]

国際的な使用

横浜中華街で掲揚される青天白日満地紅旗
2016年リオデジャネイロオリンピック選手団への旗授与式で中華オリンピック委員会中国語版会旗を振る蔡英文総統

1971年国際連合総会決議2758(アルバニア決議)によって国連における中国の代表権が中華民国から中華人民共和国に移り、これに抗議した中華民国は国連から脱退した[49]

国連脱退以降、日本やアメリカ合衆国を始めとする多くの国々は中華人民共和国の国交を樹立し、相対的に中華民国は国際的に孤立することになった[50]。各国とは断交後も非公式な実務関係を維持しているが、正式な国交がないために公式な場で国旗を掲揚することができない[51]。しかし、世界各地の華僑コミュニティでは現在でも使用されている[52][53][54]

両岸分断後、中国には台湾の中国オリンピック委員会中国語版[注 3]と大陸の中国オリンピック委員会の2つの国内オリンピック委員会(NOC)が並立する状態となった。1954年ギリシャアテネで行われた国際オリンピック委員会(IOC)年次総会で双方の「中国オリンピック委員会(: Chinese Olympic Committee)」が承認されたが、「二つの中国」が並立することに反対した大陸側の中国オリンピック委員会は1958年にIOCを脱退した[56]。中華民国が国連を脱退した後の1979年、日本の名古屋で開かれたIOC執行委員会にて、台湾側の中華オリンピック委員会が「チャイニーズ・タイペイオリンピック委員会中国語版: Chinese Taipei Olympic Committee)」の名称、中華民国の国旗・国歌とは異なる、IOCに承認された旗・歌を使用して残留することを条件に、大陸側の中国オリンピック委員会をIOCに復帰させることが議決された(名古屋決議)[56][57]1981年3月23日スイスローザンヌのIOC本部にて、中華オリンピック委員会とIOCと間でローザンヌ協定中国語版が締結され、名称・旗・歌の変更が合意された[56]。以降、オリンピックなどの国際競技大会の場では、中華民国は中華オリンピック委員会の会旗(梅花旗中国語版)と会歌[注 4]を使用するようになった[58][59]

中華民国のフラッグ・キャリアであるチャイナエアラインはかつて機体の垂直尾翼に青天白日満地紅旗が描かれていたが、香港返還が間近に迫る1995年、香港乗り入れを盾に中国共産党から圧力を受け、中華民国の国花であるに変更された[60]

2014年ベトナム反中デモが発生した。一部の暴徒化した民衆は漢字が掲げられた企業を無差別に襲撃し、台湾企業も被害を受けた[61][62]。これを受け、2018年にベトナム政府は、中国企業と台湾企業を区別することを目的に、ベトナム国内の台湾企業が青天白日満地紅旗を掲揚することを許可した[62]

2017年カンボジア首相フン・センは、カンボジア国内での青天白日満地紅旗の掲揚を禁止することを宣言した[63]

国旗から派生した旗

脚注

注釈

  1. ^ 1949年1月に蔣介石は中華民国総統を辞任し、翌1950年3月に復職した[5]
  2. ^ 十八星旗の中央に星を1つ追加した旗[25]
  3. ^ 1973年以降の国内での名称は「中華オリンピック委員会(: 中華奧林匹克委員會)」[55]
  4. ^ 中華民国国旗歌」の歌詞を変更したもの[58]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 中華民國” (中国語). 旗海圖幟. 2024年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月11日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 我國海軍旗簡史” (中国語). 中華民國海軍. 2024年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月4日閲覧。
  3. ^ a b c d e 國旗、國歌、國花” (中国語). 行政院. 2022年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月3日閲覧。
  4. ^ a b 第一章 総則”. 台北駐日経済文化代表処. 2024年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月2日閲覧。
  5. ^ 第1~5任 蔣總統中正先生” (中国語). 中華民國總統府. 2024年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月20日閲覧。
  6. ^ 中華民國三十八年國慶紀念告全國軍民同胞書” (中国語). 中正文教基金會. 2024年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月3日閲覧。
  7. ^ 中華民國國徽國旗法” (中国語). 全國法規資料庫. 法務部. 2024年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月4日閲覧。
  8. ^ 國旗大哉問” (中国語). 國旗懸掛禮儀網. 內政部. 2024年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月2日閲覧。
  9. ^ 陸海空軍軍旗條例施行細則” (中国語). 全國法規資料庫. 法務部. 2024年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月7日閲覧。
  10. ^ 國旗下半旗實施辦法” (中国語). 全國法規資料庫. 法務部. 2024年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月7日閲覧。
  11. ^ 台北賓館李登輝追悼献花場、8/1-8/16一般開放”. 台湾国際放送 (2020年7月31日). 2024年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月8日閲覧。
  12. ^ 李登輝・元総統、9/19追悼告別ミサ、10/7安置の儀式”. 台湾国際放送 (2020年8月21日). 2024年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月8日閲覧。
  13. ^ すべての政府機関と公立学校で半旗、安倍元首相の死を悼む”. Taiwan Today (2022年7月11日). 2024年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月8日閲覧。
  14. ^ a b c 吹浦忠正 (2018年2月28日). “さまざまな国旗が登場した中国大陸”. 世界の国旗・国歌研究協会. 2024年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月9日閲覧。
  15. ^ a b c d e f 首選珍藏 : 國旗的故事~國民政府檔案中有關國旗之史料” (中国語). 典藏台灣. 中央研究院. 2024年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月10日閲覧。
  16. ^ a b 陸皓東” (中国語). Biographical Dictionary of Chinese Christianity. 2024年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月9日閲覧。
  17. ^ 共産革命のために犠牲となった第一人―陸皓東”. 孙中山故居纪念馆. 2024年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月9日閲覧。
  18. ^ 王・張 2016, p. 8.
  19. ^ a b c 陈昌福. “一面旗帜 一个历史进程” (中国語). 上海致公. 2020年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月9日閲覧。
  20. ^ a b c d e f 柏楊 (2004年7月15日). “青天白日 國民黨收回去” (中国語). 大紀元. 2024年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月9日閲覧。
  21. ^ a b c d 考古 (2017年8月10日). “井字旗—历史上致公党的党旗(1925年10月—1950年4月)” (中国語). 捜狐. 2024年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月9日閲覧。
  22. ^ a b 王・張 2016, p. 10.
  23. ^ a b 欧 2015, p. 16.
  24. ^ 孫中山 (1912年1月12日). “咨覆參議會論國旗文” (中国語). 中山學術資料庫. 國立國父紀念館. 2024年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月10日閲覧。
  25. ^ a b 張文亮 (2023年6月14日). “鐵血十八星旗的意涵” (中国語). 武昌首義同志會. 2024年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月10日閲覧。
  26. ^ 林健煉 (2023年6月14日). “一面國旗藍綠各自看場合揮舞:415年來9面在台灣悲愴飄盪的主權旗!” (中国語). 信傳媒. 2024年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月29日閲覧。
  27. ^ 歷史上的今天(6月30日)” (中国語). 大紀元 (2011年6月30日). 2024年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月10日閲覧。
  28. ^ 黄 2017, p. 195.
  29. ^ 中国人民政治协商会议” (中国語). 中国人民政治协商会议全国委员会 (2011年5月11日). 2024年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月11日閲覧。
  30. ^ 《第二部分 中华人民共和国国旗的诞生》第三单元 国旗的确定” (中国語). 中国人民政治协商会议广州市委员会 (2021年10月25日). 2024年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月11日閲覧。
  31. ^ 行政院第二六五九次院會決議” (中国語). 行政院 (1999年12月9日). 2024年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月11日閲覧。
  32. ^ 1からわかる!台湾(1)台湾と中国の関係は?”. NHK (2023年5月17日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  33. ^ 村上太輝夫 (2024年4月17日). “「中華民国」は言い間違い? 北京訪問にこだわった馬英九氏の悲劇”. 朝日新聞社. 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  34. ^ 媒体人注意!39条涉台宣传用语,一定要用语精准!” (中国語). 中央广播电视总台 (2022年8月4日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  35. ^ a b c 陸媒移花接木 青天白日國旗從釣魚台島上消失” (中国語). ETtoday新聞雲 (2012年8月16日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  36. ^ 中華民国国旗にモザイク 「ナショジオは契約違反」=台北市政府”. 中央通訊社 (2017年11月18日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  37. ^ 郭台銘造訪白宮,戴中華民國國旗帽見特朗普” (中国語). RFI (2019年5月2日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  38. ^ 大陸超市發現中華民國國旗”. 2016年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月26日閲覧。
  39. ^ <尖閣問題>青天白日満地紅旗を勝手に持ち込んだ活動家、台湾政府は対応に苦慮―SP華字紙”. Record China (2012年8月18日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  40. ^ 尖閣諸島・魚釣島に中国人7人が上陸、沖縄県警が逮捕”. 朝日新聞社 (2012年8月18日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  41. ^ 三宅 2007, pp. 174, 176.
  42. ^ a b c 千原靖弘 (2020年4月5日). “香港の経済発展と社会の分裂”. ドクターズゲート. 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  43. ^ 香港移交後之爭議事件” (中国語). 2011年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月11日閲覧。
  44. ^ 庆祝“双十节”的香港人:支持“反送中”示威“对中共的不服从”” (中国語). BBC (2019年10月10日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  45. ^ 港人同慶!「青天白日滿地紅」出現香港街頭 民眾揚言國旗插遍香江” (中国語). 自由時報 (2019年10月10日). 2019年10月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  46. ^ 千原靖弘 (2021年9月15日). “香港での双十節イベントは中止”. 香港ポスト. 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  47. ^ 雙十節:紀念辛亥革命的青天白日旗會不會在香港絶跡” (中国語). BBC (2021年10月9日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  48. ^ a b c 千原靖弘 (2023年1月5日). “香港の経済発展と社会の分裂”. ドクターズゲート. 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  49. ^ 国連の台湾追放決議を「中国が悪用」 米重鎮議員が声明”. 産業経済新聞社 (2021年10月27日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  50. ^ 台湾をめぐる東アジア情勢”. 東京大学 (2023年9月22日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  51. ^ 雙橡園升旗 AIT:不要再發生” (中国語). 自由時報 (2015年1月9日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  52. ^ SOの聖火リレーに青天白日満地紅”. 台湾国際放送 (2015年7月20日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  53. ^ 国際的な舞台のFIAモータースポーツ・ゲームズに中華民国の国旗”. Taiwan Today (2019年11月8日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  54. ^ 謝長廷・駐日代表が横浜中華街2023年双十国慶節祝賀パレードに参加”. 台北駐日経済文化代表処 (2023年10月11日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  55. ^ 中華奧會(五):中華全國體育協進會【臺北時期】”. 中華民國志 (2021年11月15日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  56. ^ a b c 「中華台北」會籍名稱使用事略” (中国語). 國家政策研究基金會 (2001年11月2日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  57. ^ 台湾の五輪出場、なぜチャイニーズタイペイの名称なのか”. CNN (2021年7月28日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  58. ^ a b 富哥 (2018年8月24日). “你也許不知道,中華奧會會歌的歌詞並非國旗歌歌詞!”. CNN. 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  59. ^ 洛桑協議及奧會模式”. 中華奧林匹克委員會. 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  60. ^ 華航尾翼「國旗變梅花」!消失原因曝光 網嘆:正名唯一解”. 三立新聞台 (2020年4月16日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  61. ^ ベトナム反中デモ、台湾企業も被害”. ワイズコンサルティング (2014年5月14日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  62. ^ a b 越南防“误砸”允许台商悬挂中华民国国旗” (中国語). 美国之音 (2018年7月28日). 2018年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  63. ^ Hun Sen Bans Taiwan Flag from Cambodia” (英語). 美国之音 (2017年2月6日). 2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。

参考文献

  • 王曉華, 張慶軍 (2016) (中国語). 1901-1949中華民國之謎 (修訂版). 臺北: 靈活文化. ISBN 9789865721138 
  • 歐陽晧 (2015) (中国語). 青天白日旗飄揚:中華民國軍旗沿革. 臺北: 銘閎實業. ISBN 9789869245005 
  • 黃興濤 (2017) (中国語). 重塑中华:近代中国“中华民族”观念研究. 香港: 三聯書店. ISBN 9789620438202 
  • 三宅康之「中国の「国交樹立外交」、1949~1957年」『紀要. 地域研究・国際学編』第39号、愛知県立大学外国語学部、2007年、169-197頁、CRID 1390853649552400896 

関連項目