修羅の伝説

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修羅の伝説
監督 和泉聖治
脚本 黒田義之
原作 勝目梓「掟の伝説」(徳間書店刊)
製作 俊藤浩滋
製作総指揮 岡田裕介
出演者 小林旭
音楽 ニック・ウッド
主題歌 小林旭「雪散華」
撮影 佐々木原保志
編集 福田憲二
制作会社 東映
製作会社 東映東京撮影所
配給 東映
公開 1992年1月15日
上映時間 110分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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修羅の伝説』(しゅらのでんせつ)は、1992年日本映画。主演:小林旭、監督:和泉聖治、製作:東映

ストーリー

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とある地方都市・砂泊に小さなシマを持つ笠部組の若頭・大滝(小林旭)は、仁義に厚い昔気質の極道。彼は弱小の組を守るために死力を尽くし、妻や子を優しく見守り、異郷のフィリピン娘・友子に暖かい愛をささげていた。そんなある日、正体不明の鉄砲玉(本田博太郎)に笠部組長(三木のり平)が襲われる。そんな状況を陰で見守るマル暴の刑事・桐野(平幹二朗)。大滝と桐野は立場こそ全く違ったが、妙に気の合う友情で結ばれていた。桐野の情報でその襲撃を仕掛けたのが関西系の小田一家だと知る大滝。その裏に潜む政界絡みの巨大な陰謀を突き止めた彼は全面戦争をも辞さないと腹に決める。笠部組と小田一家(室田日出男)の戦争がいよいよ暗雲の兆しを見せ始めたころ、ムショ暮らしを了えた本堂(陣内孝則)が大滝の前に顔を見せた。そして、小田一家相手に暴れ回る本堂。ところがそんな折、笠部組長が東京のホテルで撃たれ死亡。更に警察の謀略により小田一家のヒットマンたちが笠部組事務所を襲撃、仲間たちの殆どが殺されてしまう。復讐の鬼と化した大滝は、たったひとりで小田一家に殴り込みをかけるのだが・・・。

キャスト

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スタッフ

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製作

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プロデューサーの俊藤浩滋が、勝目梓原作の『掟の伝説』を元に自腹でVシネマにしようと脚本を作ったら、社長の岡田茂が読んで「面白い、一般映画で撮ってくれ」と指示し製作された[1]。また数年間、大作映画が作られていなかった東映東京撮影所での撮影も合わせて頼まれた。俊藤が『南へ走れ、海の道を!』(1986年)を観て、監督に和泉聖治を起用。主演には『制覇』(1982年)以来、10年ぶりの映画出演となる小林旭がキャスティングされた。本社営業部は「小林ではお客がこない」と難色を示した[1]。小林は岡田と俊藤に東映本社社長室に呼ばれ、「ヤクザ映画をやりたいんだけど、何かいいタイトルないか?」と聞かれ、「『修羅の伝説』なんてどうですか?」と小林が答えたら、岡田が「ああ、いいねえ!」と言い、俊藤も「ええなあ!」と同調し、タイトルが決まった、と話している[2]

キネマ旬報』1993年2月下旬号は、本作の興行成績を惨敗と特記しているが[3]、岡田から「旭は財産やから、来年の企画を何か考えろ」と指示があり、翌1993年『民暴の帝王』が製作された[1]

ソフト状況

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東映ビデオより1992年8月14日、ビデオ発売[4]。110分、価格16480円[4]LD、1992年8月25日発売。価格4800円[4]

出典

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  1. ^ a b c 俊藤浩滋山根貞男『任侠映画伝』講談社、1999年、275-279頁。ISBN 4-06-209594-7 
  2. ^ 伊藤彰彦「第十五章 義は時代も国境も超える 孤高のヒーロー・小林旭インタビュー」『仁義なきヤクザ映画史』文藝春秋、2023年、251-274頁。ISBN 978-4163917351 
  3. ^ 「1992年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『キネマ旬報1993年平成5年)2月下旬号、キネマ旬報社、1993年、148頁。 
  4. ^ a b c 修羅の伝説 | 東映ビデオオフィシャルサイト”. 東映ビデオ株式会社 (2016年3月1日). 2021年12月11日閲覧。

外部リンク

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