吉武秀人
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吉武 秀人 | |
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生誕 | 1894年4月8日 日本 山口県 |
死没 | 1986年7月14日(92歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1915年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
吉武 秀人(よしたけ ひでと、1894年(明治27年)4月8日[1] - 1986年(昭和61年)7月14日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1894年(明治27年)に山口県で生まれた[1]。陸軍士官学校第27期卒業[1]。1939年(昭和14年)8月1日、陸軍歩兵大佐進級と同時に歩兵第229連隊長(南支那方面軍・第38師団・第38歩兵団)に着任[1][2]。日中戦争に出動し、広東に駐屯した[1]。1941年(昭和16年)4月に第24師団参謀長(第5軍[3][4])に転じ[2]、東安に位置した[4]。1942年(昭和17年)2月に留守第6師団参謀長(西部軍[5][6])に就任し[2]、1943年(昭和18年)6月10日に同留守師団を基に編制された第46師団参謀長(西部軍[6])に転じ[2]、同年10月29日に留守第6師団参謀長(西部軍[7][8])に就任した[2]。
1944年(昭和19年)7月14日に歩兵第87旅団長(北支那方面軍・第12軍・第117師団)に就任して中国戦線に復帰し[1]、8月1日に陸軍少将に進級した[2]。1945年(昭和20年)3月31日に北支那方面軍司令部附となり[9]、4月15日に第13独立警備隊司令官に転じ[1]、鄧城に駐屯して終戦を迎えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[10]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 福川 2001, 795頁.
- ^ a b c d e f 外山 1981, 381頁.
- ^ 外山・森松 1987, 711頁.
- ^ a b 外山・森松 1987, 712頁.
- ^ 外山・森松 1987, 739頁.
- ^ a b 外山・森松 1987, 740頁.
- ^ 外山・森松 1987, 1033頁.
- ^ 外山・森松 1987, 1035頁.
- ^ 「第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」194頁。
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。