威烈王

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威烈王
第32代王
王朝
在位期間 前425年 - 402年
都城 成周
姓・諱 姫午
生年 不詳
没年 前402年
考王

威烈王(いれつおう、生年不詳 - 紀元前402年、在位:紀元前425年 - 紀元前402年)は、王朝第32代の王。考王の子。弟は姫班(鞏叔、の君主)。姫驕(安王)の父。

紀元前403年大夫韓虔趙籍魏斯をそれぞれ韓侯、趙侯、魏侯に封じ、三家分晋と称される冊封を行った。三家分晋は春秋時代の終息であり、戦国時代へと本格的に突入することとなった。

この年を以って『資治通鑑』の記載が開始されている。