木内均
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木内 均 きうち ひとし | |
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生年月日 | 1964年8月3日(60歳) |
出生地 | 日本 長野県佐久市 |
出身校 | 法政大学法学部政治学科 |
所属政党 | (無所属→) 自由民主党(二階派) |
称号 | 法学士 (法政大学・1988年) |
選挙区 | 比例北陸信越ブロック(長野3区) |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2012年12月16日 - 2017年9月28日 |
選挙区 | 佐久市・北佐久郡選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2003年 - 2011年 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1993年 - 2000年 |
木内 均(きうち ひとし、1964年8月3日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、長野県議会議員(2期)、佐久市議会議員(2期)を務めた。
経歴
[編集]長野県佐久市生まれ。長野県野沢北高等学校を経て、法政大学法学部政治学科入学。在学中は、内田健三のゼミに所属[1]。在学中に野田佳彦(当時は千葉県議会議員)の選挙を手伝ったことで本格的に政治家を目指すようになり[2]、1988年3月に法政大卒業後、同年4月、松下政経塾に入塾[3]。1993年2月、卒塾(第9期生)[3]。
1993年4月の佐久市議会議員選挙で初当選。2000年、2期目の途中で辞職。2001年4月、佐久市長選挙に出馬したが、落選。同年5月から7月まで参議院議員・小山峰男の選挙スタッフを務める[4]。2002年1月から12月まで社団法人佐久青年会議所青少年教育改革委員長を務め、『佐久っ子道場』を主宰する。
2003年4月、長野県議会議員選挙で初当選。2011年4月、2期目の途中で辞職。衆議院議員を目指して政治活動を始める。2012年12月の第46回衆議院議員総選挙で長野3区に自由民主党から神道政治連盟の後援を得て出馬。民主党の寺島義幸に敗れるも、比例北陸信越ブロックで復活して初当選[5]。2014年12月の第47回衆議院議員総選挙で長野3区から出馬し、維新の党の井出庸生に敗れるも、比例北陸信越ブロックで復活して再選。
2017年10月の第48回衆議院議員総選挙では井出に敗れ、比例復活も果たせず落選した[6]。
主張
[編集]所属していた団体・議員連盟
[編集]脚注
[編集]- ^ 地域から日本を変える 1995年9月 全国にいる仲間を武器に
- ^ “<候補者どんな人> 3区 長野”. 中日新聞. (2017年10月14日) 2023年6月30日閲覧。
- ^ a b 議員一覧|松下政経塾
- ^ 小山峰男氏の叙勲祝賀会開かれる!
- ^ 木内均:長野3区
- ^ “県内小選挙区 自民2、希望2、無所属1 自民は1議席減”. 信濃毎日新聞. (2017年10月23日) 2017年10月25日閲覧。
- ^ 2014年衆院選 毎日新聞候補者アンケート
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
- ^ [1]
- ^ a b 俵義文 『日本会議の全貌』 花伝社、2016年