楳図かずお

ウィキペディアから無料の百科事典

楳図 かずお
2010年 台北国際書展にて
2010年 台北国際書展にて
生誕 1936年9月3日あるいは9月25日
日本の旗 日本和歌山県伊都郡高野町
死没 2024年10月28日(2024-10-28)(88歳没)
国籍 日本
職業 漫画家タレント
活動期間 1955年 - 2024年
ジャンル ホラー漫画SF漫画など
代表作漂流教室
まことちゃん
わたしは真悟
14歳
受賞
テンプレートを表示

楳図 かずお(うめず かずお、1936年昭和11年〉9月3日[1][2] あるいは9月25日[3] - 2024年令和6年〉10月28日[4][5])は、日本漫画家タレント作詞家作曲家血液型O型。本名は楳図 一雄(読み同じ)。初期には山路 一雄ウメヅ カズヲの名義による作品もある。

和歌山県伊都郡高野町で生まれ、奈良県五條市に育つ。1955年に貸本漫画家としてデビュー、『週刊少年サンデー』などに作品を発表。代表作に『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』など。作品は恐怖ものからSFギャグもの、時代劇まで、少年もの、少女もの、青年ものを問わず幅広いが、一般にはホラー漫画の第一人者として知られる。

1995年以降、腱鞘炎などといった理由で漫画は休筆し、1990年代後半からはタレント活動を精力的に行っていた。東京都武蔵野市吉祥寺南町に住居兼オフィスを構えた。

来歴

[編集]

生い立ち

[編集]

1936年9月3日[1][2] あるいは9月25日[3]和歌山県伊都郡高野町に生まれる。高野町で生まれたのは、出産の便宜のため。

本籍地奈良県五條市だが、父方は一族全部が教員という家系であり、父・公雄も小学校教員をしていたため、幼少期は奈良県の山間部の僻村を転々とした。父は囲碁が好きで囲碁大会に奈良県代表としてしばしば出場するなど、高島忠夫の父とは囲碁友達だった[6]。楳図家の祖先については、(かずおの)曽祖父より前の世代の親族が奈良県外から来たらしいということしか分かっていない[7]

幼少時代

[編集]

3歳から6歳までは奈良県宇陀郡曽爾村で過ごし、父から地元の伝説民話を聞かされて育つ。6歳からは五條市に住し、東京に出る27歳(1963年)までそこで過ごす。五條市に隣接する和歌山県橋本市は、楳図青年の散歩コースでもあり、橋本市の広報誌に4コママンガ『オテンバ日記』を載せたり(1956年)、橋本駅前に『まことちゃん』の像が建てられたり(2002年)と縁がある。

1947年、小学5年生の時、手塚治虫の『新宝島』を読み、漫画家になることを決意する。初めは手塚を模倣して描いていたが、プロを意識しはじめた中学生時代に手塚調を廃し、初山滋武井武雄など童画家の影響による作風で漫画を描きはじめ、神戸の「改漫クラブ」、青森の「少年少女漫画ルーム」など複数の同人サークルで積極的に活動する。

中学時代は『漫画少年』にたびたび投稿していたがなかなか採用されず、往復マンガが一度載ったのを最後に同誌への投稿をやめ、『譚海』や『漫画と読物』などに作品を発表していた[8]奈良県立五條高等学校在学中は、音楽美術以外に好きな学科は全くなく、授業中には漫画を描いていた[9]

漫画家デビュー

[編集]

1955年五條高校卒業。親の言いつけで奈良学芸大学(現・奈良教育大学)を受験したものの失敗[10]。同年、『森の兄妹』(6月刊。山路一雄名義)、『別世界』(9月刊。共にトモブック社)でプロデビュー。前者は「改漫クラブ」の文通相手だった水谷武子との共作で『ヘンゼルとグレーテル』の漫画化、後者は太古の地球に舞台を取った壮大な叙事詩SF作品。以後、貸本漫画を多く発表し人気作家となる。

1961年、貸本短編誌『虹』29号に発表した『口が耳までさける時』において「恐怖マンガ」という言葉を作った。1963年8月、同じ大阪貸本漫画家の先輩である佐藤まさあきに誘われ上京。池袋にある佐藤の事務所に居候として3年間住む。以後、目白、高田馬場を経て、吉祥寺(現在)に住す。

このころ本格的に俳優を志し、年齢を下に詐称して劇団ひまわりの青年部に入り、『兵隊やくざ』(大映1965年)や太田博之の映画やNHKの朝の連続ドラマに出演したこともあるが、劇団の上層部の人間から宗教への入信を勧められたのに嫌気が差し退団した[11]。また、当時俳優志望だった久保新二と同居して毎晩ひとつの布団で寝ていたこともある[12]。ただし久保によると「といっても、乳くり合ってたワケじゃないぞ。オレはもちろん、その頃からナヨナヨして奇抜な服着てた楳図もホモじゃねえから」という[12]

漂流教室・まことちゃんの大ヒット

[編集]

1966年講談社の少女漫画誌『週刊少女フレンド』に連載した『ねこ目の少女』『へび女英語版』等がヒットし、恐怖マンガ家として全国的に知られるようになる。この後、『週刊少年マガジン』(講談社)、『週刊少年キング』(少年画報社)等などでは少年向けのSF作品、『猫目小僧』など恐怖ものを連載。最も多忙な時期で月刊誌・週刊誌あわせて5本の連載作品を持っていた。

1971年、主たる作品発表の場を、『週刊少年サンデー』(小学館)にしぼる。1975年、『漂流教室』ほか一連の作品で第20回小学館漫画賞受賞。同年、自作自演のLP『闇のアルバム』(CBSソニー)を発表。また、この後、ギャグ作品『まことちゃん』の連載とあいまって、バンド活動を展開する。作詞家として、郷ひろみ近田春夫楽曲の作詞を手がけたこともある。

1982年、『わたしは真悟』を小学館『ビッグコミックスピリッツ』に連載開始。これに伴い、主たる作品発表の場を同誌に移す。

休筆

[編集]

1995年に完結した『14歳』以後、漫画は休筆[注釈 1]。理由には、長年の執筆による腱鞘炎が悪化したことの他、『14歳』連載時、小学館の新任編集者にゲンコツの絵を持って来られ、「手はこう描くんですよ」と言われるなど精神的に憔悴したことが挙げられる[13]。小学館との関係は、その後、かつてスピリッツでの担当編集者であった江上英樹が編集長である『月刊IKKI』等が代表作を復刻刊行する等にとどまっている。

休筆以降は、テレビ・雑誌等でタレント活動を行い、その明るくサービス精神にあふれたキャラクターを元気一杯に披露した。20代前半の頃より好んで着ている赤白のボーダー柄の服がトレードマークである。2005年の映画『楳図かずお恐怖劇場』シリーズの公開に伴い、絶版作品の復刻も相まって、若い女性ファンを中心に現在もファンを増やし続けている。

映画監督としての活躍

[編集]

2014年9月17日公開の長編ホラー映画『マザー』は、楳図初の監督作品となる。脚本も楳図で出演もしている。自叙伝の出版が決まった楳図と編集者の周辺に怪奇現象が続出するが、亡き母の怨念がそこにあったことを知るというストーリーで、片岡愛之助が楳図を演じる。母親役の真行寺君枝、編集者役に舞羽美海なども出演[14]

映画の完成披露会見では、前年の2013年に転倒して頭部を打ったことから慢性硬膜下血腫で8月と9月の2回にわたり手術を受け、右頭部で190cc、左頭部で250ccの血を抜き、その直後に撮影をしたことなどを明らかにした[15]

晩年

[編集]

2018年1月、『わたしは真悟』が、フランス・アングレームで開催された第45回アングレーム国際漫画フェスティバルにて遺産部門(LA SELECTION patrimoine)に選ばれた[16]

2019年文化庁長官表彰[17]

2021年8月、公式サイトにおいて、1995年の『14歳』以来26年ぶりとなる新作漫画を発表することを告知[18][19]

2022年1月から楳図かずお大美術展を開催[18]

2023年、第27回手塚治虫文化賞特別賞を受賞[20]

胃がんにより死去

[編集]

2024年7月に自宅で倒れて搬送され、末期の胃がんを罹患している事が判明。手術は行わず、同年9月からは都内のホスピス終末期医療を受けていた。同年8月には、自らの著作権を一括管理する「一般財団法人UMEZZ」を設立していた[21]

その後も病床で新作構想なども模索していたが、10月に入り体力が低下し、同年10月28日15時40分、死去した。88歳没。生涯独身だった。訃報は同年11月5日に明らかになった[22]。葬儀は関係者のみで行われ、遺影は「グワシ!」のポーズで撮影されたものが使用され、棺にはトレードマークの赤と白のボーダーシャツと赤いキャップ姿で納められたという[21]

影響

[編集]
  • クリエーターや芸能人にも数多くのフォロワーが存在する。
    • 小説家綾辻行人は、「我が心の師」として仰いでいる[23]
    • タレント中川翔子は楳図の漫画を読んでいた父中川勝彦から薦められて幼少期から楳図の漫画を読んでおり、思春期には楳図の絵を写経のように模写していた。芸名の「翔」の字は漂流教室の主人公「高松翔」から取られた。デビュー当時には「楳図タッチの絵を描く謎のアイドル」と紹介されたこともある。
    • 映画監督の塚本晋也は"人生最高の本"の一冊に楳図の『漂流教室』を挙げている。『わたしは真悟』は塚本の『鉄男』に影響を与えているという[24]
    • シンガーソングライターのルルティア2005年公開の映画『楳図かずお恐怖劇場』の音楽を担当し、そのサウンドトラックアルバム『楳図かずお恐怖劇場 ルルティア・トラックス』を発表した。同じくシンガーソングライターの柴田淳2008年公開の映画『おろち』の主題歌「愛をする人」を担当した。
    • 特殊漫画家山野一は「あっち側まで突き抜けちゃった人しか知りえない世界や収拾不可能とも思えるモチーフを、みごとに構成構築し、説得力ある完成度の高い作品に仕上げている。そんなお方が時には、マーク・ボランばりのパンタロンスーツで『まことちゃん』を描いたりもするのだから、もうほとんど人間の域を越えている」として「天才とキチガイは紙一重」という言葉が最も相応しい作家と評した[25]。また山野は「身も心もボロボロになって、ようやく最後のページを閉じたとき、聡明な少女は気付くだろう。その作品がかくも自分を魅きつけたのは、その世界が実はずっと昔から自分の中にあり、自覚されずにいたものだからということを」とも語っている。
  • コメディ・ギャグ要素を含む漫画やアニメにおいて、恐怖に戦慄する登場人物の表情が、突然その作品本来の絵柄から逸脱して楳図調のタッチになってしまうというパロディは非常に広範に用いられ、また漫画そのものがネタにされることもあり、『ドラえもん』の『主役はめこみ機』のエピソードではまことちゃんの顔が野比のび太に変わるという設定が使われた。

エピソード

[編集]
  • 徹底的なオリジナル追求志向であり、他作品から影響を受けることを恐れて漫画や映画、アニメ、小説などには一切触れないという。また、オリジナリティをものにするには、まだ誰も手を付けていない未知の分野を積極的に開拓する姿勢が大切であるとも述べている[26]
  • 映画「漂流教室」(大林宣彦監督)は、テーマやストーリーが大きく改変され、苦言を呈した。
  • アメリカの文化にも大きな影響を受けている。エルヴィス・プレスリー(音楽活動)、マリリン・モンロー(わたしは真悟)アメリカ(14歳) など。
  • 赤と白のボーダーシャツ(ロヂャースにて購入)を好む。また赤と白のボーダーラインが自分のラッキーカラーであると語っている。なぜ赤と白のボーダーラインが好きかについては、海賊の着ている服のイメージからだと答えており、そのイメージの源泉は子供の頃に読んだ手塚治虫の『新宝島』から得たと答えている。また漫画家の他になりたい職業は?という問いにも「やっぱり海賊」と答えた。
  • 2007年吉祥寺の自宅(まことちゃんハウス)を改築した際、外壁に赤と白のボーダーラインを入れた点について、近隣住民2人から「景観を損ねる」として建設差し止め仮処分申請に発展した。東京地裁は、10月12日に以下の理由で住民側の請求を却下。
    • 「本件建物周辺には外壁が青色の建物,黒色の建物,薄紫色の建物など様々な色彩の建物が存在し、本件地域内の建物外壁の色彩が統一されているわけではないことに照らせば、本件建物の外壁部分が周囲の景観の調和を乱すものとまでは認め難い」[27]
    • 「本件建物外壁部分は……原告らの目に常に触れるものとはいえないこと、本件建物は……法令に違反していないこと、本件地域には建物の色彩について法規制はなく、住民間で……建築協定等も存せず、実際にも……周辺には多様な色彩の建物が複数存在し、建物外壁の色彩が統一されているわけでないこと等の事情を併せ考慮すると、本件建物外壁……が……原告らの私生活の平穏ないし平穏生活権を受忍限度を超えて侵害するものということはできない」[27]
  • その後、原告側から塗装中止を求める訴訟も起こされたが、建物が完成したことに伴い、外壁を撤去するまで毎月10万円の損害賠償を請求する訴訟に変更されたものの、東京地裁は2009年1月28日に「周囲の目を引くが、景観の調和を乱すとまでは認められない」として請求を棄却した。
  • 「まことちゃんハウス」の室内は壁の色が部屋により変えられており、緑の玄関ホール、白のリビング、黄色の寝室、青の書庫、赤の屋根裏部屋などがある。別荘にも赤と白のボーダーラインを入れている。また、吉祥寺以前に居住していた高尾の家の外壁は真黄色であった。
  • 閉所恐怖症気味で、生来の自動車嫌いである(それゆえに一度も自動車免許を取得していない)。電車は利用するが、ほとんど徒歩で都内を移動する。
  • 7つ年下の弟である楳図良雄は広告代理店大広の社員で、担当したアニメ「アンデス少年ペペロの冒険」の主題歌の作詞を兄に頼んでいる。

受賞歴

[編集]

主要作品

[編集]

連載作品

[編集]

読み切り

[編集]

本人歌唱作品

[編集]
シングル
  • ビチグソロック(1977年、「まことちゃん」B面曲)
  • グワシ!!まことちゃん/ギャングの母(1977年、「KAZZ(楳図の変名)、フィーリング・フリー」名義)
  • サンバ・デ・まことちゃん/パパ&ママROCK(1980年、「楳図かずお&スーパー・ポリス」名義)
  • 木村の兄さん(1996年、UMEZZ名義)
  • あしゅらの道のまん中で/猫目小僧(2006年5月23日、映画『猫目小僧』主題歌。「浅草ジンタ with 楳図かずお」名義)
  • まことちゃん音頭(2010年12月22日)
  • 新宿烏(2011年7月27日、映画『おろち』劇中歌のセルフカバー)
アルバム
  • 闇のアルバム(1975年7月21日、SOLL-152)
  • 闇のアルバム(2005年6月29日、ソニー・ミュージック MHCL-542)
    1975年発売の『闇のアルバム』に未発表音源を追加してCD化。
  • 闇のアルバム・2(2011年8月31日)
その他

作詞提供作品

[編集]

作品の映像化

[編集]

アニメ化作品

[編集]
  • まことちゃん
  • おろち(漫画ビデオ)
  • 楳図かずおの呪い
    • 第1話「ビデオカメラに何が映ったか?」
    • 第2話「幽霊屋敷」

映画化作品

[編集]

監督映画作品

[編集]

テレビドラマ化作品

[編集]

オリジナルビデオ作品

[編集]
  • 楳図かずおのギャル10アイランド(脚本、監督、主演)-メーカー ボックスランド
  • うばわれた心臓(1985年、監督:早川光 日本初のオリジナルビデオ作品)原作は高校生シリーズ「恐怖」の1エピソード。

舞台化作品

[編集]

出演

[編集]

映画

[編集]

ドラマ

[編集]

ラジオ

[編集]

CM

[編集]

[編集]

ほか多数

美術展

[編集]
  • 楳図かずお大美術展(2022年1月28日 - 3月25日、東京シティビュー TOKYO CITY VIEW(六本木ヒルズ)、9月17日 - 11月20日、あべのハルカス美術館)[18][36]

アシスタント

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 新作以外では未完のままになっていた貸本時代の漫画『ガモラ』の末尾部分を復刻版のために執筆(1997年)。
  2. ^ 週刊少年サンデー1978年9月10日号の企画で、太田の他にピンクレディー榊原郁恵渡辺真知子に感謝状が贈られた。

出典

[編集]
  1. ^ a b 楳図かずお映画.com. 2020年8月26日閲覧。
  2. ^ a b 楳図かずお楽天ブックス。2020年8月26日閲覧。
  3. ^ a b 楳図かずお『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社コトバンク。2020年8月25日閲覧。
  4. ^ 日本放送協会 (2024年11月5日). “漫画家の楳図かずおさん死去 88歳 | NHK”. NHK NEWS WEB. 2024年11月5日閲覧。
  5. ^ 楳図かずおさん死去 88歳 『まことちゃん』“グワシ”は社会現象に”. アニメ&ゲーム by ORICON NEWS. oricon ME (2024年11月5日). 2024年11月5日閲覧。
  6. ^ 『恐怖への招待』 1988, p. 24.
  7. ^ 『アニメック』Vol.21のインタビューp.89
  8. ^ 『恐怖への招待』 1988, p. 135.
  9. ^ 『恐怖への招待』 1988, pp. 136–137.
  10. ^ 『恐怖への招待』 1988, p. 144.
  11. ^ 『恐怖への招待』 1988, p. 157.
  12. ^ a b ““ポルノの帝王”久保新二氏が語る楳図かずお氏との共同生活”. 日刊ゲンダイDIGITAL (日刊現代). (2014年12月14日). https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/155718 2015年8月6日閲覧。 
  13. ^ 「(語る 人生の贈りもの)楳図かずお:13 くたびれた、未練なく休筆」『朝日新聞』朝日新聞社、2022年10月13日、朝刊。2022年10月13日閲覧。
    "(語る 人生の贈りもの)楳図かずお:13 くたびれた、未練なく休筆". 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 2022年10月13日. 2022年10月13日閲覧
    “「14歳」連載中の出来事ですが、新人の担当編集者が仕事場に入ってくるなり、「手はこうやって描くんですよ」と、(中略)、その瞬間、この作品を最後にして、もう漫画を描くのはやめようと思ったんです。”
  14. ^ Yahoo!映画「マザー 」(2014) 監督 楳図かずお”. 2014年9月19日閲覧。
  15. ^ “楳図かずお:1年前に慢性硬膜下血腫で頭部手術2回 初監督映画会見で明かす”. MANTANWEB (MANTAN). (2014年9月18日). https://mantan-web.jp/article/20140918dog00m200107000c.html 2022年5月22日閲覧。 
  16. ^ 楳図かずお「わたしは真悟」、アングレーム国際漫画祭で遺産部門に入賞 コミックナタリー(2018年1月29日), 2018年1月31日閲覧。
  17. ^ 平成30年度文化庁長官表彰名簿” (PDF). 文化庁. p. 6. 2019年3月18日閲覧。
  18. ^ a b c 楳図かずおからのお知らせ”. 楳図かずお大美術展. 2021年11月25日閲覧。
  19. ^ 「まことちゃん」楳図かずお氏、26年ぶり新作「制作に4年かかりました」”. 日刊スポーツ (2021年8月28日). 2021年8月28日閲覧。
  20. ^ 第27回手塚治虫文化賞、マンガ大賞は入江喜和氏『ゆりあ先生の赤い糸』 特別賞に楳図かずお氏”. ORICON NEWS. oricon ME (2023年4月25日). 2023年4月25日閲覧。
  21. ^ a b “楳図かずおさん、ホスピスで「量子コンピューターに負けない」と新作構想…最期もドリンク剤”. 讀賣新聞オンライン (読売新聞東京本社). (2024年11月5日). https://www.yomiuri.co.jp/culture/subcul/20241105-OYT1T50066/ 2024年11月5日閲覧。 
  22. ^ 漫画家・楳図かずおさんが胃がんで死去、88歳…「まことちゃん」で「グワシ!」社会現象”. 讀賣新聞オンライン. 読売新聞東京本社 (2024年11月5日). 2024年11月5日閲覧。
  23. ^ @ayatsujiyukitoの2024年11月05日16時49分のツイート2024年11月5日閲覧。
  24. ^ “映画監督・塚本晋也さんが選ぶ人生最高の10冊 物語の中で描かれる「リアリティ」を見つめ続けて”. 現代ビジネス+ (講談社). (2016年1月31日). https://gendai.media/articles/premium01print/47549?page=2&skin=premium01print 2021年11月25日閲覧。 
  25. ^ 山野一「楳図かずおはゾクゾク毒電波だ」『図書新聞』2249号(1995年6月10日号)
  26. ^ 【第20回】小明の「大人よ、教えて!」"逆"人生相談 楳図かずおさんの至言「世界を相手にやっている人は、友達作っちゃうと危ない!」(後編)”. 日刊サイゾー. サイゾー (2011年1月3日). 2011年8月12日閲覧。
  27. ^ a b 判例タイムズ1290号185頁以下。
  28. ^ “楳図かずお氏の『わたしは真悟』がイタリアのマンガ賞を受賞!”. SHOGAKUKAN COMIC (小学館). (2021年1月5日). https://shogakukan-comic.jp/news/28524 2023年4月24日閲覧。 
  29. ^ a b c ハロウィン少女コミック館
  30. ^ 女性セブン』(1973年)
  31. ^ 楳図かずお27年ぶりの新作をいち早く公開!付録は、“楳図がつくった”特製リーフレット。』(プレスリリース)新潮社、2022年1月25日https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000447.000047877.html2022年1月25日閲覧 
  32. ^ まことちゃん”. トムス・エンタテインメント 公式サイト. トムス・エンタテインメント. 2024年5月10日閲覧。
  33. ^ マザー”. 映画.com. エイガ・ドット・コム. 2024年11月6日閲覧。
  34. ^ Yahoo!映画「マザー 」(2014) 監督 楳図かずお”. 2014年9月19日閲覧。
  35. ^ 映像化・舞台化作品 舞台「マダム鶴子の優雅な正月」”. 萩尾望都作品目録. 2022年2月20日閲覧。
  36. ^ "楳図かずおさんが27年ぶりの新作『ZOKU-SHINGO』に込めた思い 今の漫画界を「商業主義」と苦言も". 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊現代. 27 March 2022. 2022年3月27日閲覧
  37. ^ 「デビュー当時、編集の紹介で1か月くらい(アシスタントではなく)手伝いをした」『ぱふ』の特集より

参考文献

[編集]
  • 楳図かずお『恐怖への招待 - 世界の神秘と交信するホラー・オデッセイ』河出書房新社〈COMIC PASS〉、1988年6月。ISBN 978-4-3097-1171-3 
    • 楳図かずお『恐怖への招待 - 世界の神秘と交信するホラー・オデッセイ』河出書房新社〈河出文庫 う 6-1〉、1996年6月。ISBN 978-4-3094-7302-4  - 上記の文庫判

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]