谷口呉朗
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谷口 呉朗 | |
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生誕 | 1888年9月18日 日本 滋賀県 |
死没 | 1945年12月21日(57歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1943年 1943年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
谷口 呉朗(たにぐち ごろう、1888年(明治21年)9月18日[1] - 1945年(昭和20年)12月21日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴
[編集]1888年(明治21年)に滋賀県で生まれた[1]。陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第34期卒業[1]。1927年(昭和2年)5月に陸軍歩兵少佐に進級し[3]、1931年(昭和6年)8月、陸軍歩兵中佐に進級と同時に歩兵第9連隊附となり[3]、第三高等学校に配属された[3]。1935年(昭和10年)8月に歩兵第5連隊附に転じ[4]、1936年(昭和11年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に第4師団司令部附となり[2]、高野山大学に配属された[2]。
1939年(昭和14年)5月19日に陸軍少将進級と同時に北支那方面軍司令部附となり[2]、7月12日に復員した第109師団の残置人員を基に河北省邯鄲で編制された独立混成第1旅団(北支那方面軍)[1][5]の旅団長に9月1日に就任し[1]、京漢線沿線の警備に任じた[1]。1941年(昭和16年)3月1日に留守第6師団司令部附となり[1]、12月1日に大本営直轄である第4歩兵団長(第4師団)に就任した[1]。1943年(昭和18年)3月1日に待命[2]、3月31日に予備役に編入された[1]。同年8月2日に召集され第12野戦輸送司令官(関東軍・第4軍)に就任し[1]、黒河省孫呉に駐屯[6]。山神府[6]、北安省北安の順に移駐し[6]、6月21日に第17方面軍隷下に編入された[6]。7月4日に北安を出発し[6]、7月7日に全州に到着し終戦を迎えた[6]。10月3日に釜山港を出発し[6]、翌10月4日に舞鶴港に到着し復員を完結した[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 藤井非三四 著『知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史』国書刊行会、2020年。ISBN 4336065977。