木曽川町黒田
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木曽川町黒田 | |
---|---|
木曽川駅 駅舎 | |
座標 (一宮市立黒田小学校):北緯35度20分43秒 東経136度46分52秒 / 北緯35.34528度 東経136.78111度座標: 北緯35度20分43秒 東経136度46分52秒 / 北緯35.34528度 東経136.78111度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 一宮市 |
面積 | |
• 合計 | 3.31 km2 |
人口 | |
• 合計 | 13,697人 |
• 密度 | 4,100人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | 493-0001[3] |
市外局番 | 0586(一宮MA)[4] |
ナンバープレート | 一宮 |
木曽川町黒田(きそがわちょうくろだ)は愛知県一宮市の大字。木曽川町黒田と木曽川町黒田一〜十二ノ通りがあり、木曽川町の市街地である。
中世には交通の要衝として栄え、黒田宿(くろだのしゅく)と呼ばれる鎌倉街道(中世東海道)の宿場であった。戦国時代には黒田城が築かれており、山内一豊は当地の生まれとされる。
地理
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小字
[編集]「明治十五年愛知県郡町村字名調」による黒田村の小字は以下の通りである[5]。デジタル庁が公開する「アドレス・ベース・レジストリ」の町字マスターに収録されていない字は括弧書きとした[6]。また、「明治十五年愛知県郡町村字名調」と「アドレス・ベース・レジストリ」で表記が異なる場合、「明治十五年愛知県郡町村字名調」の表記を括弧書きとした。
- 東出口
- 中沼北ノ切
- (北栁原)
- 宝光寺東
- 往還南
- 西沼南ノ切
- 中出口
- 古城
- 三反物
- 中沼南ノ切
- 南八ツケ池
- 城西
- 酉新田東ノ切
- 城東
- 西沼北ノ切
- 北八ツケ池
- 酉新田中ノ切
- 往還東
- 西八ツケ池南ノ切
- 西町北
- 中針口北ノ切
- (往還南西ノ切)
- 西八ツケ池北ノ切
- 西町南
- 東針口
- 勘治西
- 南新開
- 奥屋敷
- 中針口南ノ切
- 蔵ノ浦
- 北新開
- 下市場南
- 尾崎
- 川北
- 割田浦
- 高田
- (東江西南ノ切)
- 勘宗山
- 南青木
- (南栁原)
- 西出口
- 松山東南ノ切
- 北青木
- 地蔵東
- 寺西
- 松山東北ノ切
- 中青木
- 地蔵西
- 寺東
- 往還東東ノ切
- 酉新田西ノ切
- 地蔵南
- 東江西北ノ切
- 往還西北ノ切
- 杁ノ戸
- 錦里
- 中野黒
- 北野黒
- 森起
- 上仲沖
- 北沼
- 西針口南ノ切
- 西森起
- (山之口)
- 西江西
- 西針口北ノ切
- 宝光寺
- 虫祭
- 東仲沖
- (西芳中)
- (東五反田南ノ切)
- 妙見西
- 西高野
- 東芳仲
- (東古川)
- (妙見前)
- 東高野
- 南芳仲
- 東町北
- 妙見廻(妙見マハリ)
- 三本松
- 初毛木
- 東町南
- 篭守西
- 南出口
- 石亀
- 大畑東西ノ切
- 篭守浦
- (中川原崎)
- (東一本松)
- 神明前
- 東石原(東石ハラ)
- 東河原崎(東川原崎)
- 南一本松
- 東池ノ上
- 西石原
- 平塚
- (北一本松)
- 西池ノ上
- 八幡山
- 清水
- (南五反田南ノ切)
- 松枝
- 野畔
- (桑木塚)
- (南五反田北ノ切)
- 三ツ股
- 井桁畔
- (西川原崎)
- (南五反田西ノ切)
- (北古川)
- 山
- (東沼)
- 北五反田南ノ切
- 山口
- (北五反田北ノ切)
- 西沼
- (東五反田北ノ切)
- (西古川)
- (寄山)
- (田中)
- (南古川)
- (大畑東東ノ切)
- (沼上)
- (栁原)
- 下仲沖
「明治十五年愛知県郡町村字名調」に無く、「アドレス・ベース・レジストリ」に収録されている小字は以下の通りである[5][6]。
- 字沼北ノ切
- 字柳原北
- 字柳原南
- 字松山東
- 字往還西南ノ切
- 字北宿一の切
- 字北宿二の切
- 字北宿三の切
- 字北宿四の切
- 字北宿五の切
- 一ノ通り
- 二ノ通り
- 三ノ通り
- 四ノ通り
- 五ノ通り
- 六ノ通り
- 七ノ通り
- 八ノ通り
- 九ノ通り
- 十ノ通り
- 十一ノ通り
- 十二ノ通り
歴史
[編集]中世には鎌倉街道の宿駅があって「黒田宿」(くろだのしゅく)と呼ばれた[7][8]。美濃国の墨俣宿(現在の岐阜県大垣市墨俣町)と尾張国の萱津宿(愛知県あま市甚目寺町)をつなぐ位置にあり[8]、南宿・北宿[7][8]あるいは下市場[8]という地名(小字名)が残るように栄えていたという。1190年には源頼朝が上洛の際に宿泊したという記録が『吾妻鑑』に見られる[7]。
同時に交通の要衝でもあり(東山道との分岐点であったという[7])、しばしば合戦場にもなった[7][8]。南北朝時代の1388年には、美濃土岐氏の内紛に関連し、土岐満貞を土岐詮直が当地で迎撃している[7]。
15世紀末には黒田城が築かれた。やがて黒田城には岩倉織田家に仕えた山内盛豊が入った。この盛豊の子が、のちに土佐藩主となる山内一豊であるとされる。
1590年には、一柳直盛が3万石の領主として黒田城主となった。直盛は関ヶ原の合戦で東軍につき、戦後の1601年に伊勢国神戸に移された。この一柳直盛の領国を「尾張黒田藩」ととらえる見方がある。直盛は、黒田の町を整備し、白山神社の再興を行った。一柳氏が去った後の黒田は清洲藩(尾張藩)松平忠吉の所領に組み込まれた。
1886年(明治19年)6月には村内に木曽川駅が開業した。熱心な駅の誘致活動が行われたという[9]。
近世には葉栗郡黒田村。1889年(明治22年)に町村制が施行された際に周辺の村と合併し、新たな「黒田村」の一部となる。1894年(明治27年)に黒田村は町制を施行して黒田町になる。1906年(明治39年)の町村の再編後、1910年(明治43年)に木曽川町と改称した。2005年(平成17年)に一宮市の一部となる。
世帯数と人口
[編集]2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
町字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
木曽川町黒田 | 5,554世帯 | 13,697人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移
2005年(平成17年) | 12,931人 | [10] | |
2010年(平成22年) | 13,179人 | [11] | |
2015年(平成27年) | 13,485人 | [12] | |
2020年(令和2年) | 13,697人 | [2] |
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]- 東海北陸自動車道
- 一宮木曽川インターチェンジ - 所在地は隣接する大毛(葉栗連区)
- 国道22号(名岐バイパス)
- 岐阜県道・愛知県道14号岐阜稲沢線(西尾張中央道)
- 愛知県道148号萩原三条北方線
- 愛知県道175号江南木曽川線
- 愛知県道181号光明寺木曽川停車場線
- 愛知県道190号名古屋一宮線(岐阜街道、鮎鮨街道)
施設
[編集]- 公民館
- 北山公民館
- 郵便局
- 木曽川黒田郵便局
- 商業施設
- イオンモール木曽川
- アピタパワー木曽川店
観光
[編集]名所・旧跡
[編集]宗教施設
[編集]寺院
[編集]神社
[編集]祭事・催事
[編集]- 木曽川町一豊まつり
有名人
[編集]- 山内一豊(土佐藩創始者。妻・千代との夫婦愛でも知られる戦国武将)
その他
[編集]日本郵便
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “愛知県一宮市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年5月19日閲覧。
- ^ a b c “国勢調査 令和2年国勢調査 小地域集計 (主な内容:基本単位区別,町丁・字別人口など) 23:愛知県 人口等基本集計に関する集計 2 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省 (2022年2月10日). 2023年10月11日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年5月19日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年5月19日閲覧。
- ^ a b 愛知県教育会 1932.
- ^ a b “愛知県 一宮市 町字マスター データセット”. デジタル庁. 2023年10月11日閲覧。
- ^ a b c d e f 「黒田宿」『百科事典マイペディア』 。コトバンクより2021年9月25日閲覧。
- ^ a b c d e 「黒田宿」『世界大百科事典 第2版』 。コトバンクより2021年9月25日閲覧。
- ^ 木曽川町史編集委員会 1981, p. 943.
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年5月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 愛知県教育会 編「黒田村」『明治十五年愛知県郡町村字名調』愛知県教育会、1932年6月1日(原著1882年)、207–208頁。NDLJP:1236777/113。
- 木曽川町史編集委員会 編『木曽川町史』木曽川町、1981年11月1日。全国書誌番号:82008360。
- 有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 一宮市役所
- 木曽川町連区地域づくり協議会
- 一宮市木曽川公民館 - YouTubeチャンネル
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