イゴル・アントン
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基本情報 | ||||
本名 | Igor Antón Hernández イゴル・アントン・エルナンデス | |||
愛称 | フジ | |||
生年月日 | 1983年3月2日(41歳) | |||
国籍 | スペイン | |||
身長 | 173cm | |||
体重 | 59kg | |||
選手情報 | ||||
分野 | ロードレース | |||
役割 | 選手 | |||
特徴 | クライマー | |||
プロ経歴 | ||||
2005-2013 2014-2015 2016-2018 | エウスカルテル・エウスカディ モビスター・チーム チーム・ディメンションデータ | |||
主要レース勝利 | ||||
ジロ・デ・イタリア 区間1勝 ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間4勝 | ||||
最終更新日 2019年6月13日 |
イゴル・アントン・エルナンデス(Igor Anton Hernandez、1983年3月2日 - )は、スペイン・バスク州・ビスカヤ県・ガルダカオ出身の元自転車競技(ロードレース)選手。
経歴
[編集]2005年
[編集]- エウスカルテル・エウスカディと契約を結んでプロ転向。
- ジロ・デ・イタリアに出場(総合83位)。
2006年
[編集]- ブエルタ・ア・エスパーニャ第16ステージを制し、総合15位。
2007年
[編集]- ブエルタ・ア・エスパーニャでは総合8位と健闘。
2008年
[編集]- ツール・ド・スイスで総合3位に入った。
2010年
[編集]- ブエルタ・ア・カスティーリャ・イ・レオンの第3ステージではアルベルト・コンタドール、マウリシオ・ソレル、エセキエル・モスケーラといった名だたるクライマーを抑え、大会唯一の頂上ゴールを制した。
- ブエルタ・ア・エスパーニャでは、第4、11ステージを制覇。総合首位のジャージ、マイヨ・ロホも第8〜第9、第11〜第13ステージまで守った。ところが第14ステージの残りあと約6.5km付近で転倒し、右肘を骨折。マイヨ・ロホ着用のまま無念のリタイアとなってしまった。
2011年
[編集]- フレッシュ・ワロンヌ 5位
- ジロ・デ・イタリア第14ステージのモンテ・ゾンコランゴールを制した。総合18位。
- ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間1勝(第19ステージ)
- ツアー・オブ・北京 山岳賞
2012年
[編集]- ブエルタ・ア・エスパーニャ 総合9位
2013年
[編集]- フレッシュ・ワロンヌ 8位
2014年
[編集]- モビスター・チームに移籍。
2015年
[編集]- ブエルタ・ア・アストゥリアス 総合優勝(第1ステージ優勝)
2016年
[編集]- チーム・ディメンションデータに移籍。
2018年
[編集]- ブエルタ・ア・エスパーニャを最後に現役引退[1]
脚注
[編集]- ^ “Anton hangs up his bike after 14 years”. cyclingnews (2018年9月16日). 2019年6月13日閲覧。
外部リンク
[編集]- イゴル・アントン - サイクリングアーカイヴス
- イゴル・アントンのプロフィール - ProCyclingStats