クヤヴィ・ピャスト家
クヤヴィ・ピャスト家(Piastowie kujawscy)は、ポーランドのピャスト家の分枝の一つ。カジミェシュ2世正義公の孫の一人であるクヤヴィ公カジミェシュ1世を始祖とする。マゾフシェ・ピャスト家から分かれ、クヤヴィ公国を領有した。
クヤヴィ公カジミェシュ1世の息子たちのうち、レシェク2世黒公とヴワディスワフ1世短躯王はポーランド君主(クラクフ公)の地位についた。ヴワディスワフ1世は1320年、ポーランド国王として戴冠し、その王位を息子カジミェシュ3世大王に引き継がせることに成功した。しかし1370年、カジミェシュ3世大王が男子を残さずに死ぬと、ポーランド王位はアンジュー家出身のハンガリー王ラヨシュ1世にわたり、以後ピャスト家の王子たちがポーランド王位を獲得することは二度となかった。クヤヴィ・ピャスト家は1388年、グニェフコヴォのヴワディスワフ白公の死により断絶した。
Δ カジミェシュ1世 1210/1213年 - 1267年 | |||||||||||||||||||
レシェク2世 1240/1243年 - 1288年 | ジェモミスウ 1245/1248年 - 1287年 | ヴワディスワフ1世 1260年 - 1333年 | カジミェシュ2世 1262/1265年 - 1294年 | シェモヴィト 1265年頃 - 1312年頃 | エウフェミア 1265年頃 - 1308年 | ||||||||||||||
クネグンダ 1295年 - 1331から1333年の間 | ステファン 1296/1300年 - 1306年 | ヴワディスワフ 1296/1311年 - 1312年 | エルジュビェタ 1305年 - 1380年 | ヤドヴィガ 1306/1309年 - 1320/1325年 | カジミェシュ3世 1310年 - 1370年 | ||||||||||||||
エウフェミア 1268/1278年 - 1278年以前 | フェネンナ 1268/1277年 - 1295年 | レシェク 1276年頃 - 1339/1343年 | コンスタンツィア 1268/1280年 - 1331年 | プシェミスウ 1277/1280年 - 1338/1339年 | カジミェシュ 1280/1284年 - 1347/1350年 | レシェク(?) 1300年頃 - 1314年頃 | ヴワディスワフ 1300/1305年頃 - 1351/1352年 | ボレスワフ 1303/1306年頃 - 1327/1328年 | |||||||||||
エルジュビェタ 1315/1323年頃 - 1353年以後(1373年?) | ヴワディスワフ 1330年 - 1388年 | 他子供数人(夭死) | |||||||||||||||||
エルジュビェタ 1326/1332年 - 1361年 | クネグンダ 1327/1335年 - 1357年 | アンナ 1366年から1367年の間 - 1425年 | クネグンダ 1366/1369年 - 1369/1370年 | ヤドヴィガ 1369/1370年 - 1380年以後 | ニェミェジャ(庶子) 1340年以後 - 1386年 | ヤン(庶子) 1340年以後 - 1383年以後 | ペウカ(庶子) 1340年以後 - 1370年 |