クラリオンガール
クラリオンガールは、カーオーディオメーカー・クラリオンが1975年(昭和50年)[1][2]から約30年に渡ってほぼ毎年選出していたキャンペーンガールである。人気芸能人への登竜門として知られたが、後年には、様々な分野での活躍が期待される女性への顕彰に変わっていた。
概要
1975年に初代のアグネス・ラムが選ばれて以降、烏丸せつこ、宮崎ますみ、蓮舫、大河内志保、立河宜子、原千晶といった著名タレントを生み出してきた[注 1]。1997年(平成9年)までは水着審査などグラビアアイドル的な容姿が重視され、芸能界デビューの登竜門といわれていた。
1998年から「クラリオンガール・スカラーシップ」と改名され[4][5]、目標や夢の実現に向け頑張る人を応援するという企画として「何かしら目標を持ち、それに突き進む女性」という選考基準が採用され[6]、水着審査は廃止された[7][8]。
2002年には中断したが、2003年からは、フジテレビジョンとの共催によるインターネット・携帯サイト連動型企画として「クラリオンガール・オーディション」の名称で再開された[4]。企画内容も「メディアデビューを目標とし音楽を愛する女性」に変更となり[4]、歌唱、楽器演奏、ダンス、DJなどなどが審査対象になった[8]。しかし、クラリオンが日立製作所に買収された2006年(平成18年)の選出を最後に終了した[7]。
歴代クラリオンガール
脚注
注釈
- ^ 書籍『アグネス・ラムのいた時代』によると、クラリオンガールという用語が正式に使用されるようになったのは1979年(第5代・田中なおみ)以降で、初代から第4代までは『平凡パンチ』とクラリオンの意向により、後付けのような形でクラリオンガールと呼ばれるようになったという[3]。
出典
- ^ 北島友和 (2009年12月25日). “挑戦し続けるカーAV界のフロントランナー クラリオン 70年の歩み”. Response. 2021年9月20日閲覧。
- ^ “スター登竜門のキャンギャルの歴史 近年の新潮流は?”. 週刊ポスト: p. 1. (2018年4月14日) 2021年9月20日閲覧。
- ^ 長友, 健二、長田, 美穂『アグネス・ラムのいた時代』中央公論新社〈中公新書ラクレ 238〉、2007年2月、17-18, 28頁頁。ISBN 9784121502384。 NCID BA80583399。
- ^ a b c 『Web Scholarship Clarion MEDAMA -MEZASE DAIBA MUSIC AUDITION-を実施』(プレスリリース)クラリオン株式会社、2003年5月30日 。2021年9月20日閲覧。
- ^ やかん (2000年9月12日). “2001クラリオンガール・スカラーシップ発表記者会見レポ”. web CG 2021年9月20日閲覧。
- ^ “新クラリオンガールは歌手志望”. web CG. (1998年9月17日) 2021年9月20日閲覧。
- ^ a b 岡野誠 (2016年5月29日). “水着キャンギャルの終焉 背景に企業広告の方針変更”. 週刊ポスト 2021年9月30日閲覧。
- ^ a b “クラリオンガールオーディション2004&クラリオンミュージックオーディション2004”. スクランブルエッグ on the Web (2004年7月24日). 2021年9月20日閲覧。