コルホーン (DD-85)
艦歴 | |
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発注 | |
起工 | 1917年9月19日 |
進水 | 1918年2月21日 |
就役 | 1918年6月13日 |
退役 | 1922年6月28日 |
その後 | 1942年8月30日に戦没 |
除籍 | |
性能諸元 | |
排水量 | 1,060トン |
全長 | 315 ft 5 in (96.14 m) |
全幅 | 31 ft 9 in (9.68 m) |
吃水 | 9 ft 2 in (2.79 m) |
機関 | 2缶 蒸気タービン2基 2軸推進、13,500shp |
最大速 | 35ノット (65 km/h) |
乗員 | 士官、兵員100名 |
兵装 | 4インチ砲4門、3インチ砲1門、21インチ魚雷発射管12門 |
コルホーン (USS Colhoun, DD-85/APD-2) は、アメリカ海軍の駆逐艦。ウィックス級駆逐艦の1隻。艦名はエドマンド・コルホーン海軍少将に因む。
艦歴
[編集]コルホーンは1917年9月19日にマサチューセッツ州クインシーのフォアリバー造船所で起工する。1918年2月21日にA・コルホーン夫人によって命名、進水し、1918年6月13日に艦長B・B・ワイガント中佐の指揮下就役、大西洋艦隊に配属される。
1918年6月30日から9月14日までコルホーンはニューヨークとヨーロッパ間の船団護衛を担当した。11月10日にニューロンドンに到着、開発中の聴音装置の実験に参加した。1919年1月1日にコルホーンは、ファイヤーアイランドで編成された北太平洋輸送船団を支援するため急行し、ニュージャージー州ホーボーケンに向かう194名の兵士を輸送した。
カリブ海および東海岸沖での活動後、コルホーンはフィラデルフィア海軍工廠で1919年12月1日に限定就役状態に置かれる。ノーフォーク海軍工廠でのオーバーホールおよびサウスカロライナ州チャールストンでの予備役期間を終え、フィラデルフィアに戻ると1922年6月28日に退役した。
1940年6月5日にノーフォーク海軍工廠まで牽引され、コルホーンは高速輸送艦への改修が行われた。作業が完了すると1940年12月11日に APD-2 として再就役する。コルホーンはノーフォークとカリブ海の間で訓練を行い、その後ニューカレドニアのヌメアへ向けて出航、1942年7月21日に到着した。
コルホーンは第1強襲海兵大隊を乗せ、8月7日に行われたガダルカナル島への強襲揚陸の第一陣に参加した。その後も侵攻作戦において輸送および対潜哨戒に従事した。
1942年8月30日、ガダルカナル島沖を巡行中の14:00にコルホーンは日本軍機の攻撃を受ける。最初の攻撃で艦の救命ボートおよびボートダビッドが破壊され、ボートのディーゼルエンジンから火災が生じた。第2の攻撃で右舷への直撃弾を受け、フォアマストが倒れ20mm砲2門および4インチ砲1門が破壊され機関室にも損傷を受けた。もう2発の直撃弾により、後部デッキハウスの兵員が全て死亡した。ガダルカナル島から来た上陸用舟艇が乗組員を救助し、コルホーンは南緯09度24分 東経160度01分 / 南緯9.400度 東経160.017度の海域で沈没した。この戦闘で51名が死亡し、18名が負傷した。
コルホーンは第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章した。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- navsource.org
- history.navy.mil - ウェイバックマシン(2004年3月1日アーカイブ分)
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。