セックス喜劇 鼻血ブー

セックス喜劇 鼻血ブー
監督 高桑信
脚本
出演者
音楽 津島利章
撮影 仲沢半次郎
製作会社 東映東京撮影所
配給 東映
公開 日本の旗 1971年5月8日
上映時間 83分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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セックス喜劇 鼻血ブー』(せっくすきげきはなぢブー)は、1971年日本映画左とん平主演[1]高桑信監督。東映東京撮影所製作、東映配給。R18+[2][3]

左とん平唯一の主演映画で、"早漏"を扱った異色のセックス喜劇[3][4][5][6][7]。公開時の『月刊明星』に「勉強になる」と書かれている[6]

あらすじ

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太平洋モーターズの営業職営業マン・早田勇(左とん平)は、早漏にいつも悩み営業成績はビリ。やっとモノにしかけたお客もライバル会社のセールスウーマン・小川夏子(桑原幸子)に取られてしまう。実は夏子は太平洋モーターズの社長・小川幾太郎(太宰久雄)の娘だった。縁は異なもの乙なもの、ひょんな切っ掛けから、夏子が早田にホの字になる。しかし早田は早漏が心配で据え膳に箸がつけらず、夏子はじれったい想いが募る。同僚で会社の売り上げトップを誇る加山達也(小池朝雄)の策略で会社をクビになった早田は、大学時代の友人・細井友彦(小松政夫)にバッタリ会う。細井は早漏防止用のコンドームの研究をしていた。細井も早漏で悩み、恋人・加代子(集三枝子)と結婚できずにいた。細井ばかりか太平洋モーターズの社長以下、まわりはソーロー人間ばかりだった。世の同病の男たちを救おうと早田は細井の研究に協力することを決めた[1][3][6][8]

キャスト

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スタッフ

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製作

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企画

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本作は1971年1月に映画本部長兼テレビ本部長の就任で[9][10]、東映の映像作品(商業映画・教育映画テレビドラマアニメ等)の製作・配給・興行の全権を掌握した岡田茂プロデューサー[9][10]、1967年の『大奥㊙物語』以降、路線化していた「㊙シリーズ」として企画された[11]。タイトルから『㊙』は外されたが、岡田は1969年に「㊙シリーズ」として『謝国権「愛(ラブ)」より ㊙性と生活』という"体位"をテーマにした映画を作っているため[12]、その流れにある映画といえる[11]

本作は映画のタイトルだけ、当時最も売れっ子漫画家だった谷岡ヤスジ[7]漫画ヤスジのメッタメタガキ道講座』内のセリフで、流行語になった「鼻血ブー」だけ拝借(パクリ)しているが[7][13]、内容は谷岡ヤスジの漫画とは関係がない[11]。本作は早漏防止法を扱った珍品映画である[7][11]。本作が公開された同じ年に『ヤスジのメッタメタガキ道講座』の同タイトルの実写映画アニメ映画(『ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!』)が製作されているがそれらとも関係がない[14]

脚本

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東映はシナリオ作成のヒントにすると称し、一般男女から早漏解決のための変わった体験談を公募した[7][11]。送り先は東映本社文芸課の『早漏防止法』係だった[11]。1970年9月17日号の『週刊平凡』にその募集の記事があることから[11]、本作の企画は1970年夏と見られる[11]

監督&キャスティング

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監督の高桑信は、1959年に東映入社以降、東映京都撮影所東映東京撮影所で100本以上の映画の助監督に就き[15]、前年の『現代女刷師』で監督に昇格した[15]。その後は当時の東映の二大プログラムピクチャー任侠路線とエロ路線(東映ポルノ[16]の両方の監督を務めたが[15]、3~4年で表舞台から姿を消した[15]

葬儀屋店主として出演する萩本欽一は縁の薄い唯一の東映映画出演[1]杉本美樹は『温泉みみず芸者』がデビュー作とされるが、デビュー作は本作である。ドクトル西垣として出演する松窪耕平は当時、セックスカウンセラーとして有名だった[1]

タイトル

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最初のタイトルは『セックス恐怖症・早漏防止法』で[7][17]、映画の内容を現すタイトルであったが、映倫の脚本内審で「あまりにもストレート過ぎる」[17]「『早漏防止法』などと書かれた看板が都会の劇場に立てられたのでは街の美観を損なう」などともっともなクレームが付き[7]、変更を要請され[7]、やむなく『男性強化法』とタイトルを変更した[7]。しかし「ボディービル映画みたいでいかにも固い」などと社内会議で問題となり[7]、そこで「早すぎる男(早漏)は血が余っているから、鼻血ブーなんじゃないか」と無理やり流行に乗っかり、最終的に『セックス喜劇 鼻血ブー』に変更した[17]。『週刊ポスト』からは「ハヤリ言葉にすぐさま飛びついてしまうのでは、せっかく『温泉みみず芸者』などという、ユニークな題名を生み出した東映のオリジナリティが泣く」などと批判された[7]。1970年前後は企画の貧困により邦画各社は、今日によく似たマンガ・劇画人気に力を借りた映画作りが大流行していたため[13]、『週刊読売』は、東映の流行マンガの題名を頂いて商品にする魂担を批判した[13]

同時上映

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暴力団再武装
主演:鶴田浩二 / 監督:佐藤純彌 / 脚本:村尾昭

興行成績

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公開3日後の1971年5月10日に東映本社で記者会見があり[18]岡田茂常務労使関係の問題には触れないことを条件に[注 1]、今後の製作方針を説明し「『暴力団再武装』は期待ほどではなかった。しかしこの後の『昭和残侠伝大会』[注 2]は予想以上に(お客が)来ると思う。東映は製作配給で独走しており、それにアグラをかき易いが、東映は守りが下手であり、本領は攻撃にある。今後はこれまで鶴田浩二高倉健ら主軸スターに頼り過ぎていたのを改め、菅原文太梅宮辰夫千葉真一といったヤングパワーを強める」などと話した[18]。東映の映画部門は岡田茂の才能で[20]、波に乗っていた[20]

脚注

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注釈

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  1. ^ 労政担当の岡田茂は、この年大揉めした東映の春闘で、東宝争議以来といわれた東映本社のロックアウトを敢行し、映画関係者を驚かせた[19]
  2. ^ 昭和残侠伝』『昭和残侠伝 一匹狼』の二本立て(1971年5月20日~5月31日)[18]

出典

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  1. ^ a b c d 「試写室 鼻血ブー(東映)」『週刊明星』1971年5月16日号、集英社、75頁。 
  2. ^ セックス喜劇 鼻血ブー”. 日本映画製作者連盟. 2021年4月16日閲覧。
  3. ^ a b c コラム:(大人向け)タイトルが気になる昭和のお色気映画 - 第1回<第1回> 「セックス喜劇 鼻血ブー」(R18+)(1971/東映/高桑信監督)
  4. ^ “封切映画興行記録 セックス喜劇 鼻血ブー”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 3. (1971年5月13日) 
  5. ^ 「内外映画封切興信録 『セックス喜劇 鼻血ブー』」『映画時報』1971年5月号、映画時報社、36頁。 
  6. ^ a b c 「5月の映画コーナー セックス喜劇 鼻血ブー」『月刊明星』1971年6月号、集英社、177頁。 
  7. ^ a b c d e f g h i j k 「ニュースメーカーズ 『鼻血ブー』に便乗した早漏防止"教育"映画」『週刊ポスト』1971年3月26日号、小学館、31頁。 
  8. ^ 「日本映画紹介 セックス喜劇 鼻血ブー」『キネマ旬報』1971年6月上旬号、キネマ旬報社、119–120頁。 
  9. ^ a b 佐藤忠男 編『日本の映画人 日本映画の創造者たち』日外アソシエーツ、2007年、122頁。ISBN 9784816920356 
  10. ^ a b 「特別企画 『現代の軍師』16人の素顔 知られざるエピソードでつづる伝説の男たち 翁長孝雄 『映画界のドン・岡田茂』を支え続けた現場力 文・春日太一」『文藝春秋special「日本の軍師100人」 vol.26』2013年季刊冬号、文藝春秋、104-107頁。 
  11. ^ a b c d e f g h 「今月のニュースポイント 募集中」『週刊平凡』1970年9月17日号、平凡出版、50頁。 
  12. ^ 「〈タウン〉 家庭に入る8ミリピンク映画」『週刊新潮』1969年3月8日号、新潮社、15頁。 「〈タウン〉学術映画『完全なる結婚』の見どころ」『週刊新潮』1968年9月21日号、新潮社、15頁。 「〈ルック げいのう〉 映画化される謝国権の性書『愛』」『週刊現代』1968年7月26日号、講談社、35頁。 “点描”. 報知新聞 (報知新聞社): p. 10. (1969年1月26日) 
  13. ^ a b c 「ニューズ オブ ニューズ 谷岡ヤスジの漫画におんぶの映画二社」『週刊読売』1972年3月26日号、読売新聞社、32頁。 
  14. ^ 永井豪と谷岡ヤスジの映画化に挑戦! 『ヤスジのメッタメタガキ道講座 文・宇川直弘+B・R」『悪趣味邦画劇場〈映画秘宝2〉』洋泉社、1995年、65頁。ISBN 9784896911701 
  15. ^ a b c d プログラム・ピクチャー作家名鑑(1) 東映一発監督列伝 文・ダーティ工藤」『悪趣味邦画劇場〈映画秘宝2〉』洋泉社、1995年、65頁。ISBN 9784896911701 
  16. ^ 日本大衆娯楽映画秘史~その3 男の映画を作り続けた東映の、任侠プロデューサーたち 文・ダーティ工藤」『悪趣味邦画劇場〈映画秘宝2〉』洋泉社、1995年、279-280頁。ISBN 9784896911701 
  17. ^ a b c 桑原稲敏『切られた猥褻 ー映倫カット史読売新聞社、1993年、176頁。ISBN 4643930829 
  18. ^ a b c “東映岡田常務久々の座談 今後の作品傾向を語る”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 4. (1971年5月15日) 
  19. ^ 「雨のち曇りの映画界不況対策!! トップ級の交流盛ん」『映画時報』1971年6月号、映画時報社、36頁。 
  20. ^ a b “企業的映画製作の巨星墜つ 大川博(東映社長)逝く その挿話と今後の東映”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1971年8月21日) 

外部リンク

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