ダニエル・ラッセル
ダニエル・ラッセル(Daniel R. Russel, 1953年12月12日[1] - )は、アメリカ合衆国の外交官。国家安全保障会議アジア上級部長や東アジア・太平洋担当国国務次官補(2013年 - 2017年)を歴任した。
生涯
[編集]イリノイ州シカゴ生まれ。サラ・ローレンス大学、ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジを卒業。1975年からニューヨークで企業経営に携わった後[2]、1985年国務省に入省[1]。1985年から1987年まで東京の駐日アメリカ合衆国大使館にてマイケル・マンスフィールド駐日アメリカ合衆国大使の補佐官[3]。1987年から1989年まで駐大阪・神戸アメリカ総領事館副領事(名古屋支部担当兼任)[1]。1989年から1992年まで国連本部アメリカ代表部に勤務し[3]、トマス・ピカリング国連大使の政治顧問[1]。1992年から1995年まで駐韓大使館一等書記官(韓国・北朝鮮担当政治主任)[1]。駐韓外交官時代は米朝枠組み合意交渉に関与した[1]。
1995年から1996年まで国務次官(政治担当)特別補佐官[1]。1997年から1999年まで国務次官(政治担当)首席秘書官[1]。
1999年から2002年まで駐キプロス首席公使[3]。2002年から2005年まで駐オランダ首席公使[3]。2005年8月から2008年8月まで駐大阪・神戸アメリカ総領事[4]。2008年8月から2009年1月まで国務省日本部長[1]。2009年から国家安全保障会議日本・韓国部長[1]。国家安全保障会議では六者会合を担当[5]。2011年にジェフリー・ベーダーの後任としてNSCアジア上級部長に就任。
2013年7月、カート・キャンベルの後任として東アジア・太平洋担当の国務次官補に就任[6]。
2017年3月、国務次官補を退任し、アジア協会政策研究所に出向、上級研究員に就任[7]。
日本勤務や対日担当も数多く、日本語も話せる知日派外交官とされる。日本人の啓子夫人との間に3子あり[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 久保文明; 足立正彦 (2009年9月28日). “オバマ政権の主要高官人事分析”. 東京財団 現代アメリカ研究プロジェクト. p. 11
- ^ “Institute for Corean-American Studies”. (2012年9月21日)
- ^ a b c d “米国務省「日本部長」にラッセル氏”. MSN産経ニュース. (2008年6月17日)
- ^ “総領事”. 読売テレビ解説委員室. (2008年7月3日)
- ^ “米NSC:アジア部長に知日派ラッセル氏 6カ国協議担当”. 毎日新聞. (2009年1月24日)
- ^ http://japanese.japan.usembassy.gov/j/info/tinfoj-bio-russel.html
- ^ ラッセル国務次官補が退任へ=米
公職 | ||
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先代 アレクサンダー・アルマゾフ | 駐大阪・神戸米国総領事 2005年8月 - 2008年8月 | 次代 エドワード・K・H・ドン |
先代 ジェームス・ズムワルト | アメリカ合衆国国務省東アジア・太平洋局日本部長 2008年8月 - 2009年1月 | 次代 ケヴィン・メア |
先代 カート・キャンベル | アメリカ合衆国国務次官補(東アジア・太平洋担当) 第24代:2013年7月12日 -2017年3月8日 | 次代 スーザン・ソーントン(代行) |