ドブラヴァ・ユーリエヴナ
ドブラヴァ・ユーリエヴナ Добрава Юрьевна | |
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出生 | 1215年頃 |
死去 | 1265年 |
配偶者 | ヴォルィーニ公ヴァシリコ |
子女 | ウラジーミル オリガ |
家名 | リューリク家 |
父親 | ウラジーミル大公ユーリー |
母親 | アガフィヤ・フセヴォロドヴナ |
ドブラヴァ・ユーリエヴナ(ロシア語: Добрава Юрьевна、1215年頃 - 1265年)は、ウラジーミル大公ユーリーとアガフィヤ(チェルニゴフ公フセヴォロド(ru)の娘)との間の子である。ヴォルィーニ公妃。聖名エレナ。
ドブラヴァは1226年にヴォルィーニ公ヴァシリコと結婚した。1230年代後半にルーシ北東部はモンゴル帝国軍の侵攻を受け、ウラジーミルも1238年に陥落する(ru)が、結婚によってウラジーミルを離れていたドブラヴァは、ユーリーの子の中で唯一の生存者となった。
1265年に死去した。子にはウラジーミル(聖名イヴァン)とオリガがいる。
参考文献
[編集]- Добрава Юрьевна
- Василько Романович // ブロックハウス・エフロン百科事典 — СПб., 1890—1907.