パット・エデリー

2000年

パット・エデリーPat Eddery1952年3月18日 - 2015年11月10日【死去報道】)は、アイルランド出身の平地競馬の元騎手調教師

キルデア県生まれ。本名、パトリック・ジェームズ・ジョン・エデリーPatrick James John Eddery

ブリティッシュ・チャンピオンズシリーズ名誉の殿堂にも入っている。

来歴

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1967年にデビューし、イギリスの平地競馬でサー・ゴードン・リチャーズ (Sir Gordon Richards) に次ぐ 4,632 の勝鞍を挙げた。エプソムダービーの勝馬3頭に騎乗し、レスター・ピゴット (Lester Piggott) と並ぶ記録の11度チャンピオンジョッキーとなった。

1985年ペブルス (Pebbles) に騎乗してブリーダーズカップ・ターフに勝利した。

1986年ジャパンカップジュピターアイランドで勝利した。

1987年には日本のワールドスーパージョッキーズシリーズでも騎乗している。

1991年にはシェイクアルバドゥ (Sheikh Albadou) に乗りブリーダーズカップ・スプリントを獲得した。

1990年レスター賞の最優秀平地騎手賞を受賞、1991年と1996年にも受賞した(後者はランフランコ・デットーリ (Lanfranco Dettori) と同時受賞)。2002年2003年の2度、平地騎手特別賞も授与されている。2003年の平地シーズンの終わりに騎手を引退。

2005年7月にエデリーは調教師ライセンスを取得し、アイルズベリ近郊のネザーウィンチェンドンにマスクヒル・スタッドファーム (Musk Hill Stud Farm) として40頭の厩舎を開設した。パット・エデリー・レーシングを共同設立した2人のレーシングマネージャー、サイモン・ダブル (Simon Double) とジョン・ニューマン (John Newman) が控える良いチームを持ち、馬の共有のためのさまざまなオーナーシンジケートを所有している。

調教師としてのパット・エデリーの最初の出走馬は Perez で、2005年12月にウルヴァーハンプトン競馬場オールウェザーコースの未勝利戦で2着となった。調教師初勝利は2006年4月ケンプトンパーク競馬場ハンデキャップ競走で、馬は Visionist だった。

コースでのパットの初勝利はグッドウッド競馬場の6ハロンの未勝利戦で、2歳牝馬のCavortだった。

2005年 OBE に叙勲。パットの父ジミー・エデリー (Jimmy Eddery) 、実弟のポール・エデリー (Paul Eddery) も騎手。妻キャロリンは平地騎手マニー・マーサー (Manny Mercer) の娘で、ジョー・マーサー (Joe Mercer) 騎手の姪、ハリー・ラッグ (Harry Wragg) 騎手の孫娘にあたる。

2015年11月10日、イギリスのレーシング・ポスト紙がエデリーが死去したことを報じた[1][2]。63歳没。

おもな勝鞍(騎手)

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イギリス

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アイルランド

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フランス

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ドイツ

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スロバキア

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  • スロヴェンスケダービー - (1) - Lonango (1997)

アメリカ合衆国

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カナダ

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日本

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脚注

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  1. ^ Racing great Pat Eddery dies at the age of 63 Racingpost 10 NOV 2015
  2. ^ 英のレジェンド騎手エデリーさん死去、63歳 86年JC優勝”. スポーツ報知. 2015年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月10日閲覧。

外部リンク

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