マーティン・デンプシー
マーティン・エドワード・デンプシー Martin E. Dempsey | |
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2012年2月のデンプシー大将 | |
生誕 | 1952年3月14日(68歳) ニュージャージー州ジャージ市 |
所属組織 | アメリカ陸軍 |
軍歴 | 1974年-2015年 |
最終階級 | 大将(退役) |
指揮 | 統合参謀本部議長 |
戦闘 | 湾岸戦争 イラク戦争 |
マーティン・エドワード・デンプシー(Martin Edward. Dempsey、1952年3月14日 - )は、第18代統合参謀本部議長を務めたアメリカ陸軍の軍人。アメリカ中央軍副司令官(2007年8月 - 2008年3月24日)、アメリカ中央軍司令官代行(2008年3月24日―10月30日)、アメリカ陸軍訓練教義軍団司令官(2008年12月8日 - 2011年4月11日)、第37代陸軍参謀総長(2011年4月11日―2011年9月7日)などのポストを経て、2011年10月1日からは、マイケル・マレン海軍大将の後任として第18代統合参謀本部議長に任命され、2015年9月25日までアメリカ軍制服組のトップを務めた。
経歴
[編集]軍人になるまで
[編集]デンプシーは、1952年3月14日に生まれ、ニューヨーク州ゴセンのジョン・S・バーク・カトリック高校で学び、その後ウェストンポイントのアメリカ陸軍士官学校に入学し、1974年に卒業した。デンプシーの士官学校時代の同期生には、デヴィッド・ペトレイアス大将や、ウォルター・シャープ大将、キース・ブレイン・アレクサンダー大将などがいた。その後、アイルランドの文芸復興についての論文を書いて、デューク大学から修士号を取得した。
軍人として
[編集]デンプシーは、1974年に陸軍士官学校を卒業すると機甲部隊の将校に任命され、尉官として第2機甲騎兵連隊第1大隊第1中隊長を務めた。彼は、第3機甲師団第3旅団の将校として砂漠の盾作戦・砂漠の嵐作戦に参加した。1992年から1995年までドイツのヘッセン州フリードバーグに位置する 第1機甲師団第67装甲連隊第4大隊長を務めた。2003年6月に、第1機甲師団長に任命された。デンプシーが第1機甲師団長だった2005年7月までの中で、2003年6月から2004年7月までの13ヶ月間はイラクでの勤務であった。2007年3月27日に、デンプシーは、中央軍副司令官、フロリダ州のマケディル空軍基地の副司令官などを経て、イラクの多国籍軍の司令官に任命された。2008年2月5日にデンプシーはアメリカ上院の承認を受け大将に昇進し、アメリカ欧州陸軍司令官に任命された。2008年3月11日にアメリカ中央軍のウィリアム・J・ファロン海軍大将が退役したことにより、3月24日にロバート・ゲイツ国防長官から司令官代行に任命された。2008年3月13日からアメリカ第7陸軍の司令官に任命された。2008年12月8日にはアメリカ陸軍訓練教義軍団司令官に任命された。
陸軍参謀総長
[編集]2011年1月6日にロバート・ゲイツ国防長官は、ジョージ・ケーシー大将の後任として、デンプシー大将を陸軍参謀総長に指名すると発表し、2月8日にバラク・オバマ大統領が第37代陸軍参謀総長に指名した。これを受けて3月15日に上院軍事委員会が上院に対し、デンプシーの第37代陸軍参謀総長への指名に好意的な報告をおこなった。3月16日に上院は全会一致で指名を承認した。4月11日にデンプシーは、フォート・マイヤーズで行われた式典で、第37陸軍参謀総長に就任した。
統合参謀本部議長
[編集]マイケル・マレン海軍大将が2011年9月に統合参謀本部議長を退任することになり、オバマ大統領は後任の指名に迫られた。当初、副議長のジェームズ・カートライト海兵隊大将を指名しようとしたが、国防総省高官からの反対で、実現しなかった。そんな中オバマ政権の担当者がデンプシーを指名すると2011年5月26日に発表した。8月、デンプシー大将は、マイケル・マレン大将の次の統合参謀本部議長として、満場一致で承認を得て、2011年10月1日に第18代統合参謀本部議長に就任した。2013年6月26日に、オバマ大統領はデンプシー大将の2期目を決め、再指名した。
2013年4月、中華人民共和国及び日本を訪問。4月23日、中国を訪れ習近平国家主席と会見を行った[1]ほか、日本では4月26日、岸田文雄外務大臣に表敬訪問を行った[2]。
2015年3月17日、日本国政府より旭日大綬章を受章[3]。
2015年5月5日、オバマ大統領は9月末にデンプシーが退任すること、任にジョセフ・ダンフォード海兵隊総司令官を指名したことを発表した[4]。デンプシーは9月末をもって退任した。
退任後
[編集]2018年、ホンジュラスから発生した移民の移動(キャラバン)が発生。アメリカ=メキシコ国境に大規模な軍を動員することに対して「無駄な派遣」とのコメントを行っている[5]。
教育
[編集]- 1974年 アメリカ陸軍士官学校(学士号)。ニューヨーク州ウェストポイント
- 1984年 デューク大学(修士号)。ノースカロライナ州ダラム
- 1988年 アメリカ陸軍指揮幕僚大学。
- 1995年 国防大学。科学の修士号と国家安全保障の修士号を取得。
私生活
[編集]デンプシー大将は、高校時代からの恋人である、ディーニーと結婚し、クリス、ミーガン、ケイトリンの3人の子供がいる。いずれもアメリカ陸軍に勤務していた。クリスは現役である。
昇進
[編集]階級章 | 階級 | 年月日 |
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士官候補生 | 1974年卒業 | |
少尉 | 1974年6月5日 | |
中尉 | 1976年6月5日 | |
大尉 | 1978年8月8日 | |
少佐 | 1985年9月1日 | |
中佐 | 1991年4月1日 | |
大佐 | 1996年9月1日 | |
准将 | 2001年8月1日 | |
少将 | 2004年9月1日 | |
中将 | 2005年9月8日 | |
大将 | 2008年12月8日 |
脚注
[編集]- ^ “習近平主席がデンプシー米統合参謀本部議長と会見”. 人民網 (2013年4月23日). 2018年11月3日閲覧。
- ^ “デンプシー米国統合参謀本部議長による岸田外務大臣表敬”. 日本国外務省プレスリリース (2013年4月26日). 2018年11月3日閲覧。
- ^ “外国人叙勲受章者名簿 平成27年”. 外務省. 2023年11月5日閲覧。
- ^ “米軍制服組トップ後任にダンフォード氏指名”. 日本経済新聞 (2015年5月6日). 2018年11月3日閲覧。
- ^ “「まるでジョークだ」 移民対応のための米軍派遣に批判”. 朝日新聞 (2018年11月3日). 2018年11月3日閲覧。
軍職 | ||
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先代 ジョージ・ケイシー・ジュニア | 陸軍参謀総長 2011–2011 | 次代 レイモンド・オディエルノ |
先代 マイケル・マレン | アメリカ統合参謀本部議長 2011-2015 | 次代 ジョセフ・ダンフォード |