モルビデリ
モルビデリ ( Morbidelli ) はイタリアのオートバイメーカー。ジャンカルロ・モルビデリがペーザロにおいて創業した。1975年から1980年にかけて125ccのロードレーサーで特に成功を収めた。
歴史
[編集]当初モルビデリ社は木工業を営み、家具や木製の自動車のボディを作成していた。会社は300人の従業員を抱えるほどに成長したが、ジャンカルロ・モルビデリの情熱はあくまでオートバイ、オートバイレースに注がれていた。木工業はレースの資金を得る手段に過ぎなかった[1]。
レース
[編集]1969年、モルビデリはロードレース世界選手権の50ccクラスに自らのチームを参戦させる。また Franco Rhingini が設計した水冷・ディスクバルブ125ccエンジンの委託生産をおこなった[2]。1972年シーズンの序盤には125ccクラスでイタリアのジルベルト・パロッティがチームに2勝をもたらしたが、パロッティはその年のマン島TTレースで事故死してしまう。
パロッティの死を乗り越え、モルビデリは挑戦を続けた。1974年には元クライドラーの設計者、Jorg Muller がマシンの開発をおこなった[2]。1975年にはパオロ・ピレリのライディングにより遂に125ccクラスのチャンピオンを獲得する[3]。ピレリのチームメイトのピエール・パオロ・ビアンキもシリーズ2位に入った。翌1976年シーズンには、そのビアンキがチャンピオンを獲得する[4]。チームの絶頂期となった1977年には、ビアンキが125ccクラスを2連覇し、250ccクラスではマリオ・レガがチャンピオンに輝き、2クラスを制覇することになった[5]。
当初モルビデリは自分のチームだけでマシンを使用し、プライベーターへの販売はおこなっていなかったが、 1976年にベネリ社の協力により、ペーザロにMBA(Morbidelli-Benelli-Armi)と呼ばれる工場を完成させ、125ccと250ccクラスのマシンの制作・販売をおこなえるようになった[2]以後数年間、各クラスでモルビデリのマシンは成功を収めた[1]。
モルビデリは1982年までロードレース世界選手権への参戦を続けた。
ジャンカルロ・モルビデリの息子、ジャンニ・モルビデリはレースドライバーとして成功を収め、F1で表彰台に立った。
モルビデリ・V8
[編集]モルビデリ社は1994年に液冷32バルブ・847cc90°V8エンジン、シャフトドライブでマニュアル5速の革新的なスポーツツアラーバイクを制作した[6]。しかし製造コストが余りにも高く、量産されることはなかった。それでもエキゾチックなデザインが評価され、ニューヨーク、ビルバオ、ラスベガス等各地のグッゲンハイム美術館や、バーミングハムのバーバー・モータースポーツ・パークにある博物館などに展示されることになった。
現在のモルビデリ
[編集]ペーザロの工場は現在はモーターサイクルの博物館となっている。骨董品級のクラシックバイクのほか、選手権を戦ったマシンが揃えられており、モルビデリ社のかつての栄光を現在に伝えている。
脚注
[編集]- ^ a b Morbidelli, Is-it-a-lemon.com December 5 2006閲覧。
- ^ a b c Erwin Tragatsch (ed.) (1979), The Illustrated Encyclopedia of Motorcycles, New Burlington Books/Quarto Publishing, ISBN 0906286077
- ^ Early Grand Prix Racing 1975, Motorcycle.com December 4 2006閲覧。
- ^ Early Grand Prix Racing 1976, Motorcycle.com December 4 2006閲覧。
- ^ Early Grand Prix Racing 1977, Motorcycle.com December 4 2006閲覧。
- ^ “Exotic Motorcycles: The Morbidelli V8 - Classic Italian Motorcycles - Motorcycle Classics”. Ogden Publications, Inc. 2015年11月24日閲覧。