ワンマン・ギャング

ワンマン・ギャング
ワンマン・ギャングの画像
2009年
プロフィール
リングネーム ワンマン・ギャング
アキーム
クラッシャー・ブルームフィールド
パナマ・ギャング
U.E.I.ギャング
本名 ジョージ・グレイ
ニックネーム シカゴの暴獣
アフリカン・ドリーム
身長 200cm - 205cm
体重 190kg - 200kg
誕生日 (1960-02-12) 1960年2月12日(64歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
サウスカロライナ州の旗 サウスカロライナ州
スパータンバーグ郡スパータンバーグ
デビュー 1977年
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ワンマン・ギャングThe One Man Gang、本名:George Gray1960年2月12日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーサウスカロライナ州スパータンバーグ出身。

スーパーヘビー級のモンスターヒールとして、南部の各主要団体やWWFで活動した[1][2]。WWFにおける "アフリカン・ドリーム" アキーム"The African Dream" Akeem)としての活躍も知られる[1]

来歴

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1977年に17歳でプロレスラーとしてデビュー[2]。キャリア初期はアンジェロ・ポッフォが旗揚げしたケンタッキー州レキシントンのICWにて、クラッシャー・ブルームフィールドCrusher Broomfield)のリングネームで活動する[2]1982年からはテネシー州メンフィスCWAに参戦、ジェリー・ローラーダッチ・マンテルの保持するタイトルに挑戦した[3]

その後、ビル・ワット主宰のMSWAワンマン・ギャングThe One Man Gang)と改名。超巨漢の若手ヒールとして台頭し、アンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦した[4]。以降、NWA南部テリトリーを転戦。ジム・クロケット・ジュニア主宰のMACWでは1983年5月23日、ケリー・キニスキーと組んでマイク・ロトンド&ルーファス・ジョーンズを破り、空位となっていたNWAミッドアトランティック・タッグ王座を獲得[5]エディ・グラハム主宰のCWFではダスティ・ローデスブラックジャック・マリガンと抗争し、1984年11月にはマリガンからNWAフロリダ・ブラスナックル王座を奪取した[6]

その間、1983年9月に全日本プロレスに初来日[7]スタン・ハンセンブルーザー・ブロディハーリー・レイステッド・デビアスといった豪華メンバーの中でさほど注目はされていなかったが下馬評以上の健闘を見せ、テレビ中継にてジャンボ鶴田とのシングルマッチも組まれた[8]。シリーズ最終戦である11月3日の後楽園ホール大会では、ハンセンと組んでジャイアント馬場&鶴田のインターナショナル・タッグ王座に挑戦[9]。翌1984年末には鶴見五郎とのチームで世界最強タッグ決定リーグ戦にも出場している(当初はバズ・ソイヤーがパートナーとなる予定だった)[10][11]

1985年からはテキサス州ダラスのWCCWに定着し、それまでの長髪をモヒカン刈りに変え、イリノイ州シカゴ出身を自称するストリートギャング系のヒールに変身。ブロディ、ケビン&ケリー・フォン・エリックテリー・ゴディザ・グレート・カブキらと抗争を繰り広げた[12]1986年2月には全日本プロレスへの3度目の来日を果たし、キラー・カーンクラッシャー・ブラックウェルとの巨漢対決もタッグマッチで実現した[13]

1986年11月9日にはオクラホマ州タルサにて、ビル・ワット主宰のUWF(旧MSWA)認定の世界ヘビー級王座を獲得[14]。以降、ジム・ドゥガンテリー・テイラーエディ・ギルバートスティーブ・ウィリアムス、バズ・ソイヤー、前王者ゴディらを相手に防衛戦を行い、1987年4月19日にビッグ・ババ・ロジャースに敗れるまで戴冠した[15]

ジム・ドゥガン(右)を攻撃するワンマン・ギャング(1987年)

UWF離脱後の1987年5月よりWWFに登場して、王者ハルク・ホーガンWWF世界ヘビー級王座に再三挑戦(9月21日にはニューヨークマディソン・スクエア・ガーデン[16]、11月7日にはセントルイスキール・オーディトリアムにおいて挑戦[17])。バンバン・ビガロとも巨漢同士の抗争を展開しており[18]1988年3月27日のレッスルマニアIVでは、空位となったWWF世界ヘビー級王座決定トーナメントに出場した[19]。同年9月、 "アフリカン・ドリーム" アキーム"The African Dream" Akeem)に変身。白人でありながらイスラム名のアフリカ人を名乗り、マネージャースリックが歌う入場曲 "Jive Soul Bro." に合わせてラップを踊るというコミカルなヒールへのキャラクター・チェンジを行う[1]ビッグ・ボスマンとのタッグチームツイン・タワーズThe Twin Towers)でも活躍し、ホーガン&ランディ・サベージのメガ・パワーズと抗争した[20]

1990年下期にWWFを離脱してWCWに移籍。リングネームをワンマン・ギャングに戻し、ケビン・サリバン率いるヒール軍団のダンジョン・オブ・ドゥームに加入する。その後はインディー団体を転戦し、1995年にWCWと再契約。同年12月27日、新日本プロレス佐々木健介が剥奪されたUSヘビー級王座の新王者に認定された[21]。WCW離脱後は1997年7月にSPWFへ来日、矢口壹琅とタッグを組み、久々に日本に登場。1998年11月にはFMWに参戦、サブゥー&金村ゆきひろとのトリプル・スレット・マッチに出場した[22]。同年には短期間ながらECWにもフル・ブラッデッド・イタリアンズのメンバーとして登場している[23]

2000年の夏にはオーストラリアに遠征してタタンカとオーストラレージアン・ヘビー級王座を争ったが[24]、同年に心臓発作を起こしてからはセミリタイア状態となる[2]2001年にはプエルトリコWWCにおいて、カルロス・コロンアブドーラ・ザ・ブッチャーハードコア王座を争っている[25]WWEにも同年4月1日のレッスルマニアX-Sevenにおけるギミックバトルロイヤルにワンマン・ギャングとして出場した[26](当初はアキームとして参加予定だったが、ウェイトがダウンしたためコスチュームが合わなくなってしまったという)。

以降は、2008年2月29日にフィラデルフィアのインディー団体チカラで行われた6人タッグマッチのトーナメントに、アックス&スマッシュデモリッションと "Team WWF" なるトリオを結成して出場している[27]2009年3月28日には、同じくペンシルベニア州のIWC(International Wrestling Cartel)に登場、MSWAからWWFを通しての宿敵ジム・ドゥガンとメインイベントで対戦するも敗退した[28]

得意技

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747スプラッシュ
ジャンピング式またはランニング式のボディ・プレス。その巨体をボーイング747に見立てたネーミング。アキーム時代は "Air Africa" と呼ばれた。
マスター・ブラスター
セカンドロープからのフェイスクラッシャー
エルボー・ドロップ

獲得タイトル

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チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング
ユニバーサル・レスリング・フェデレーション
  • UWF世界ヘビー級王座:1回[14]
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・レスリング・カウンシル
  • WWCハードコア王座:2回[25]

脚注

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  1. ^ a b c Akeem”. WWE.com. 2015年11月11日閲覧。
  2. ^ a b c d One Man Gang”. Online World of Wrestling. 2015年11月11日閲覧。
  3. ^ The USWA matches fought by One Man Gang in 1982”. Wrestlingdata.com. 2015年11月11日閲覧。
  4. ^ The UWF matches fought by One Man Gang in 1983”. Wrestlingdata.com. 2015年11月11日閲覧。
  5. ^ a b NWA Mid-Atlantic Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月11日閲覧。
  6. ^ a b NWA Florida Brass Knuckles Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月11日閲覧。
  7. ^ The AJPW matches fought by One Man Gang in 1983”. Wrestlingdata.com. 2015年2月12日閲覧。
  8. ^ AJPW Giant Series 1983 - Tag 5”. Cagematch.net. 2015年11月11日閲覧。
  9. ^ AJPW Giant Series 1983 - Tag 30”. Cagematch.net. 2015年11月11日閲覧。
  10. ^ The AJPW matches fought by One Man Gang in 1984”. Wrestlingdata.com. 2015年2月12日閲覧。
  11. ^ AJPW 1984 Real World Tag Team League”. Puroresu.com. 2015年11月11日閲覧。
  12. ^ The WCCW matches fought by One Man Gang in 1985”. Wrestlingdata.com. 2015年11月11日閲覧。
  13. ^ The AJPW matches fought by One Man Gang in 1986”. Wrestlingdata.com. 2015年11月11日閲覧。
  14. ^ a b UWF World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月9日閲覧。
  15. ^ The UWF matches fought by One Man Gang in 1987”. Wrestlingdata.com. 2015年11月11日閲覧。
  16. ^ WWF on MSG Network”. Cagematch.net. 2024年2月22日閲覧。
  17. ^ WWF House Show”. Cagematch.net. 2024年2月22日閲覧。
  18. ^ WWE Yearly Results 1987”. The History of WWE. 2015年11月11日閲覧。
  19. ^ WWF WrestleMania IV”. Cagematch.net. 2015年2月12日閲覧。
  20. ^ Twin Towers”. Online World of Wrestling. 2015年11月11日閲覧。
  21. ^ a b WCW United States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月9日閲覧。
  22. ^ FMW Scramble Survivor 1998 - Tag 6”. Cagematch.net. 2015年2月12日閲覧。
  23. ^ Wrestling Gallery: The Full Blooded Italians”. Online World of Wrestling. 2010年2月3日閲覧。
  24. ^ The SOW matches fought by One Man Gang in 2000”. Wrestlingdata.com. 2016年11月1日閲覧。
  25. ^ a b WWC Hardcore Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月9日閲覧。
  26. ^ WWF WrestleMania X-7”. Cagematch.net. 2015年2月12日閲覧。
  27. ^ CHIKARA King Of Trios 2008 - Tag 2”. Cagematch.net. 2015年2月12日閲覧。
  28. ^ Night of Legends 2009 Results”. IWC Official Website. 2010年2月3日閲覧。
  29. ^ NWA United States Tag Team Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月11日閲覧。
  30. ^ NWA World 6-Man Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月11日閲覧。

外部リンク

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