三上参次
人物情報 | |
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生誕 | 1865年10月29日 日本 播磨国神東郡御立村(現・兵庫県姫路市) |
死没 | 1939年6月7日 (73歳没) |
学問 | |
研究分野 | 歴史学(日本史学) |
研究機関 | 東京帝国大学 |
三上 参次(みかみ さんじ、慶応元年9月10日(1865年10月29日)- 1939年(昭和14年)6月7日[1][2])は、日本の学者。貴族院帝国学士院会員議員、文学博士[2]。
経歴
[編集]播磨国神東郡御立村の漢方医・幸田貞助の三男として生まれ、1875年に砥堀村で寺子屋を開いていた元姫路藩江戸詰藩士(足軽)・三上勝明の養子となる[3][4]。養父は地元の小学校の校長を務めたのち、姫路市街に移り砂糖・乾物を商う「三上屋」に転じた[3]。参次は旧制姫路中学校を中退して小学校の代用教員となったが、養父の希望で農学校進学のため上京し、本郷元町にあった進学予備校「進文学舎」を経て1881年に東京大学予備門入学、教師の勧めもあり農学から史学に変更し、1885年東京帝国大学文学部入学、田辺はると結婚し、翌年長男勝誕生[3][4]。
1889年、東京帝国大学和文学科卒業[5]。同大史料編纂掛に入り、史料編纂官を経て、1899年に東京帝国大学教授、史学科から国史学科が分離するのに尽力した。1908年8月4日、帝国学士院会員となる[6]。1924年(大正13年)から1932年(昭和7年)まで摂政の御進講担当者であった[7]。大正期に『明治天皇紀』などを編纂。1932年に帝国学士院会員として貴族院議員(帝国学士院会員議員)に互選され、同年10月10日に就任し[8]、死去するまで在任[2][9]。また史学会創設に関与し、1936年に理事長。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
著書
[編集]- 『白河楽翁公と徳川時代』吉川半七、1891年9月。 NCID BN08801687。全国書誌番号:40013539。
- 『白河楽翁公と徳川時代』(訂正2版)吉川半七、1891年12月。 NCID BA42754362。全国書誌番号:54012269。
- 『外山正一先生小伝』三上参次、1911年7月。全国書誌番号:40018698。
- 『外山正一先生小伝 伝記・外山正一』大空社〈伝記叢書 6〉、1987年9月。 NCID BN01955321。全国書誌番号:88006251。
- 『社寺領性質ノ研究』東京帝国大学〈東京帝国大学文科大学紀要 第1〉、1914年5月。 NCID BA37125095。全国書誌番号:43014448 全国書誌番号:60004944。
- 『本居宣長先生の内外本末の説に就いて』皇典講究所〈国学叢書 第1輯〉、1931年。全国書誌番号:46087397。
- 『国民思想に関する一観察』啓明会〈財団法人啓明会講演集 第45回〉、1932年9月。 NCID BA31819058。全国書誌番号:46084906。
- 『明治天皇の聖徳に就いて』文部省思想局〈日本文化叢書〉、1937年3月。 NCID BN08790580。全国書誌番号:77101024。
- 『白河楽翁公と徳川時代』創元社〈日本文化名著選 第14〉、1939年4月。 NCID BN09844062。全国書誌番号:46069479。
- 『尊皇論発達史』冨山房、1941年4月。 NCID BN07883915。全国書誌番号:46002287 全国書誌番号:60009321。
- 『国史概説』辻善之助監修、冨山房、1943年2月。 NCID BN06097292。全国書誌番号:46004334 全国書誌番号:57011904。
- 『江戸時代史』 上下巻、冨山房、1943年7月-1944年10月。 NCID BN0629735X。全国書誌番号:46004597。
- 『江戸時代史』 全7巻、講談社〈講談社学術文庫〉、1977年1月-1977年6月。 NCID BN06010727。全国書誌番号:77011901 全国書誌番号:77011902 全国書誌番号:77011903 全国書誌番号:77011904 全国書誌番号:77011905 全国書誌番号:77011906 全国書誌番号:77011907。
- 『江戸時代史』 上巻(新装版)、講談社〈講談社学術文庫〉、1992年9月。ISBN 9784061590441。 NCID BN08117787。全国書誌番号:93000255。
- 『江戸時代史』 下巻(新装版)、講談社〈講談社学術文庫〉、1992年10月。ISBN 9784061590458。 NCID BN08117787。全国書誌番号:93008895。
- 『明治時代の歴史学界 三上参次懐旧談』吉川弘文館、1991年2月。ISBN 9784642036290。 NCID BN05863983。全国書誌番号:91020396。
共著
[編集]- 三上参次、高津鍬三郎『日本文学史』落合直文補助、金港堂、1890年11月。 NCID BN08576649。全国書誌番号:41000287。
- 三上参次、高津鍬三郎『教科適用 日本文学小史』 上下巻、金港堂、1893年3月。 NCID BN08576809。全国書誌番号:54007955。
- 三上参次、高津鍬三郎『刪定 日本文学小史』金港堂、1902年1月。 NCID BA46833096。全国書誌番号:41000304。
- 谷本富、三上参次『栗山先生の面影』六盟館、1907年10月。 NCID BN07044269。全国書誌番号:40018480。
編集
[編集]- 『中等教科にほんれきし』大日本図書、1906年2月。 NCID BB17067051。
校閲
[編集]- 勝田孫弥『西郷隆盛伝』 全5巻、西郷隆盛伝発行所、1894年8月-1895年3月。 NCID BN15457413。全国書誌番号:40018387。
- 桜木章『側面観幕末史』啓成社、1905年9月。 NCID BN11703813。全国書誌番号:40013575。
- 桜木章『側面観幕末史』 上巻、青史社、1975年6月。 NCID BN01968968。全国書誌番号:73018638。
- 桜木章『側面観幕末史』 下巻、青史社、1975年11月。 NCID BN01968968。全国書誌番号:73018638。
親族
[編集]長男の三上勝(1886年生)は東京帝国大学支那文学科卒業後、三井物産に勤務ののち外遊、1925年帰国し、大正海上火災保険監査役となる[17]。その妻・智恵子(1893年生、学習院女学部卒)は三井養之助(鐘紡社長、三井物産重役)の三女[4]。長女の登代(1891年生)は東京府立第二高等女学校卒業後、大海原重義の妻となった[4]。五男の三上進は (1896年生)は不動貯金銀行監査役、妻は同銀行頭取の牧野元次郎二女[18]。
門下生
[編集]脚注
[編集]- ^ 『官報』第3730号、昭和14年6月14日、p.396
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』182頁。
- ^ a b c 三上参次先生のことども 没後80年三上参次顕彰会、平成31年1月
- ^ a b c d 三上参次『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]。
- ^ 『官報』第1809号、明治22年7月11日、p.124
- ^ 『官報』第7533号、明治41年8月5日。
- ^ 加藤陽子『昭和天皇と戦争の世紀』講談社学術文庫、2018年、127頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、42頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、46頁。
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」、吉川弘文館、2010年、26頁。
- ^ 『官報』第2776号「叙任及辞令」1892年9月27日。
- ^ 『官報』第7980号「叙任及辞令」1910年2月1日。
- ^ 『官報』第2366号「叙任及辞令」1920年6月22日。
- ^ 『官報』第7954号「叙任及辞令」1909年12月27日。
- ^ 『官報』第1310号・付録、「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第22号「叙任及辞令」1927年1月26日。
- ^ 三上勝『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]。
- ^ 三上進『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]。
参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 (新設) | 史蹟名勝天然紀念物調査会会長 1936年 - 1939年 史蹟名勝天然紀念物調査委員会会長 1933年 - 1936年 | 次代 阪谷芳郎 |
先代 (新設) | 神武天皇聖蹟調査委員会会長 1938年 - 1939年 | 次代 筑波藤麿 |
先代 竹越与三郎 | 臨時帝室編修官長 1926年 - 1933年 | 次代 (廃止) |
先代 星野恒 文科大学史料編纂掛物品管理者 | 東京帝国大学文学部史料編纂掛事務主任 1919年 文科大学史料編纂掛事務主任 1900年 - 1919年 文科大学史料編纂掛主任 1899年 - 1900年 | 次代 黒板勝美 |
学職 | ||
先代 坪井九馬三 | 史学会理事長 1936年 - 1939年 | 次代 辻善之助 |
先代 服部宇之吉 学部長事務取扱 | 東京帝国大学文学部長 1921年 - 1924年 | 次代 服部宇之吉 |