三角哲生

三角 哲生(みすみ てつお、1926年大正15年)7月19日[1] - 2016年平成28年)4月15日)は、日本の官僚。元文部事務次官

来歴

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旧制東京高等学校東京大学法学部卒業後、文部省に入省した。文部省大臣官房会計課長、大学局審議官を経て、1977年(昭和52年)管理局長、1980年(昭和55年)初等中等教育局長に就任した。1982年(昭和57年)、文部事務次官に就任した。

1983年(昭和58年)に退官後は、1983年(昭和58年)日本育英会理事長1990年(平成2年)国立西洋美術館長、1992年(平成4年)ユネスコアジア文化センター理事長、2003年(平成15年)新国立劇場運営財団理事長を歴任した。

また、この他に日本放送協会学園高等学校(現在のNHK学園高等学校)校長、二階堂学園理事長等も務めた。

2000年(平成12年)の秋の叙勲で勲二等旭日重光章を受章した[2]

2016年4月15日に死去した[3]。89歳没。叙正四位[4]

略歴

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  • 東京大学法学部政治学科卒業[5]
  • 1949年(昭和24年)- 文部省入省[5]
  • 1960年(昭和35年)1月16日 - 日本ユネスコ国内委員会事務局調査課長
  • 1961年(昭和36年)5月1日 - 文部省社会教育局社会教育施設主任官
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - 文部省社会教育局青少年教育課長
  • 1964年(昭和39年)7月1日 - 文部省調査局国際文化課長
  • 1966年(昭和41年)5月1日 - 文部省文化局国際文化課長
  • 1967年(昭和42年)6月16日 - 文部省大学学術局国際学術課長
  • 1968年(昭和43年)6月15日 - 文部省大学学術局学術課長
  • 1969年(昭和44年)7月1日 - 文部省管理局振興課長
  • 1972年(昭和47年)5月1日 - 文部省大臣官房会計課長
  • 1974年(昭和49年)6月18日 - 文部省大学局審議官
  • 1977年(昭和52年)9月20日 - 文部省管理局長
  • 1980年(昭和55年)6月6日 - 文部省初等中等教育局長
  • 1982年(昭和57年)7月9日 - 文部事務次官
  • 1983年(昭和58年)7月5日 - 辞職
  • 1983年(昭和58年)8月1日 - 日本育英会理事長
  • 1986年(昭和61年)8月1日 - 同再任
  • 1990年(平成2年)4月1日 - 国立西洋美術館長
  • 1992年(平成4年)3月31日 - 辞職
  • 1992年(平成4年)6月 - 日本放送協会学園高等学校長
  • 1992年(平成4年) - 財団法人ユネスコアジア文化センター理事長
  • 2000年(平成12年)- 11月3日 叙勲二等授旭日重光章
  • 2003年(平成15年) - 財団法人新国立劇場運営財団理事長

著書

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  • 『新訂 学校法人会計基準詳説』(編著、第一法規出版、1980年)
  • 『社会教育委員必携 昭和44年度版』(福原匡彦と共編著、全日本社会教育連合会、1969年)

脚注

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  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.275
  2. ^ 「2000年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』2000年11月3日朝刊
  3. ^ “元文部事務次官・三角哲生さん死去”. 朝日新聞. (2016年4月15日). http://www.asahi.com/articles/ASJ4H6X5DJ4HUTIL06J.html 2016年4月15日閲覧。 
  4. ^ 『官報』6779号(平成28年5月23日)
  5. ^ a b http://www.yaf.or.jp/introduce/wn/2006/04/pdf/060417kouhou2.pdf
先代
前川誠郎
国立西洋美術館館長
第5代:1990年 - 1992年
次代
高階秀爾
先代
樋口廣太郎
新国立劇場運営財団理事長
第3代:2003年 - 2005年
次代
遠山敦子