世界柔道選手権大会
開始年 | 1956 |
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主催 | 国際柔道連盟 |
公式サイト | |
国際柔道連盟公式サイト | |
男子は1956年から、女子は1980年から、男女共催は1987年から。 |
世界柔道選手権大会(せかいじゅうどうせんしゅけんたいかい、World Judo Championships)は、柔道の世界選手権大会である。通称“世界柔道”。国際柔道連盟(IJF)が主催する。
概要
[編集]文字通り、柔道の世界一を決定する大会である。かねてよりこの大会の権威はオリンピックと同格で、現在でもIJFワールド柔道ツアーで最高峰に位置付けられている。
男子は1956年から、女子は1980年から開催されており、1987年からは男女とも同一大会で開催されている。オリンピックでは実施されない無差別級も同時に行われた。2008年には階級別とは別に無差別級のみの世界選手権大会が開催されて、そこでは初めて報奨金も贈られることになった[1]。無差別級の世界選手権大会の場合は、参加各国とも4名まで選手を出場させることが出来る[2]。2011年以降、無差別級の大会は開催されなくなったが、2017年に再開された[3]。
2007年までは原則2年に一度であったが、2008年以降は毎年開催されている。
2010年から各国とも男女各階級で2名(総計14名)の代表を選出できたが、2013年からは男女ともに代表が最大で9名までに制限された[4][5]。優勝者には6000ドル、2位には4000ドル、3位には2000ドルが授与される。2014年の世界選手権からは、メダリストの他にそのコーチにも賞金が支給されることになった。そのため、メダリストの賞金は従来より2割減となり、優勝者に4800ドル、そのコーチに1200ドル、2位に3200ドル、そのコーチに800ドル、3位に1600ドル、そのコーチに400ドルとなった[6]。
2022年から今大会に出場する選手は、シニアの世界ランキングで100位以内、もしくはジュニアの世界ランキングで16位以内に入っていなければならない[7]。
獲得ポイント
[編集]順位 | ポイント |
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優勝 | 2000 |
2位 | 1400 |
3位タイ | 1000 |
5位タイ | 720 |
7位タイ | 520 |
ベスト16 | 320 |
ベスト32 | 240 |
1試合勝利 | 200 |
参加ポイント | 20 |
年表
[編集]- 1956年 - 第1回大会が東京の蔵前国技館で開催される。当時は体重無差別のみのトーナメント戦で、エントリーもわずか21ヵ国31名であった。初代優勝者は夏井昇吉(日本)。
- 1961年 - フランス・パリで開催された第3回大会で、アントン・ヘーシンク(蘭)が初の外国人王者に。
- 1965年 - この大会より体重別制が採用され、軽量級・中量級・重量級・無差別級の4階級で行われた。
- 1967年 - 体重別が軽量級・軽中量級・中量級・軽重量級・重量級・無差別級の6階級に細分化。
- 1969年 - 日本が全6階級を完全制覇。体重別制の採用以降で1ヵ国が金メダルを独占するのは、この大会と1973年大会(同じく日本)のみである。また、園田義男・勇(日本)が兄弟優勝を果たす(後に、1993年大会で中村佳央・行成も兄弟金メダルを達成)。
- 1975年 - 新ルールにより、有効・効果のポイントと反則が採用された。
- 1977年 - 開催国スペインが台湾選手団の入国を拒否し、これが政治問題へ発展。大会の1週間前になり突如、選手権の中止が決定された。
- 1979年 - 体重別が6階級から8階級へ変更され、各国とも各階級へのエントリーは1名のみとなった。また、藤猪省三(日本)が史上初の4連覇を達成。
- 1980年 - 女子の第1回大会がアメリカ・ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催され、女子柔道の盛んな欧州勢が金メダルを独占した。
- 1981年 - 山下泰裕(日本)が95kg超級と無差別級で優勝し、史上初の2階級制覇(男子では、後に1995年のダビド・ドゥイエ(仏)や2001年のアレクサンドル・ミハイリン(露)ら4選手が続いた)。
- 1984年 - イングリッド・ベルグマンス(白)が72kg超級と無差別で優勝して、女子では史上初の2階級制覇を達成(後に1987年の高鳳蓮(中国)と2010年の杉本美香(日本)が続いた)。
- 1986年 - ベルグマンスが無差別級で女子初の4連覇を達成。また軽量級のカレン・ブリッグス(英)や中量級のブリジット・ディディエ(仏)らも3連覇を果たし、女子柔道における欧州のレベルの高さを証明した。
- 1987年 - 西ドイツのエッセンで男子第15回大会と女子第5回大会を同時に開催。以降、世界選手権は男女共催となる。またこの大会の男子無差別級で小川直也(日本)が男子史上最年少で優勝を果たし、初の10代(正確には19歳と7か月)チャンピオンとなった。
- 1991年 - 岡田弘隆(日本)が中量級で優勝。87年大会の軽中量級優勝に続く2回目の優勝で、無差別級を含まない2階級制覇として史上初の快挙であった(のちに古賀稔彦(日本)や全己盈(韓国)が続いた)。
- 1993年 - 男子無差別級でラファウ・クバツキ(波)が活躍。準決勝でが小川直也を破るなどして優勝し、日本が第4回大会(1965年)以来守り続けてきた無差別級のタイトルを獲得した。また、48kg級で田村亮子(日本)が女子では史上最年少となる18歳1か月で優勝を果たした。
- 1997年 - 男子60kg級、北朝鮮のカンとジョージアのレワジシビリとの試合で、相手を投げたカンのポイントが相手方につき、これを抗議したカンが反則負けとなった。後日IJFは誤審を認めるが、後の2000年シドニー五輪100kg超級決勝での誤審とともに、柔道大会史上「最悪の誤審」として今も認識されている。
- 1999年 - 体重別の区分を変更。またこの大会よりカラー柔道着を導入したほか、かねてからの批判を受けて柔道着の肩・背中・袖口の厚さチェックを実施し、これにより39人の選手が着替えを命じられた。同時に、一本勝を奨励する目的で、最も一本勝ちが多かった選手に対して“一本トロフィー(The Ippon Trophy)”が贈られる事となり、男子は篠原信一が、女子は前田桂子(ともに日本)が受賞した。
- 2001年 - 谷亮子が大会史上初の5連覇を達成(翌2003年大会も優勝し、最終的に6連覇を果たす)。また男子軽量級ではアニス・ルニフィ(突)が優勝し、アフリカに初めての金メダルをもたらした。
- 2003年 - ゴールデンスコア方式を導入。国別団体戦を初導入。(2007年、2009年、2010年と、2011年以後の無差別級のみが開催された年を除く。ただし2003年と2005年は世界選手権とは別枠の扱いで行われた。世界団体が個人戦の世界選手権と同時期に開催されるようになったのは2011年以後である)
- 2005年 - アフリカで初めて選手権が開催され、世界選手権未開催の地域は、南極大陸を除けばオセアニアのみとなった。
- 2007年 - 100kg超級でテディ・リネール(仏)が18歳5か月で優勝して、男子における史上最年少優勝記録を更新した。
- 2008年 - 従来の隔年開催から毎年開催に。ただし2008年は北京五輪があったため、五輪で実施されていない無差別級のみが開催された。この大会では翌年1月のIJFルール改定を控え、効果ポイントの廃止やゴールデンスコアの試合時間短縮が試験導入された。また、敗者復活戦は実施されなかった。
- 2009年
- - この大会より正式にルール改定が実施。敗者復活戦については実施するものの、簡略化してベスト8以上が出場要件となった。なお、この大会で日本男子が世界選手権の創設以初めて金メダル0に終わった。
- - 9月にマカオで開催予定だった無差別選手権については、経済的理由により開催が中止された。
- 2010年 - 2008年より始まったランキング制度の関係もあり各階級への出場者が各国2人までとなった(無差別は4人まで)。またIJFルールの大幅な改定に伴い、下半身等への攻撃が大幅に制限された[8]。なお、この大会では日本が史上最多となる金メダル10個を獲得した。
階級
[編集]階級は無差別がある他はオリンピック柔道競技と同じである。大阪大会とカイロ大会では大会最終日の翌日にエキシビションとして国別団体戦が行われた[9]。そのため、主催はIJFではなく全柔連とエジプト柔道連盟になっている。これは世界選手権には含まれないため、出場選手はベストメンバーでは必ずしもなかった[10][11]。
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歴代金メダリスト
[編集]男子の歴代金メダリスト
[編集]女子の歴代金メダリスト
[編集]男女混合団体戦
[編集]開催年 | 優勝 | 2位 | 3位 | 3位 |
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2017 | 日本 | ブラジル | フランス | 韓国 |
2018 | 日本 | フランス | ロシア | 南北合同チーム |
2019 | 日本 | フランス | ロシア | ブラジル |
2021 | 日本 | フランス | ウズベキスタン | ブラジル |
2022 | 日本 | フランス | ドイツ | イスラエル |
2023 | 日本 | フランス | オランダ | ジョージア |
2024 | 日本 | フランス | イタリア | ジョージア |
歴代の大会
[編集]男子大会
[編集]年 | 月日 | 大会 | 開催都市, 国 | 会場 | 最多獲得メダル国 | 参加国・地域数 | 参加選手数 |
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1956年 | 5月3日 | 第1回大会 | 東京, 日本 | 蔵前国技館 | 日本 | 21 | 31 |
1958年 | 11月30日 | 第2回大会 | 東京, 日本 | 東京体育館 | 日本 | 18 | 39 |
1961年 | 12月2日 | 第3回大会 | パリ, フランス | クーベルタンスタジアム | オランダ | 25 | 57 |
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