今川範彦
時代 | 江戸時代 |
---|---|
生誕 | 享保元年(1716年) |
死没 | 寛延2年7月5日(1749年8月17日) |
別名 | 主膳(通称) |
戒名 | 寂照院殿清岸浄空大居士[1] |
墓所 | 長延寺 |
幕府 | 江戸幕府高家旗本 |
氏族 | 清和源氏足利氏流今川氏 |
父母 | 父:今川範主、母:某氏 |
兄弟 | 範彦、松平勝文、女(赤井林幸室)、義泰、女(稲垣正庸室) |
妻 | 秋月種輔の娘 |
子 | 義泰 |
今川 範彦(いまがわ のりひこ)は、江戸時代中期の高家旗本。今川範主の長男。今川家18代当主[注釈 1]。
生涯
[編集]享保13年(1728年)9月25日、父範主の死去により、13歳で家督を相続する[2]。享保17年(1732年)3月28日将軍徳川吉宗に御目見する[2]。寛延2年(1749年)7月5日死去、享年34[2]。
正室は秋月種輔(旗本3000石、日向高鍋藩秋月家分家)の二女[2][3]。子女はいない[2]。実弟義泰が養子となり家督を継いだ[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『今川氏と観泉寺』p.75、「近世今川家歴代法号一覧表」。
- ^ a b c d e f 『寛政重修諸家譜』巻第九十四「今川」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.540。
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第千百八十八「秋月」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第七輯』p.204。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第九十四「今川」
- 『寛政重修諸家譜 第一輯』(国民図書、1922年) NDLJP:1082717/280
- 観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)