会式試作爆撃機
会式試作爆撃機(かいしきしさくばくげきき)は、大日本帝国陸軍が計画した爆撃機。陸軍が計画した初の国産爆撃機である。
概要
[編集]臨時軍用気球研究会の沢田秀中尉は、自ら基礎設計を行った大型爆撃機の試作を発案し、沢田中尉が会式七号小型飛行機の墜落事故で殉職した後の1918年(大正7年)初頭に、陸軍東京砲兵工廠の協力を受けながら機体の制作が開始された。しかし、同年7月に計画は中止され、東京砲兵工廠で機体の一部が組み立てられたのみに終わった。
機体は双胴の大型複葉機で、エンジンは操縦席がある中央胴体の後部に推進式に1基、双胴の前部に牽引式に1基ずつ、計3基を装備する。全体的な形状はカプロニ製の爆撃機に類似していた。
諸元(計画値)
[編集]- 全幅:21.00 m
- 全備重量:3,000 kg
- エンジン:東京砲兵工廠 ダイムラー式 水冷直列6気筒ガソリン(最大110 hp) × 3
- 最大速度:129 km/h
- 航続時間:6時間
参考文献
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