北恵那交通
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | 日本 〒508-8500 岐阜県中津川市中津川842-334 |
設立 | 1922年(大正11年)2月15日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 3200001023316 |
事業内容 | 一般乗合及び貸切旅客自動車運送事業 ほか |
代表者 | 取締役社長 川松昌市 |
資本金 | 6,000万円 |
主要株主 | 名鉄グループバスホールディングス 50% |
外部リンク | http://www.kitaena.co.jp/ |
北恵那交通株式会社(きたえなこうつう)は、岐阜県中津川市に本社を置く名鉄グループのバス事業者[1]。かつては鉄道も経営しており、北恵那鉄道(きたえなてつどう)と称した。
2013年(平成25年)3月をもって貸切バス事業から撤退し、その後は乗合バス専業事業者となっている。
概要
[編集]電力王・福澤桃介(福澤諭吉の養子)を社長とする大同電力(現在の関西電力)による大井ダム工事により「いかだ流し」による岐阜・名古屋方面への木材運搬ができなくなってしまうため、鉄道がその代償として敷設された。
会社設立は1922年(大正11年)2月15日、初代社長は福澤桃介である。この「いかだ流し」によって運ばれる木材には、伊勢神宮で20年に一度行われる式年遷宮のための御神木も含まれていた。この縁により、2005年(平成17年)には伊勢神宮への次回式年遷宮のための御神木運送を行っている。
数ある地方鉄道と同様に、1960年代から1970年代にかけてのモータリゼーションにより鉄道事業が不振に陥り、鉄道部門を1978年(昭和53年)に廃止。これにより翌年に社名を変更し、現行の北恵那交通となった。
なお、この会社はタクシーとバスとトラック事業を全て同じ会社で経営していたが、タクシー事業は2013年(平成25年)1月限りで撤退している(詳細は「歴史」の項を参照)。またトラック事業については名鉄運輸の子会社である名鉄急配中津川営業所扱いとなっている。
2012年(平成24年)4月からは馬籠線の各バス停留所にナンバリングを導入し、馬籠へ向かう観光客の利便性向上を図るため、中津川駅前 - 馬籠間の各停留所に「M01」から「M34」までの番号が割り当てられている。馬籠線ではこの他にも、バスの行先表示器に「M」の文字を表示したり、時刻表や行先案内を多言語対応(英語・中国語・ハングル)としたりローマ字を併記するなど、外国人観光客向けに様々な施策を行っている。
歴史
[編集]- 1922年(大正11年)2月15日:福澤桃介他9名が発起人になり会社設立[2]。
- 1924年(大正13年)8月5日:中津町 - 下付知間で鉄道運行開始(北恵那鉄道線)。
- 1928年(昭和3年)12月3日:大井ダム工事用専用線を大井線(新大井 - 奥戸)として譲受し、旅客営業開始。
- 1931年(昭和6年)
- 1934年(昭和9年)9月15日:大井線廃止。
- 1940年(昭和15年)10月16日:一般乗合自動車運行休止[4]。
- 1941年(昭和16年)1月1日:貨物自動車運行休止[4]。
- 1958年(昭和23年)3月18日:名古屋鉄道が資本参加。
- 1966年(昭和31年)6月25日:タクシー営業開始。
- 1978年(昭和53年)9月18日:鉄道線(中津町 - 下付知)廃止。「さよなら電車」運転。
- 1979年(昭和54年)6月12日:「北恵那交通」に社名変更。
- 2002年(平成14年)2月1日:JR東海バスの中津川市内からの撤退に伴い廃止された「恵那線」(中津川駅前 - 尾崎 - 恵那追分 - 西山 - 玄済口 - 辻原口 - 美乃坂本)を承継。
- 2008年(平成20年)10月1日:中津川市内において、名鉄グループ同士の競合を避けるために廃止される濃飛乗合自動車中津川営業所の路線を承継。
- 2009年(平成21年)10月1日:ダイヤ改正・路線改編実施(付知峡線・恵北線)。
- 2012年(平成24年)4月:馬籠線の各停留所に「ナンバリング」を導入。
- 2013年(平成25年)
- 2021年(令和3年)4月1日
路線
[編集]坂本三坂線の一部を除き、すべて中津川市内の路線である。
現行路線
[編集]2021年(令和3年)7月現在。
中津川駅を発着する路線
[編集]中津川駅前の乗り場[注釈 1] | 路線名 | 路線記号 | 運行区間 |
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1番レーン | 付知峡線 | T | 中津川駅前 - 苗木 - 福岡 - 付知峡倉屋温泉 - 加子母総合事務所前[注釈 2] |
松恵線 | E | 中津川駅前 - 恵下橋 - 松田橋 - 中津川駅前[注釈 3] | |
川上(かおれ)線 | K | 中津川駅前 - 中津川市役所 - 中津川合同庁舎前 - 王子製紙前 - 恵那山ウェストン公園前[注釈 4][注釈 5] | |
苗木城線 | N | 中津川駅前 - 苗木城[注釈 6] | |
2番レーン | 市民病院線[注釈 7] | B | 中津川駅前 - 三菱工場前 - 中津川市民病院 - 美乃坂本駅前[注釈 8] |
手賀野線[注釈 7] | C | 中津川駅前 - 三菱工場前 - 手賀野[注釈 9] - 中京学院大学[注釈 10] | |
坂本三坂線[注釈 11] | SM | 中津川駅前 - 三菱工場前 - 中津川市民病院 - 美乃坂本駅前 - 坂本三坂 - 東鉄恵那車庫 | |
3番レーン | 馬籠線[注釈 12] | M | 中津川駅前 - 落合 - 中切 - 神坂小中学校前[注釈 13] - 馬籠 |
中津川駅前 - 落合 - 大久手 - 馬籠[注釈 14] | |||
坂下線[注釈 12][注釈 15] | S | 中津川駅前 - 落合 - 坂下駅前 |
その他の路線
[編集]カッコ内は路線記号を表す。
- 加子母市民病院線(KB) :加子母総合事務所 - 城山大橋経由 - 中津川市民病院[注釈 16]
- 藤沢線[注釈 12] (F) :坂下駅前 - 馬籠
- 夕森公園線[注釈 12] (Y) :坂下駅前 - 夕森公園口[注釈 17]
- 坂下加子母線[注釈 12] (SK) :坂下駅前 - 田瀬橋 - 加子母総合事務所前[注釈 18]
- 坂下体育館線[注釈 12] (SK) :坂下駅前 - 坂下体育館
- 坂下高校線[注釈 12] (SS) :坂下駅前→坂下高校下[注釈 19]
廃止路線
[編集]- 蛭川線<2007年(平成19年)4月1日廃止>:高山 - 湯之島口[注釈 20]
- 恵北線<2009年(平成21年)10月1日廃止>:中津川駅前 - 坂下駅前 - 加子母総合事務所前[注釈 12][注釈 18][注釈 21]
- 付知峡線<2007年(平成19年)10月1日部分廃止>の廃止区間:付知峡倉屋温泉 - 付知峡権四薙 - 不動滝[注釈 22]
- 松恵線東回り<2009年(平成21年)3月31日廃止>:中津川駅→松田橋→恵下橋→昭和橋→中津川駅[注釈 3]
- 外洞・上野線<2014年(平成26年)10月1日廃止>:坂下駅前 - 外洞・赤田 - 宮の洞[注釈 12]
- 加子母小郷線<2015年(平成27年)3月31日廃止>:加子母総合事務所前 - 小郷
車両
[編集]車両メーカー・塗装
[編集]名鉄グループに属するため、三菱ふそう製がその大多数を占める。自社発注車両のほか、恵那線譲受に伴いJR東海バスから移籍した日野車も存在する。この他、濃飛バスの路線譲渡に伴って譲渡されたものや、名鉄バスからの移籍車も存在する。
塗装については、名鉄バスに準じた旧塗装の車両がまだ存在するものの、オリジナルの塗装の車両が増備されつつある。近年は名鉄グループ共通色のバスが導入されている。
2019年(令和元年)導入の新車には、北恵那鉄道廃線時の主力車両だったモ560形電車の復刻塗装が施され、車内も当時の内装を模した仕様となっている[8]。続く2020年にも同様の仕様の車両が導入されている[9]。
乗車時のルール
[編集]整理券方式の後乗り前降りが基本だが、濃飛バスから譲渡された路線のみ後乗り前降りと前乗り前降りが混在する。これは濃飛バスから路線移管時に譲渡された車両の一部に後部ドアがないものが存在するためである。なお、後部ドアが存在している車両については、整理券発券機の場所が後部ドア付近に付け替えられたことにより後乗り前降り方式となったため、現在では従来車との共通運用となった。乗降口側にある行き先・途中経由地表示装置が「ない」か、もしくは前にあるので、従来車と区別が付く。
なお、運賃精算に名鉄バスのmanacaや岐阜バスのayucaなどは一切使えない。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 中津川駅前のバス乗り場は4番レーンまであるが、4番レーンは2021年(令和3年)4月以降使われていない。
- ^ 2009年(平成21年)10月1日のダイヤ改正より加子母総合事務所前まで直通開始。
- ^ a b 市内循環。松田橋→恵下橋→昭和橋の順に回る「東回り」と昭和橋→恵下橋→松田橋の順に回る「西回り」が存在したが、2009年(平成21年)3月31日を以て東回りは廃止、西回りに一本化された。
- ^ 途中の王子製紙前折り返しのもの及び市役所・合同庁舎前折り返しのものも存在。
- ^ 終点の恵那山ウェストン公園前は、2002年(平成14年)9月30日までは「川上スケート場」という名称だったが、スケート場の廃業に伴い翌10月1日に現名称に変更された。
- ^ 季節限定運行。
- ^ a b JR東海バスからの承継路線。
- ^ 途中の中津川市民病院折り返しのものが大多数を占める。かつては中津川駅前 - 三菱前(三菱電機中津川製作所)間の「三菱線」も存在したが、JR東海バスの路線譲渡によって恵那線及び坂本線に統合・吸収される形で消滅。
- ^ 中央道高速バス中津川インターバス停まで徒歩20分で往来できる。
- ^ かつては途中の上手賀野で折り返す便が多かったが、2017年(平成29年)3月現在、朝の上手賀野始発の1便を除き全て中津川駅前 - 中京学院大学間で運行されている。国鉄バス時代には根ノ上高原を経て国鉄明知線(現在の明知鉄道)の岩村駅及び明智駅を経由して名古屋駅まで行っていたが、その後中津川駅前発のものは根ノ上高原止まりとなり、さらには中京短大(現在の中京学院大学)止まりと、路線は中津川市内のみに短縮されていった。なお「恵那」とは恵那市を限定して指しているのではなく、旧恵那郡・中津川市を含めた地域の総称である。
- ^ 東濃鉄道からの承継路線。
- ^ a b c d e f g h i 濃飛バス(濃飛乗合自動車)からの承継路線。
- ^ 中央道高速バス馬籠バス停最寄り
- ^ 中切経由・大久手経由の2系統があるが大半が中切経由。濃飛バス時代には大久手経由のバスの一部が馬籠峠まで乗り入れていた。現在馬籠 - 馬籠峠間のアクセスは南木曽町新交通システム(地域バス)となっている(おんたけ交通が運行)。
- ^ 濃飛バス時代は「美濃坂下線」という名称だった。
- ^ 平日1往復のみの運行。かつては上苗木 - 中津川市民病院間で運行。
- ^ 坂下病院経由の便、及び坂下駅前 - 体育館前間の便も存在する。
- ^ a b 2009年(平成21年)10月1日のダイヤ改正により中津川駅前 - 坂下駅前 - 加子母総合事務所前の直通便(恵北線)が廃止となり、その代替として坂下加子母線が新設された。坂下加子母線は一部の便が田瀬橋折り返し(付知峡線と接続)となった。
- ^ 平日朝に坂下駅前発坂下高校下行きが1便のみ運行。
- ^ タクシー車両による運転。過去には中津川駅始発で蛭川村村域まで行っていた。
- ^ 加子母総合事務所前にて濃飛バスの恵北線と連絡。
- ^ 付知峡権四薙 - 不動滝間は夏季のみの運行であった。
出典
[編集]- ^ a b 会社案内 - 会社概要 北恵那交通、2023年3月24日閲覧。
- ^ 「設立 北恵那鉄道株式会社」『官報』1922年6月8日、227頁。doi:10.11501/2955071 。
- ^ 『全国乗合自動車総覧』1934年(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ^ a b 『中津川市史』下巻近代編2、1121頁
- ^ 名鉄グループバスホールディングス - 会社概要 名鉄グループバスホールディングス、2023年3月24日閲覧。
- ^ 会社分割(簡易新設分割)による中間持株会社設立に関するお知らせ 名古屋鉄道、2022年5月11日、2023年3月24日閲覧。
- ^ 「名鉄、バス・小売事業を再編」『日本経済新聞電子版』日本経済新聞社、2022年5月11日。オリジナルの2023年3月24日時点におけるアーカイブ。2023年3月24日閲覧。
- ^ “北恵那交通からのお知らせ - 北恵那電車復刻デザイン大型乗合バス車両を運行します。”. 北恵那交通. 2021年2月24日閲覧。
- ^ “北恵那交通からのお知らせ - 第二弾 北恵那電車復刻デザイン大型乗合バス車両 運行開始!”. 北恵那交通. 2021年2月24日閲覧。