十時弥
十時 弥(ととき わたる、1874年(明治7年)6月6日[1] - 1940年(昭和15年)4月29日[2])は、日本の教育者。
経歴
[編集]福岡県に衆議院議員十時一郎の二男として生まれ、大叔父の養子となった[1]。1899年(明治32年)、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業[1]。学習院教授、第三高等学校教授などを務め、1922年(大正11年)、社会学研究のため欧米に留学した[3]。1923年(大正12年)、新設の広島高等学校(現在の広島大学総合科学部)校長に就任し、1932年(昭和7年)に第五高等学校校長に転じた[3]。
栄典
[編集]著書
[編集]- 『デモスセネス』(博文館、1901年)
- 『社会学撮要』(普及舎、1902年)
脚注
[編集]- ^ a b c 大衆人事録 1930.
- ^ 『昭和十六年度版 日本人名選』、大阪毎日新聞社、1940年、p.397。
- ^ a b 人事興信録 1939.
- ^ 『官報』第2164号「叙任及辞令」1934年3月22日。
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。