四国旅客鉄道多度津工場
多度津工場 | |
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工場出入口そばに展示されている動輪 | |
基本情報 | |
鉄道事業者 | 四国旅客鉄道 |
整備済み車両略号 | 多度津工、TD |
備考 | 2009年(平成21年)4月現在のデータ |
多度津工場(たどつこうじょう)は、香川県仲多度郡多度津町にある四国旅客鉄道(JR四国)の車両工場である。
多度津駅から西に向かって徒歩約15分ほどの距離に、JR四国所有の唯一の車両工場として、同社の保有する電車・気動車・機関車・客車・貨車の総合的な検査、改造等をはじめ、土佐くろしお鉄道所有の車両の受託検査等も行っている。また、現在の多度津駅から離れた場所に工場があるのは、初代の多度津駅に隣接する場所に建てられたためである。
当工場で整備済み車両の車体には「多度津工」「TD」の略号が記される。
保存車両
[編集]以下の車両が構内に保存されている。
このうち、C58 333は多度津工場で最後に全般検査を受けた蒸気機関車である。保存状態が良かったため、民営化後に動態復元の候補となったが、費用などの理由により断念された。アスベストを使用しているため、2005年(平成17年)以降の工場公開では、運転台が非公開となっている。
以前は下記の車両も保存されていたが、移設された。
- ロ481号客車(準鉄道記念物)形式図
- ワラ1 (1)
- 工場の改修に伴い保存場所がなくなり、愛好家が移転先を打診して2023年11月に旧太子駅に移設された[5]。
- C58 333
- ロ481号客車(現在は佐川町に移設)
- DE10 1(現在は四国鉄道文化館に保存)
- ワラ1形貨車(現在は中之条町に移設)
近代化産業遺産・登録有形文化財
[編集]2009年(平成21年)2月、工場内の7つの建物が経済産業省より「JR予讃線・土讃線の関連遺産」の一環として近代化産業遺産に認定され、また2012年(平成24年)には国の登録有形文化財にも登録された[6]。最古のものは1888年(明治21年)建築である。また、現在は食堂として利用されている建物(会食所1号)は、元は西条海軍航空隊(さらに前身の逓信省愛媛地方航空機要員養成所)で格納庫として使用されていたもので、日本では数少ない現存する第二次大戦以前の格納庫でもある[6]。
- 登録有形文化財
- 職場一五号
- 職場一七号
- 職場三四号
- 諸舎一号
- 会食所一号
- 倉庫四号
- 倉庫七号
工場公開
[編集]毎年、10月の鉄道の日前後の週末に一般公開が行われている。この際には多度津駅から工場に通じる引込線を使って臨時のシャトル列車が121系電車、キハ58系気動車、キハ47形気動車などを使って運行される。多度津工場までの間は多度津駅の構内と見なされるため、多度津駅発着の乗車券(多度津駅 - 工場間のみの場合は多度津駅の入場券)で乗車可能である(本来入場券は「旅客車内に立ち入ること」もできないが、柔軟に解釈されている)。多度津駅を有効区間に含む各種フリー切符(週末乗り放題切符等)でも乗車できる。多度津工場側にはプラットホームはないため、仮設の階段を使って乗り降りする。
2009年5月23日にも讃岐鉄道開業120周年記念イベントとして一般公開された。シャトル列車にはアンパンマントロッコが使用された。
歴史
[編集]当工場は、讃岐鉄道開業当時に初代の多度津駅(のちの浜多度津駅)構内に設置された工場が発祥である。したがって、工場敷地は初代の多度津駅跡を含んでおり、当時の駅舎に使用されていた鬼瓦と階段の手すりが工場内で保存されている(2009年に近代化産業遺産に認定)。また、工場と多度津駅の間を結ぶ引込線のうち、工場寄りの一部は讃岐鉄道当時の本線に当たる。
- 1889年(明治22年)5月 - 讃岐鉄道丸亀 - 琴平間の開通時に多度津駅開業。同駅構内に讃岐鉄道車両修繕工場発足。
- 1904年(明治37年)12月1日 - 讃岐鉄道の山陽鉄道との合併に伴い、多度津工場に名称変更。
- 1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道国有化。
- 1913年(大正2年)12月20日 - 多度津駅移転。讃岐線多度津 - 観音寺間開通。旧多度津駅の位置に浜多度津駅(貨物駅)開業。貨物支線多度津 - 浜多度津間開業。
- 1979年(昭和54年)7月1日 - 浜多度津駅廃止。貨物支線多度津 - 浜多度津間廃止。
- 1985年(昭和60年)3月20日 - 国鉄の全国工場再編成により、広島、幡生、後藤とともに工場から車両所(多度津車両所)に名称変更[7]
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道に移管。
- 1988年(昭和63年) - 多度津工場に名称変更。
- 2018年(平成30年)2月5日 - 正面入口脇に設置されていた建物「本場」が老朽化のため解体される[8]。
脚注
[編集]- ^ “明治期の客車が高知・佐川へ里帰り 香川から半世紀ぶり”. 朝日新聞. (2021年2月18日) 2021年3月7日閲覧。
- ^ “明治時代の木造客車 半世紀ぶり里帰り 「町の歴史を感じて」新たな観光資源に”. 高知さんさんテレビ. (2021年3月13日). オリジナルの2021年3月16日時点におけるアーカイブ。 2024年9月9日閲覧。
- ^ 上記出典記事にあるように、保存前は佐川町の「青山文庫」で閲覧室として、車輪を抜かれた状態で使用されていた(参考:“編集長敬白 多度津工場のロ481。”. 鉄道ホビダス (2012年12月13日). 2012年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月9日閲覧。 広田尚敬「佐川の客車」(『鉄道ファン』1962年5月号、pp.28 - 29)に閲覧室当時の様子が掲載されている。
- ^ “115年前に製造の2等客車「ロ481号」 展示施設が完成 高知”. 毎日新聞. (2021年4月17日) 2021年4月20日閲覧。
- ^ “ワラ1形貨車「新たな目玉に」 中之条町の旧太子駅に展示 旧国鉄時代に活躍”. 東京新聞. (2024年1月17日) 2024年1月17日閲覧。
- ^ a b “登録有形文化財(建造物)の登録について”. 文化庁報道発表 (2012年4月20日). 2012年5月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月9日閲覧。
- ^ 四鉄史、鉄道ピクトリアル 1993年4月増刊号
- ^ “多度津工場「本場」を解体”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (2018年2月8日)