土居壮
土居 壮(どい つよし、1949年 - )は、福岡県出身のフリーアナウンサー。
経歴
[編集]テレビ東京時代
[編集]成蹊大学卒業後の1974年に東京12チャンネルへアナウンサーとして入社し、同年から土曜競馬中継の実況を長らく担当。ラグビーでは、5カ国対抗ラグビー、大学ラグビー[1]、1991年の全国社会人ラグビーフットボール大会決勝[2]の実況を担当していた。
また、『世界のプロレス』や音楽番組『TOKIO ROCK TV』の司会も担当。『世界のプロレス』ではWWFの本拠地ニューヨークに出張し、マディソン・スクエア・ガーデンにてジミー・ハートやホンキー・トンク・マンなどへのインタビューも行った。ジェイク・ロバーツとのインタビューでは、ロバーツに「大蛇にキスをしなければインタビューは受けない」と言われた挙句、渋々大蛇にキスをする羽目となり、気絶しそうになったという[3]。そのキャリアを活かし、フミ斎藤こと斎藤文彦のコンビによるWWFやWCWのビデオソフトの実況も担当した。
夕方ニュースのキャスターも務め、何でもこなす万能アナとも呼ばれたほか、同局で昭和天皇崩御の第一報を伝えた人物である。
1992年退社。
テレビ東京退社後
[編集]退社後はフリーアナウンサーとして活躍し、主にCS放送や古巣・テレ東やTXN系列局でスポーツ実況・キャスターを務める。担当分野はプロ野球、サッカー、ラグビー、競馬、ゴルフ、アイスホッケー、競輪など。
競馬はグリーンチャンネル開局(1995年)から2005年12月まで中央競馬中継EAST(日曜午後)の司会を務めた、1月・2月の小倉開催時はTVQ九州放送、3月・12月の中京開催時はテレビ愛知、夏の札幌・函館開催時はテレビ北海道で競馬中継のキャスター・実況を担当したことがある。また、グリーンチャンネルや「世界の競馬」(NHK BS1)、「J SPORTSステークス」(J SPORTS)などで海外競馬の実況を行うこともあった。
ラグビーはSKY sports(現J SPORTS)では1998年の開局からメイン実況を務め、1999年のラグビーワールドカップでは現地実況を担当した。
サッカーはスポーツ・アイ(現J SPORTS 3)でJリーグやドイツ・ブンデスリーガなどの実況を担当したほか、J SPORTSが開局した1998年から2007年まで続いたアルゼンチンサッカーでは金田喜稔とコンビを組んだ。
出演番組
[編集]現在の担当番組
[編集]過去の担当番組
[編集]- テレビ東京時代
報道番組
期間 | 番組名 | 役職 | |
---|---|---|---|
1988年4月 | 1989年3月 | メガTONニュースTODAY | メインキャスター |
担当時期不明 | メガTONスポーツTODAY | キャスター | |
1989年4月 | 1991年3月 | TXNニュース THIS EVENING | 月~金曜日メインキャスター |
バラエティ・スポーツ実況担当番組・その他
- 対決!スーパーカークイズ
- 聞かせます!今あの歌ヒット曲
- TOKIO ROCK TV
- 世界のプロレス
- 土曜競馬中継
- 特別競輪決勝戦中継
- サタデーナイトショー
- フリー転身後
- 土曜小倉競馬(TVQ九州放送)
- TVh土曜競馬→TVhサマー競馬(テレビ北海道)
- 土曜スペシャル 競馬中継→KEIBAワンダーランド(テレビ愛知)
- 世界の競馬(NHK BS1)
- J SPORTSステークス(J SPORTS)
- TVAドラゴンズナイター(テレビ愛知)
- WWE・ロウ/スマックダウン実況(DAZN)
実況を担当したゲームソフト
[編集]- グレイトラグビー実況'98ワールドカップへの道(ネクサスインターラクト)
- 2006 FIFA ワールドカップ ドイツ大会(EA SPORTS)解説・清水秀彦
主な実況歴
[編集]局アナ時代
[編集]- 競馬GI級レース
- 皐月賞(1981年、1983年、1984年)
- 東京優駿(1981年、1983年)
- 天皇賞 (秋)(1980年)
- エリザベス女王杯(1982年)[4]
- ジャパンカップ(1981年〜1987年、1989年)
- 有馬記念(1981年、1984年〜1986年、1989年)
- 競馬GI級レース(海外)
- メルボルンカップ(1984年)
- 競馬その他
- クイーンカップ(1981年)
- フェブラリーハンデキャップ(1988年)
- スプリンターズステークス(1980年)
- セントライト記念(1981年、1984年)
- 毎日王冠(1981年)
- 中山大障害 (秋)(1981年、1989年)
- テレビ東京賞3歳牝馬ステークス(1984年~1986年、1989年)
- 特別競輪
- 日本選手権競輪(1986年、1987年)
- 高松宮杯競輪(1985年)
- KEIRINグランプリ(1985年、1986年)
フリー転身後
[編集]- 競馬GIレース(海外)
- ドバイワールドカップ(2000年, 2003年)
- シンガポール航空国際カップ(2006年)
- キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(1996年, 2000年, 2004年, 2005年)
- ジャック・ル・マロワ賞(1998年)
- イスパーン賞(1999年)
- サンクルー大賞(1999年)
- アイリッシュチャンピオンステークス(2002年)
- 凱旋門賞(2006年)
- ブリーダーズカップ・ターフ(2003年, 2006年)
- コックスプレート(2002年)
- 競馬その他
- 小倉大賞典(1999年)
- シーサイドステークス→エルムステークス(1996年, 1998年)
- CBC賞(2000年, 2001年)
- 競輪
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 主に関東大学ラグビー対抗戦グループ、オール早慶明ラグビー等。
- ^ ロスタイム、イアン・ウィリアムズの決勝トライで神戸製鋼が大会3連覇。
- ^ 週刊プロレスSPECIAL 日本プロレスVol.2 P77(2014年、ベースボール・マガジン社)ISBN 9784583621876
- ^ 『競馬人 傑作ノンフィクション集 (ZEBRA BOOKS)』有朋社、1997年12月1日、ISBN 4946376348、p47。