坂下町 (岐阜県)
さかしたちょう 坂下町 | |||||
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廃止日 | 2005年2月13日 | ||||
廃止理由 | 編入合併 坂下町、川上村、加子母村、付知町、福岡町、蛭川村、山口村→中津川市 | ||||
現在の自治体 | 中津川市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方、東海地方 | ||||
都道府県 | 岐阜県 | ||||
郡 | 恵那郡 | ||||
市町村コード | 21561-9 | ||||
面積 | 29.77 km2 | ||||
総人口 | 5,686人 (推計人口、2005年2月1日) | ||||
隣接自治体 | 中津川市、福岡町、川上村 長野県 南木曽町、山口村 | ||||
町の木 | ハナノキ | ||||
町の花 | ツツジ | ||||
坂下町役場 | |||||
所在地 | 〒509-9292 岐阜県恵那郡坂下町坂下1760-3 | ||||
座標 | 北緯35度34分27秒 東経137度31分41秒 / 北緯35.5741度 東経137.5281度座標: 北緯35度34分27秒 東経137度31分41秒 / 北緯35.5741度 東経137.5281度 | ||||
ウィキプロジェクト |
坂下町(さかしたちょう)は、かつて岐阜県恵那郡にあった町である。2005年(平成17年)2月13日に周辺6町村と共に中津川市へ編入合併された。
地理
[編集]岐阜県の南東部、長野県との県境に位置し、木曽川沿いにある山間の町。隣接する旧川上村を源とする川上川が町域を北から南へ貫流し、木曽川に注いでいた。町の中心部は河岸段丘上にあり、段丘面上を横切って阿寺断層が通過している。阿寺断層による断層崖と木曽川・川上川の河岸段丘が交差した坂の多い町である。
- 山:高峰山
- 河川:木曽川、川上川
- 湖沼:椛の湖
小字
[編集]大字として坂下があった。
- あ行
- 相沢 (あいざわ),赤田 (あこだ),新谷 (あらや)
- 井汲 (いぐみ)
- 上鐘 (うえがね)
- 大岩 (おおいわ),大沼 (おおぬま)
- か行
- 上新田 (かみしんでん),上外 (かみそで),上高辺 (かみたかべ),握 (かみにぎり),上原 (かみはら),樺の木 (かんばのき)
- 切田 (きつた)
- 氷坂 (こおりざわ),小田 (こだ),小田垣戸 (こだがいと)
- さ行
- 下島 (したじま),下平 (しただいら),島 (しま),島井田 (しまいでん),島平 (しまへ),下新田 (しもしんでん),下高辺 (しもたかべ),下握 (しもにぎり),松源地 (しようげんじ),新田 (しんでん)
- た行
- 大門 (だいもん), 高峰平 (たかみねだいら), 高峰山 (たかみねやま), 谷 (たに)
- 樋ヶ沢 (といがさわ),道垣外 (どうがいと),時鐘 (ときがね),徳野 (とくの)
- な行
- 長坂 (ながさか),中之垣外 (なかのがいと),中原 (なかはら),成栗 (なりくり)
- 西高辺 (にしたかべ)
- は行
- 二股 (ふたまた)
- 法力屋 (ほうりきや),保ヶ山 (ほけやま), 梵字 (ぼじ),掘懸 (ほりかけ)
- ま行
- 前平 (まえびら),町平 (まちだいら)
- 宮ノ前 (みやのまえ)
- 向山 (むかいやま),向立岩 (むこうたていわ)
- や行
- 八幡 (やはた),矢渕 (やぶち)
- 横吹 (よこぶき)
- わ行
- 和合 (わごう)
小字(廃止)
[編集]- 一西高部、二西高部
- 大字:上野 (うえの)
- あ行
- 大沼 (おおぬま)
- か行
- 上小野沢 (かみおのさわ),上呉川 (かみくれかわ),上外 (かみそで),上中尾 (かみなかお),神ノ木 (かみのき)
- 黒沢 (くろさわ)
- し行
- 下小野沢 (しもおのさわ),下呉川 (しもくれかわ),下外 (しもそで),下中尾 (しもなかお)
- な行
- 西田 (にしだ)
- は行
- 椛ノ木 (はなのき)
- ま行
- 丸根 (まるね)
- や行
- 山田 (やまだ)
隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]鎌倉時代初期から戦国時代末期まで、この地は苗木遠山氏の領地だった。慶長6年(1601年)の『美濃一国郷牒』には、坂下村は恵那郡、上野村は加茂郡と記述されている。江戸時代の坂下村は苗木藩領だった。坂下三郷(さんごう)と言われ、町組、下組(しもぐみ)、合郷の3つに分かれて庄屋が置かれていた。
1870年(明治3年)には苗木藩が廃仏毀釈を実行し、領内の全ての寺院が廃された。坂下村では長昌寺が廃されて仏教が無くなり、住民の殆どは神道となって今日に至っている。1871年(明治4年)、廃藩置県により苗木県の一部となり、その後岐阜県に編入された。
行政区画の変遷
[編集]- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制施行により、坂下村と上野村と川上村が合併して恵那郡坂下村が発足する。
- 1905年(明治38年)7月1日 - 坂下村より川上村が分離される。
- 1911年(明治44年)1月1日 - 坂下村が町制を施行して坂下町が発足する。
- 2005年(平成17年)2月13日 - 周辺6町村と共に中津川市へ編入される。
経済
[編集]主な産業は、農業、林業、木工業など。周囲の山々は質の良い檜の産地であり、東濃ひのきとして建築材などに用いられている。
教育
[編集]小学校
[編集]- 2005年以前に廃校となった学校
- 坂下町立上野小学校(1971年廃校)
中学校
[編集]高等学校
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]- 坂川鉄道
- 1926年(大正15年)開業。戦時中の1944年(昭和19年)には坂下森林鉄道に改称。1956年(昭和31年)に廃止された。
道路
[編集]- 高速道路
- 町内に高速道路はなし。
- 一般国道
- 主要地方道
- 一般県道
- 長距離自然歩道
- その他
- 磁前神社大杉を訪ねる道
名所・旧跡・観光スポット
[編集]- 坂下神社
- 出雲福徳神社
- 蔵田寺 - 曹洞宗の寺院。1909年(明治42年)に静岡県志太郡瀬戸谷村より移築。
- 椛の湖 - 1969年(昭和44年)から1971年(昭和46年)まで全日本フォークジャンボリーの会場となった。
祭事・催事
[編集]- 坂下花馬祭り - 毎年10月第2日曜。下組、合郷組、町組から出た3頭の花馬がJR坂下駅で花馬行列を作って坂下神社へ奉納する。
- 椛の湖そばの花まつり - 毎年9月下旬。椛の湖自然公園で6.5ヘクタールの蕎麦が栽培されている。
著名な出身者
[編集]作曲家のすぎやまこういちは、青年時代に坂下町に疎開していたことがある。