大森義夫 (官僚)
大森 義夫(おおもり よしお、1939年〈昭和14年〉12月22日[1] - 2016年〈平成28年〉9月11日[2])は、日本の警察官僚。日本文化大学学長。過去に警察大学校長、内閣情報調査室長を歴任。
人物
[編集]警察大学校長、内閣情報調査室長などを歴任。父は大森寛(陸上幕僚長、防衛大学校長)、弟に大森敬治(防衛施設庁長官、内閣官房副長官補、駐オマーン大使)[3]
略歴
[編集]- 東京都立両国高等学校卒業
- 1962年(昭和37年) 国家公務員採用上級甲種試験(法律)合格、警察官採用上級試験合格
- 1963年(昭和38年)3月 東京大学法学部卒業
- 1963年(昭和38年)4月 警察庁入庁
- 1964年(昭和39年) 警察庁警備局警備第一課
- 1968年(昭和43年) 総理府沖縄事務所
- 1970年(昭和45年)福岡県警察本部警備部公安第一課長
- 1972年(昭和47年)警察大学校教授(警務教養部)
- 1973年(昭和48年)外務省研修所
- 1974年(昭和49年)香港総領事館領事
- 1977年(昭和52年)警察庁警備局外事課理事官
- 1978年(昭和53年)警察庁長官官房総務課理事官兼国家公安委員長秘書官(加藤武徳委員長の秘書官)
- 1979年(昭和54年)警視庁公安部外事第一課長
- 1980年(昭和55年)警視庁公安部公安総務課長
- 1982年(昭和57年)警察庁警備局公安第三課調査官(現在の警備局国際テロ対策課長)
- 1984年(昭和59年)7月7日 警察庁刑事局保安部外勤課長
- 1985年(昭和60年)2月18日 鳥取県警察本部長
- 1986年(昭和61年)8月18日 警察庁警備局公安第三課長
- 1987年(昭和62年)7月4日 警察庁警備局公安第一課長
- 1989年(平成元年)4月1日 警視庁公安部長
- 1991年(平成3年)1月11日 警察庁長官官房審議官
- 1991年(平成3年)4月12日 警察庁長官官房総務審議官
- 1992年(平成4年)9月1日 警察大学校長
- 1993年(平成5年)3月8日 内閣官房内閣情報調査室長
- 1997年(平成9年)4月4日 退官
- 1997年(平成9年)4月 日本電気株式会社顧問
- 1997年(平成9年)6月 日本電気株式会社常務取締役
- 2000年(平成12年)4月 日本電気株式会社取締役常務
- 2002年(平成14年)10月 日本電気株式会社取締役専務
- 2003年(平成15年)6月 株式会社荏原製作所監査役
- 2004年(平成16年)6月 日本電気株式会社顧問
- 2005年(平成17年) 外務省「対外情報機能強化に関する懇談会」座長
- 2006年(平成18年)6月 株式会社ライブドア監査役
- 2007年(平成19年)4月 株式会社ライブドアホールディングス監査役
- 2012年(平成24年)4月 日本文化大学学長
- 2016年(平成28年)9月11日 腎盂がんのため死去[2]
著書
[編集]- 『「危機管理途上国」日本 万一の事態にどこまで対応できるのか?』(PHP研究所、2000年)
- 『「インテリジェンス」を一匙 情報と情報組織への招待』(選択エージェンシー、2004年)
- 『日本のインテリジェンス機関』(文春新書、2005年)
- 『国家と情報 日本の国益を守るために』(ワック新書判、2006年)
脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典2015~2017』(日外アソシエーツ、2018年)p.120
- ^ a b c “大森義夫氏が死去 元内閣情報調査室長、NEC専務”. Nikkei web. 日本経済新聞社. (2016年9月13日) 2016年9月13日閲覧。
- ^ “大森寛氏死去/元防衛大学校長”. Shikoku News. 四国新聞社. (2002年6月24日) 2016年9月13日閲覧。