川越富洲原駅

川越富洲原駅*
駅舎(2011年2月)
かわごえとみすはら
Kawagoe-Tomisuhara
E15 伊勢朝日 (2.6 km)
(1.6 km) 近鉄富田 E17
地図
所在地 三重県三重郡川越町大字豊田275
北緯35度0分59.59秒 東経136度39分37.66秒 / 北緯35.0165528度 東経136.6604611度 / 35.0165528; 136.6604611座標: 北緯35度0分59.59秒 東経136度39分37.66秒 / 北緯35.0165528度 東経136.6604611度 / 35.0165528; 136.6604611
駅番号  E16 
所属事業者 近畿日本鉄道(近鉄)
所属路線 E 名古屋線
キロ程 48.8 km(伊勢中川起点)
電報略号 トミス
駅構造 地上駅橋上駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度-
3,615人/日(降車客含まず)
-2019年-
開業年月日 1929年昭和4年)1月30日
備考 2009年に富洲原駅から改称
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川越富洲原駅(かわごえとみすはらえき)は、三重県三重郡川越町大字豊田にある、近畿日本鉄道(近鉄)名古屋線である。駅番号はE16

歴史

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建替前の駅舎

駅の位置・駅名の変遷

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1929年昭和4年)の伊勢電気鉄道四日市 - 桑名間開業時に、伊藤平治郎の誘致により富洲原駅が開業した。近鉄名古屋駅方面から須賀浦海水浴場に来る観光客で賑わっていたという[1]。当時の富洲原駅は、現在の駅より300m南側に離れた四日市市平町に立地していた。1945年(昭和20年)、隣の三重郡川越村の朝明川付近にあった無人駅の川越駅が富洲原駅と統合され、両駅の中間の距離である300m北の川越町豊田地区に富洲原駅が移動した[2]

現在の駅の所在地が四日市市富洲原地区ではなく同町豊田地区である事から、平成初期は『富洲原川越駅』を提案していたが、のちに駅名を『川越富洲原駅』とする条件に変え、川越町が駅整備事業を全額負担する前提で近鉄と交渉を行ってきた。この結果、2009年平成21年)3月20日に駅名を「富洲原駅」から「川越富洲原駅」に改称した[3]。東口広場と西口広場には駅前広場が設けられ、「川越富洲原駅前交番」が設置された。なお、近鉄が所有するのは改札内のみであり、橋上のその他の施設はエレベーターも含め、川越町道となっている。

1945年(昭和20年)に建築された旧富洲原駅の駅舎は切り妻風の木造平屋建てであり、面積は約150m2で現存する駅舎では数少ない木造駅舎建築物であり、貴重な近代化遺産として文化財レベルの価値がある事から、文化財として移設して保存する運動もあったが、橋上駅化後に取り壊された。

年表

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駅構造

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ホーム

島式ホーム2面4線を持つ待避可能な地上駅である。ホーム長は停車目標上は5両編成だが、待避線は6両編成の停車に対応している。トイレは改札内にある。

桑名駅管理の有人駅だが令和5年頃に自動通報装置無人駅化される。PiTaPaICOCA対応の自動改札機および自動精算機回数券カードおよびICカードのチャージに対応)が設置されている。

のりば

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のりば 路線 方向 行先
1・2 E 名古屋線 下り 伊勢中川方面[8]
3・4 上り 近鉄名古屋方面[8]
  • 内側2線(2番線と3番線)が主本線、外側2線(1番線と4番線)が待避線で、特急・急行の待避が行われる[9]
  • 4番線は四日市方面への発車が可能で、1番線は保線車両の基地に繋がっている。

利用状況

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「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである[10]

年度 一日平均
乗車人員
1997年 3,422
1998年 3,400
1999年 3,367
2000年 3,387
2001年 3,269
2002年 3,167
2003年 3,183
2004年 3,142
2005年 3,117
2006年 3,088
2007年 3,078
2008年 3,041
2009年 3,028
2010年 3,128
2011年 3,133
2012年 3,218
2013年 3,359
2014年 3,325
2015年 3,404
2016年 3,490
2017年 3,539
2018年 3,632
2019年 3,615
2020年 2,815

当駅の利用状況の変遷を下表に示す。

  • 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。
  • 乗降人員調査結果は、任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事などの要因によって変動が大きいので、年度間の比較には注意を要する。
  • 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(富洲原駅)
年度 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 乗降人員調査結果
人/日
特記事項
通勤定期 通学定期 定期外 合 計 調査日 調査結果
1950年(昭和25年) 649,380 ←←←← 439,922 1,089,302      
1951年(昭和26年) 772,710 ←←←← 449,066 1,221,776      
1952年(昭和27年) 666,120 ←←←← 468,145 1,134,265      
1953年(昭和28年) 684,270 ←←←← 466,293 1,150,563      
1954年(昭和29年) 723,000 ←←←← 489,921 1,212,921      
1955年(昭和30年) 831,570 ←←←← 509,751 1,341,321      
1956年(昭和31年) 900,930 ←←←← 548,198 1,449,128      
1957年(昭和32年) 930,450 ←←←← 525,665 1,456,115      
1958年(昭和33年) 1,000,230 ←←←← 610,509 1,610,739      
1959年(昭和34年) 1,178,400 ←←←← 407,184 1,585,584      
1960年(昭和35年) 1,370,700 ←←←← 400,667 1,771,367      
1961年(昭和36年) 1,261,800 ←←←← 409,797 1,671,597      
1962年(昭和37年) 1,454,550 ←←←← 449,061 1,903,611      
1963年(昭和38年) 1,551,210 ←←←← 453,827 2,005,037      
1964年(昭和39年) 1,651,590 ←←←← 469,771 2,121,361      
1965年(昭和40年) 1,437,270 ←←←← 458,987 1,896,257      
1966年(昭和41年) 1,336,320 ←←←← 404,591 1,740,911      
1967年(昭和42年) 1,336,920 ←←←← 423,238 1,760,158      
1968年(昭和43年) 1,281,720 ←←←← 420,402 1,702,122      
1969年(昭和44年) 1,261,440 ←←←← 456,065 1,717,505      
1970年(昭和45年) 1,264,620 ←←←← 466,058 1,730,678      
1971年(昭和46年) 1,232,550 ←←←← 484,454 1,717,004      
1972年(昭和47年) 1,194,150 ←←←← 503,103 1,697,253      
1973年(昭和48年) 1,160,700 ←←←← 497,050 1,657,750      
1974年(昭和49年) 1,285,050 ←←←← 500,591 1,785,641      
1975年(昭和50年) 1,287,390 ←←←← 501,481 1,788,871      
1976年(昭和51年) 1,190,010 ←←←← 471,186 1,661,196      
1977年(昭和52年) 1,169,550 ←←←← 493,536 1,663,086      
1978年(昭和53年) 1,181,400 ←←←← 473,282 1,654,682      
1979年(昭和54年) 1,144,140 ←←←← 470,444 1,614,584      
1980年(昭和55年) 1,150,290 ←←←← 468,709 1,618,999      
1981年(昭和56年) 1,148,310 ←←←← 451,108 1,599,418      
1982年(昭和57年) 1,116,570 ←←←← 458,362 1,574,932 11月16日 7,829  
1983年(昭和58年) 1,106,430 ←←←← 450,704 1,557,134 11月8日 8,110  
1984年(昭和59年) 1,048,170 ←←←← 407,552 1,455,722 11月6日 7,275  
1985年(昭和60年) 1,005,000 ←←←← 400,950 1,405,950 11月12日 6,878  
1986年(昭和61年) 994,260 ←←←← 396,170 1,390,430 11月11日 6,644  
1987年(昭和62年) 977,700 ←←←← 375,614 1,353,314 11月10日 6,871  
1988年(昭和63年) 983,670 ←←←← 387,533 1,371,203 11月8日 7,040  
1989年(平成元年) 978,870 ←←←← 372,294 1,351,164 11月14日 6,558  
1990年(平成2年) 981,000 ←←←← 371,380 1,352,380 11月6日 7,272  
1991年(平成3年) 1,034,400 ←←←← 369,923 1,404,323      
1992年(平成4年) 1,025,610 ←←←← 357,300 1,382,910 11月10日 6,866  
1993年(平成5年) 1,000,980 ←←←← 369,578 1,370,558      
1994年(平成6年) 995,700 ←←←← 363,788 1,359,488      
1995年(平成7年) 989,160 ←←←← 372,800 1,361,960 12月5日 6,575  
1996年(平成8年) 971,640 ←←←← 359,163 1,330,803      
1997年(平成9年) 906,870 ←←←← 342,260 1,249,130      
1998年(平成10年) 902,400 ←←←← 338,622 1,241,022      
1999年(平成11年) 894,810 ←←←← 337,448 1,232,258      
2000年(平成12年) 891,240 ←←←← 344,900 1,236,140      
2001年(平成13年) 872,070 ←←←← 320,954 1,193,024      
2002年(平成14年) 842,130 ←←←← 313,910 1,156,040      
2003年(平成15年) 852,780 ←←←← 312,163 1,164,943      
2004年(平成16年) 849,420 ←←←← 297,265 1,146,685      
2005年(平成17年) 836,730 ←←←← 301,085 1,137,815 11月8日 5,887  
2006年(平成18年) 823,410 ←←←← 303,589 1,126,999      
2007年(平成19年) 817,260 ←←←← 309,293 1,126,553      
2008年(平成20年)   ←←←←     11月18日 5,777  
2009年(平成21年) 814,740 ←←←← 290,511 1,105,251      
2010年(平成22年)   ←←←←          
2011年(平成23年)   ←←←←          
2012年(平成24年)   ←←←←          
2013年(平成25年)   ←←←←          
2014年(平成26年)   ←←←←          

近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通り[11]

調査日 一日
乗降人員
2005年11月8日 5,887
2008年11月18日 5,777
2010年11月9日 5,630
2012年11月13日 5,375
2015年11月10日 6,017
2018年11月13日 6,257
2021年11月9日 5,053
2022年11月8日 5,233
2023年11月7日 5,200

駅周辺

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駅周辺(2010年7月)

その他

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三岐鉄道がかつて当駅と富田駅とを結ぶ「富洲原新線」を1959年(昭和34年)頃に構想したことがある。富田駅からスイッチバックする形で富洲原駅に乗り入れる計画で、これは同社三岐線の旅客の大半が富田駅から近鉄に乗り換えていたことから計画されたものであった。しかし貨物輸送の増加がする中で旅客列車を富田駅でスイッチバックさせる形態が運用上のネックとなったため、この計画は中止された。近鉄への乗り入れは後年三岐朝明駅(現・信号場)から分岐して近鉄富田駅に乗入れる「近鉄連絡線」の建設によって結実する[12]

駅名のローマ字表記は、2009年(平成21年)の改称直後は「川越」と「富洲原」の間にハイフンのない"KAWAGOETOMISUHARA"と綴られていた[13]が、2015年(平成27年)の駅ナンバリング導入の際、大文字・小文字混じり表記に変更し、"Kawagoe-Tomisuhara"とハイフンが入るようになった[14]

隣の駅

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近畿日本鉄道
E 名古屋線
急行
通過
準急・普通
伊勢朝日駅 (E15) - 川越富洲原駅 (E16) - 近鉄富田駅 (E17)

脚注

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  1. ^ 川越駅と須賀浦海水浴場の記述『想い出の伊勢電特急「はつひ」で85分の旅』
  2. ^ 『平成時代発行の川越町史』523ページの22行目 - 23行目の交通機関の項目
  3. ^ a b 来春、名古屋線の「富洲原駅」を「川越富洲原駅」に駅名変更します』(PDF)(プレスリリース)近畿日本鉄道/川越町、2008年11月21日。オリジナルの2020年9月27日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20200927154007/https://www.kintetsu.jp/news/files/20081121tomisuhara.pdf2020年12月27日閲覧 
  4. ^ a b c d 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 2号 近畿日本鉄道 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月22日、18-23頁。ISBN 978-4-02-340132-7 
  5. ^ a b 近畿日本鉄道『近畿日本鉄道100年のあゆみ』2010年、p.156
  6. ^ 平成19年4月1日から、近鉄主要路線でICカードの利用が可能になります 併せて、KIPS PiTaPaカードによるお得なポイントサービス「近鉄ポイントプログラム」を導入します』(PDF)(プレスリリース)近畿日本鉄道、2007年1月30日。オリジナルの2020年12月27日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20201227081755/https://www.kintetsu.jp/news/files/iccard20070130.pdf2020年12月27日閲覧 
  7. ^ 3月20日(祝・金) 近鉄富洲原駅が川越富洲原駅に!」(pdf)『広報かわごえ』第424号、川越町、2009年4月、11頁、2016年3月16日閲覧 
  8. ^ a b 駅の情報|川越富洲原”. 近畿日本鉄道. 2022年1月9日閲覧。
  9. ^ 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.150 - p.157・p.162 - p.184・p.308 - p.315・p.320 - p.342
  10. ^ 三重県統計書 - 三重県
  11. ^ 駅別乗降人員 名古屋線 - 近畿日本鉄道
  12. ^ 三岐鉄道 80年の歩み――第5話 鉄道の近代化【-1982(昭和57)年】”. 三岐鉄道 (2011年8月1日). 2018年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月17日閲覧。
  13. ^ 『近鉄時刻表』(編集・発行 近畿日本鉄道営業企画部)、2014年9月21日ダイヤ変更号、149頁等の駅名ローマ字表記
  14. ^ 名古屋線の英語版停車駅案内、近畿日本鉄道ウェブサイト、2016年1月10日閲覧

関連項目

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外部リンク

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