岩倉市立岩倉北小学校

岩倉市立岩倉北小学校
地図北緯35度17分6.6秒 東経136度52分14.3秒 / 北緯35.285167度 東経136.870639度 / 35.285167; 136.870639座標: 北緯35度17分6.6秒 東経136度52分14.3秒 / 北緯35.285167度 東経136.870639度 / 35.285167; 136.870639
過去の名称 岩倉町立岩倉北小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 岩倉市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B123210007943 ウィキデータを編集
所在地 482-0043
愛知県岩倉市本町南新溝廻間2
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

岩倉市立岩倉北小学校(いわくらしりついわくらきたしょうがっこう)は、愛知県岩倉市にある公立小学校

概要

[編集]
  • 校区は栄町、中本町(一部を除く)本町(一部)、西市町、新柳町、泉町、中野町、宮前町、東町(仙奈、掛目を除く)、鈴井町、石仏町(岩塚、五山寺の一部)であり、岩倉市立岩倉中学校に進学する[1]

沿革

[編集]
  • 1873年(明治6年)
    • 9月25日 - 丹羽郡石仏村に先進学校が開校。稲原寺[注釈 1]を仮校舎とする。
    • 9月30日 - 丹羽郡岩倉村に第三中学区第三十五番小学校が開校。岩倉村の神明大一社の神官の家を仮校舎とする。
  • 1874年(明治7年)4月24日 - 第三中学区第三十五番小学校が神明大一社[注釈 2]境内に校舎を新築し、移転。
  • 1876年(明治9年)
    • 6月18日 - 先進学校が幼川学校に改称する。八剣村、神野村、石仏村の児童が通学する。石仏村字長福寺に校舎を新築し、移転。
    • (時期不明) - 第三中学区第三十五番小学校が岩倉学校に改称する。
  • 1885年(明治18年) - 丹羽郡葉栗郡第一番高等小学校稲置村)、丹羽郡葉栗郡第二番高等小学校(小折村)、丹羽郡葉栗郡第三番高等小学校(島村)を統合し、公立涵養学校となる。小折村に設置。
  • 1886年(明治19年) -
    • 岩倉学校が尋常小学岩倉学校に改称する。岩倉村、八剱村の児童が通学する。
    • 幼川学校が尋常小学加納馬場学校に改称する。神野村、石仏村、加納馬場村、芝原村、佐野村の児童が通学する。
  • 1889年(明治22年)10月1日 -
    • 10月1日 - 町村制により岩倉村が発足。
    • 10月1日 - 井上村、八劒村、神野村、石仏村、加納馬場村、芝原村が合併し、幼村が発足。
    • (時期不明) - (第一番高等小学校、第二番高等小学校、第三番高等小学校を統合し、小折村に丹羽郡葉栗郡高等小学校を設置。
  • 1892年(明治25年) -
    • 岩倉村が町制施行し、岩倉町となる。
    • 尋常小学岩倉学校が岩倉尋常小学校に改称する。
    • 尋常小学加納馬場学校が幼尋常小学校に改称する。井上は小折尋常小学校校区から幼尋常小学校校区に移る。
    • 丹羽郡葉栗郡高等小学校が分立し、第一高等小学校(小折村)、第二高等小学校(島村)、第三高等小学校(二川村)が分立する。
  • 1894年(明治27年) - 第三高等小学校が三重島村に移転し、三重島高等小学校に改称する。
  • 1902年(明治35年) - 第一高等小学校と三重島高等小学校を統合し岩倉町に移転。岩倉高等小学校となる。
  • 1906年(明治39年)5月1日 - 岩倉町、幼村の(井上、八剣、神野、石仏)[注釈 3]島野村豊秋村が合併し、岩倉町となる。
  • 1907年(明治40年)1月 -
    • 岩倉尋常小学校が岩倉第二尋常小学校に改称する。
    • 幼尋常小学校が岩倉第一尋常小学校に改称する。校区は旧・幼村の井上、八剣、神野、石仏となり、旧・幼村の加納馬場と芝原は千秋第一尋常小学校に移る。
  • 1908年(明治42年)
    • 4月 - 岩倉第二尋常小学校と岩倉高等小学校を統合し、岩倉尋常高等小学校に改称する。
    • 9月 - 岩倉尋常高等小学校に岩倉第一尋常小学校が統合される。校区は、校区は、高等科が岩倉町全域、尋常科が岩倉、井上、八剣、神野、石仏。統合校舎は無く、旧・岩倉第二尋常小学校と旧・岩倉第一尋常小学校の校舎を使用する。
  • 1916年(大正5年) - 統合校舎が完成する。
  • 1918年(大正7年)4月1日 - 岩倉女子実業補習学校を併設する。
  • 1919年(大正8年)2月25日 - 岩倉男子実業補習学校を併設する。
  • 1926年(大正15年) - 本館が完成する。青年訓練所を併設する。
  • 1935年(昭和10年)7月1日 - 岩倉女子実業補習学校、岩倉男子実業補習学校、青年訓練所を統合し、岩倉町青年学校が開校する。岩倉尋常高等小学校に併設する。
  • 1939年(昭和14年)10月1日 - 青年学校女子部を併設する。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 岩倉国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 岩倉町立岩倉北小学校に改称する。
  • 1951年(昭和26年) - 校舎を増築する。
  • 1954年(昭和29年)9月 - 校舎を大修理する。
  • 1961年(昭和36年)8月4日 - 新校舎(鉄筋コンクリート造3階建)が完成する。
  • 1965年(昭和40年)5月26日 - 体育館が完成する。
  • 1966年(昭和41年)4月1日 - 岩倉町立岩倉東小学校を分離する。
  • 1967年(昭和42年)2月8日 - 校舎(鉄筋コンクリート造3階建)を増築する。
  • 1969年(昭和44年)7月25日 - 本館(鉄筋コンクリート造3階建)が完成する。
  • 1971年(昭和46年)12月1日 - 市制施行し岩倉市が発足。同時に岩倉市立岩倉北小学校に改称する。
  • 1976年(昭和51年)4月1日 - 岩倉市立五条川小学校を分離する。
  • 1981年(昭和56年)4月1日 - 岩倉市立曽野小学校を分離する。

交通アクセス

[編集]

著名な出身者

[編集]

参考文献

[編集]
  • 岩倉市史 中巻 (岩倉市史編集委員会 1985年) P.569 - 622 916 - 953 1172 - 1180
  • 岩倉町史 (岩倉町史編纂委員会 1955年) P.387 - 397 504 - 512

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 現在の愛知県岩倉市石仏町中屋敷597-1(当時の愛知県丹羽郡石仏村49)にある寺院。
  2. ^ 現在の愛知県岩倉市中本町西出口4(当時の愛知県丹羽郡岩倉村162)にある神社。
  3. ^ 幼村の加納馬場と芝原は、豊富村青木村浮野村と合併し、千秋村となる。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]