川越壮介
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川越 壮介(かわごえ そうすけ、1876年(明治9年)2月6日 - 1954年(昭和29年)3月10日)は、日本の内務官僚。鹿児島県出身。
経歴
[編集]川越重常の二男として生まれる。鹿児島高等中学造士館予科[1]、第五高等学校を経て、1902年(明治35年)、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り神奈川県属となる。岩手県事務官、鳥取県事務官・警察部長、香川県事務官・警察部長、奈良県事務官・内務部長、徳島県・長野県・福岡県の各内務部長などを歴任。
1919年(大正8年)4月より沖縄県知事を務め、1921年(大正10年)5月から1924年(大正13年)6月まで徳島県知事を務めた。1926年(大正15年)6月23日、休職満期となり退官した[2]。
その後、1927年(昭和2年)12月から1935年(昭和10年)2月まで宮崎県で宮崎市長を務めた。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
公職 | ||
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先代 大迫元繁 | 宮崎市長 第2-3代:1927 - 1935 | 次代 柿原政一郎 |