平井啓之

平井 啓之
人物情報
生誕 (1921-04-10) 1921年4月10日
日本の旗 日本京都府
死没 1992年12月27日(1992-12-27)(71歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 フランス文学
研究機関 東京大学立教大学桃山学院大学
テンプレートを表示

平井 啓之(ひらい ひろゆき、1921年4月10日 - 1992年12月27日)は、日本のフランス文学者翻訳家

経歴

[編集]
出生から修学期

1921年、京都府で生まれた。第三高等学校を経て、東京帝国大学フランス文学科に入学。在学中の1943年に学徒出陣で応召。戦後復員し、1948年に東京大学を卒業した。

フランス文学研究者として

卒業後は、東京大学教養学部仏文科助手に採用された。1952年、新制東京大学教養学部専任講師となり、1954年に助教授、のち教授昇格。しかし、1969年に大学紛争が起こると辞職。その後は、立教大学教授、桃山学院大学教授を務めた。

戦争天皇制を批判し続け、左翼的な姿勢を鮮明にした学者であった。わだつみ会発足当時からの会員で、のち常任理事をつとめた。1992年に死去。

研究内容・業績

[編集]

専門はフランス文学で、アルチュール・ランボージャン=ポール・サルトルの作品を研究対象とした。 1955年、東大生だった宇能鴻一郎が授業中にガムを噛んでいたのを叱り、宇能は授業に出なくなったという[1]

著作

[編集]
著書
訳書

脚注

[編集]
  1. ^ 『ある戦後』