恩田えり
本名 | |
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生年月日 | 1971年9月5日(53歳) |
出身地 | 日本・東京都中野区 |
活動期間 | 2003年 - |
活動内容 | 寄席囃子奏者 |
所属 | 落語協会 |
恩田 えり(おんだ えり、1971年9月5日[1] - )は、落語協会に所属する寄席囃子奏者。血液型はO型、東京都中野区出身。本名:恩田 恵理。
経歴
[編集]中野区立第十一中学校、東京都立豊多摩高等学校[2]、日本大学法学部卒業[1]。
会社員として働いている時に海外へのホームステイを経て日本文化を知りたいと思い立ち、その中で出会った寄席に長い時間いたいと考えるようになる。会社で知り合いの落語家[3]に相談したところ「女性はお囃子かお茶子か席亭」とアドバイスを受ける。長唄三味線を自主的に4年間稽古した後[4]、2001年、国立劇場伝統芸能伝承者養成機関(寄席囃子コース)第11期入学。養成所の同期は松本優子(現:桂小すみ、落語芸術協会所属)。
養成所修了後の2003年に落語協会に入会、寄席囃子奏者として所属。寄席や落語会で寄席囃子を弾き、原則寄席を裏方として支えている。
柳家小三治に「恩田えりは宇宙人か」[5]と言わせた独特のキャラクターを持ち、演奏曲のレパートリーも広く仲間から愛されている。高座に上がって色物として「ひとり高座実録シリーズ」を披露したり、海外で「寄席囃子教室」を開くなどの経験も多彩。
人物
[編集]- 趣味は草野球・映画鑑賞・プロレス観戦・義太夫語り。
- 姉が2人いる[2]。えりが12~3歳の頃、父親が仕事でスワジランド(当時)に単身赴任しており、家族で会いに行ったことがある[6]。
- 春風亭百栄と漫才コンビ「ウニウミウシ」を結成、2007年にM-1に出場。フリーランスとして三回戦まで進出した[7][8]。
著書
[編集]- お囃子えりちゃん 寄席ばなし(絵:新子友子)(イースト・プレス、2012年)ISBN 9784781606996
出演
[編集]映画
[編集]ラジオ
[編集]- すっぴん!(NHKラジオ第一) - 「お囃子えりちゃんの職人ええじゃないか」 リポーター
- ラジオ深夜便(NHKラジオ)-「にっぽんの音(大蔵基誠)」 - ゲスト(2022年8月22日、鈴本演芸場・鈴木敦と共に)
配信
[編集]- 立川談笑の落語研究室(ラジオデイズ、2011年)
- 夢空間チャンネル 三遊亭兼好「干物箱」【落語教育委員会】第二夜【お囃子さん・恩田えり】(2020年6月) - YouTube
- <ハイライト>第3回「志ん輔と仲間たち」【ゲストは寄席お囃子奏者の恩田えりさん!】(毎日新聞社・毎日企画サービス、2021年6月4日) - YouTube
脚注
[編集]- ^ a b “自己紹介 恩田えり”. 大和田落語会. 2022年5月11日閲覧。
- ^ a b “よせばやし子の一日”. 豊多摩リンクス. 豊多摩同窓会 (2011年3月5日). 2022年5月11日閲覧。
- ^ 五代目円楽一門会所属の三遊亭洋楽(2017年死去)。
- ^ 「【笑ってお別れ 国立演芸場】伝承者養成事業 - 寄席囃子・恩田えりさん、太神楽・鏡味味千代さん」『読売新聞』2023年8月6日。
- ^ 恩田えり『お囃子えりちゃん 寄席ばなし』イースト・プレス、2012年2月25日、表紙帯頁。
- ^ 恩田えり『お囃子えりちゃん 寄席ばなし』イースト・プレス、2012年2月25日、133-135頁。
- ^ “11/25(日) 3回戦・東京 ルミネtheよしもと”. M-1GPアーカイブ. M-1グランプリ事務局 (2007年11月25日). 2022年5月11日閲覧。
- ^ 「ウニウミウシ」の漫才は、DVD『百栄の落語「芝浜やりたい!」「最後のジュゲム」』(竹書房、2013年)に収録されている。
外部リンク
[編集]- 恩田えり (@umiushikame1010) - X(旧Twitter)
- アーティストプロフィール 恩田えり - ラジオデイズ
- オンダエリの「よせばやし子の一日」
- 恩田えり - 落語協会