斎藤邦唯
さいとう くにただ 斎藤 邦唯 | |
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本名 | 同 |
生年月日 | 1929年11月17日(94歳) |
出生地 | 日本 東京府 |
職業 | 俳優、映画プロデューサー |
ジャンル | 劇場用映画(現代劇・時代劇、成人映画)、テレビ映画(現代劇)、テレビ放送劇、演劇(新劇・新国劇) |
活動期間 | 1949年 - 1966年 |
所属劇団 | 文学座 新国劇 |
事務所 | 綜芸プロダクション 衣笠プロダクション 扇映画プロダクション |
主な作品 | |
映画 『あばずれ』(製作) テレビ映画 『警視庁鑑識科学シリーズ 決め手』(出演) |
斎藤 邦唯(さいとう くにただ、1929年11月17日 - )は、日本の俳優、映画プロデューサーである[1][2][3][4][5][6]。扇映画プロダクション代表[7]。テレビ映画、テレビドラマの出演者として知られていたが[1][6]、映画製作者に転向、渡辺護を監督に抜擢、渡辺のデビューから第9作までを手がけた[8][9][10][11]。
別字である斉藤 邦唯、誤記である斎藤 邦雄でクレジットされたこともある[2][5][6]。
人物・来歴
[編集]舞台俳優からテレビ俳優へ
[編集]1929年(昭和4年)11月17日、東京府(現在の東京都)に生まれる[1]。本名は同じ[1]。
第二次世界大戦初期の1942年(昭和17年)4月に旧制中学校に入学、戦後の1947年(昭和22年)3月に卒業した[1]。文学座が巣鴨に附属演劇研究所を開校した1949年(昭和24年)[12]、同劇団に入団する[1]。同年に入団した俳優に高木均[13]、同じく文芸部員には矢代静一[14]がいた。その後、同団を退団して島田正吾・辰巳柳太郎の新国劇に移籍、次いで、演劇畑を歩んできたが、竹井諒(1901年 - 1970年)が1949年に設立した綜芸プロダクションに移り、映画界に転向した[1]。当時の同プロダクションの作品は、嵐寛寿郎主演の『鞍馬天狗』を中心とした時代劇・剣戟映画が中心であった[15][16][17]。その後、1954年(昭和29年)に製作を再開した日活に入社する[1]。この時代の出演作についての資料は残っていない[1][2][3][4][5][6]。
1957年(昭和32年)には、日本テレビ放送網が16mmフィルムとVTRを駆使して製作し、日本で初の刑事ドラマとされる『ダイヤル110番』[18]に出演した[1]。次いで同年10月7日に放送を開始した朝丘雪路の主演作『すいれん夫人とバラ娘』に出演[1][6]、同作は、渥美清のテレビデビュー作として知られる[19]。『テレビ大鑑 1958』によれば、同書が発行された1958年(昭和33年)6月20日時点では、衣笠プロダクションに所属しており、東京都北多摩郡国立町(現在の国立市)に住んでいた旨の記述がある[1]。当時の民間テレビ局は、16mmフィルムを媒体として製作するテレビ映画に力を注いでおり、斎藤は、中部日本放送(現在のCBCテレビ)が主体となって中央映画貿易とともに製作、1959年(昭和34年)5月17日に放映を開始したテレビ映画『警視庁鑑識科学シリーズ 決め手』に助演した[6][20]。同作の監督の都成潔は東宝[21]から、テレビ映画の宣弘社プロダクションと渡り歩いた人物であり[22][23]、斎藤はさらにフィルムの世界に進んでいった[2][3][4][5][6]。
折込広告社(現在のオリコム)が製作し、前年4月1日に放映を開始した連続テレビ映画『まぼろし探偵』が人気を博したため、映画化が決まり、三東映画が製作し、新東宝が配給、1960年(昭和35年)2月14日に公開された劇場用映画『まぼろし探偵 地底人襲来』に「橋本」役で出演した[3][4][5]。同作は、テレビ版に引き続き吉永小百合が出演していることでも知られる[24][25]。同年7月5日からは、連続テレビ映画『アラーの使者』が放映を開始、同作に「宇野刑事」役で出演した[6]。同作には、のちに斎藤が製作した渡辺護の監督作『情夫と牝』(1965年10月公開)、『浅草の踊子 濡れた素肌』(1966年1月公開)、『うまず女』(1966年3月22日公開)、『絶品の女』(1966年7月12日公開)に出演した武藤周作が「紅とかげ団四号」役で出演している[6][26]。「紅とかげ団一号」役を演じた福島亨は、のちにメトロ芸能社映画部で『女のふくらみ』(監督鶴巻次郎、主演桂奈美、1966年7月公開)を製作した[27]。その後、斎藤は、映画の製作スタッフに転向した[28]。
映画製作者に転向
[編集]渡辺護の回想によれば、1964年(昭和39年)、渡辺が助監督を務めた『悶える女子学生』(監督南部泰三、同年11月公開)では、斎藤は、同作の製作を務めていたという[28]。同作の宣伝ポスターには、「斉藤邦雄」の表記(誤記)で出演者としてクレジットされている[29]。満35歳であった1965年(昭和40年)4月には、扇映画プロダクションを設立、製作を開始する[7]。設立第1作は同年6月に公開された『あばずれ』[30]、同作は抜擢された渡辺護の第1回監督作品でもあり[26]、斎藤は「製作」にクレジットされた[31]。同作は旧・新東宝関西支社の後身である新東宝興業(現在の新東宝映画)が配給したが、出資者は俳優の伊豆肇であったという[32]。
1966年(昭和41年)8月23日に公開された『女子大生の抵抗』(監督渡辺護)をもって、扇映画プロダクションは活動を停止した[9][33][34]。同社の活動停止以降、斎藤邦唯の活動は不明であるが[2][3][4][5][6]、生前の渡辺護(2013年12月24日死去)は、斎藤とは「まだつきあいがあります」と語っていた[28]。その後も存命であれば2015年(平成27年)には86歳になる[1]。
フィルモグラフィ
[編集]特筆以外すべて「出演」である[1][2][3][4][5][6]。東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、デジタル・ミーム等での所蔵状況も記した[2][35]。
1950年代
[編集]- 『ダイヤル110番』 : 企画北川信、製作日本テレビ放送網、1957年9月3日 - 1964年9月6日放送(連続テレビ放送劇・全364回) - 1957年に出演[1]
- 『すいれん夫人とバラ娘』 : 演出不明、原作中野実、脚本若尾徳平、主演朝丘雪路、製作日本テレビ放送網、1957年10月7日 - 同年11月11日放送(連続テレビ放送劇・中野実アワー・全6回) - 出演
- 『相棒』 : 演出不明、原作加茂七三朗、主演長門裕之・西村晃、製作日本テレビ放送網、1957年10月23日放映(テレビ放送劇) - 出演
- 『日本の歌』 : 演出池田義一・緒方勉・北川信、製作日本テレビ放送網、1957年 - 1958年放送[1](連続テレビ放送劇・回数不明) - 出演(回不明)
- 『蛮茶物語』 : 演出不明、脚本北條誠、主演北原隆、製作日本テレビ放送網、1957年12月30日 - 1958年3月31日放映(連続テレビ放送劇・全14回) - 出演
- 『特ダネをにがすな!』 : 監修岡田録右エ門、監督小松達郎、脚本長谷川公之・窪田篤人・山口純一郎・西島大・久板栄二郎、製作KR・電通企画第一部、1956年10月19日 - 1959年5月29日放映(連続テレビ映画・全134回) - 1958年に出演[1]
- 『赤西蛎太』 : 演出安藤勇二、原作志賀直哉、脚本川内康範、主演田崎潤、製作日本テレビ放送網、1958年1月7日 - 同28日放映(連続テレビ放送劇・山一名作劇場・全4回) - 出演
- 『警視庁鑑識科学シリーズ 決め手』 : 製作星野登、監督都成潔、脚本咲坂比呂志・松田伊佐夫・荒木芳久、主演天津敏、共演里木三郎・大木弦介、製作中部日本放送・中央映画貿易、1959年5月17日 - 同年11月8日放映(連続テレビ映画・全26回) - 出演
1960年代
[編集]- 『まぼろし探偵 地底人襲来』 : 製作松村高勇、企画山部徹郎、監督近藤龍太郎、原作桑田次郎、原案関沢新一、脚本柳川創造、主演加藤弘、製作三東映画・竜映、配給新東宝、1960年2月14日公開(映倫番号 11804) - 出演・「橋本」役、原版が現存・VHSが発売
- 『アラーの使者』 : 企画佐藤正道・松丸青史、監督近藤龍太郎、原作川内康範、脚本松原佳成、主演千葉真一、製作東映テレビプロダクション・NETテレビ、1960年7月5日 - 同年12月27日放映(連続テレビ映画・全26回) - 出演・「宇野刑事」役、30分尺の第1話のみ現存・東映チャンネルが放映[36]
- 『少年ケニヤ』 : 企画中井義、監督仲木睦、原作山川惣治、構成松浦健郎、脚本松浦健郎・朝島靖之助、主演山川ワタル、製作東映・NETテレビ、1961年5月4日 - 1962年2月8日放映(連続テレビ映画・全41回) - 出演・「アルマス」役
- 『特別機動捜査隊』第10回『強奪の果て』 : 監督不明、主演波島進、製作東映テレビプロダクション・NETテレビ、1961年12月20日放映(テレビ映画・日立ファミリースコープ) - 出演
- 『目撃者』 : 演出安江泰雅、作有高扶桑、主演土方弘、製作NHK教育テレビジョン、1962年8月11日放送(テレビ劇映画・創作劇場) - 出演・「アル中」役
- 『悶える女子学生』 : 製作羽深光児、監督南部泰三、脚本南部泰三・壺井昭治、助監督渡辺護、主演黒木純一郎・原れい子、製作高千穂映画、配給センチュリー映画社、1964年11月公開(成人映画・映倫番号 13785) - 製作[28]・出演[29]
1965年4月の扇映画プロダクション設立以降のフィルモグラフィは、
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q キネ旬[1958], p.137.
- ^ a b c d e f g 斎藤邦雄(誤記)、東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年5月29日閲覧。
- ^ a b c d e f 斎藤邦唯、文化庁、2015年5月29日閲覧。
- ^ a b c d e f 斎藤邦唯、KINENOTE, 2015年5月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g 斎藤邦唯・斉藤邦唯、日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 斎藤邦唯・斉藤邦唯・斎藤邦雄(誤記)、テレビドラマデータベース、2015年5月29日閲覧。
- ^ a b 田中[1976], p.85-86.
- ^ 年鑑[1967], p.325-333.
- ^ a b 年鑑[1968], p.317.
- ^ キネ旬[1973], p.26, 59-60, 69, 86, 93, 107, 115.
- ^ 渡辺護1931-2013(前)、井川耕一郎、2014年7月21日付、2015年5月29日閲覧。
- ^ 文学座とは、文学座、2015年5月29日閲覧。
- ^ 高木均、コトバンク、2015年5月29日閲覧。
- ^ 矢代静一、コトバンク、2015年5月29日閲覧。
- ^ 1951年 公開作品一覧 216作品、日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
- ^ 1952年 公開作品一覧 287作品、日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
- ^ 1953年 公開作品一覧 321作品、日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
- ^ 日テレ[2005], p.114.
- ^ 佐藤[1992], p.27.
- ^ 中日[1960], p.330.
- ^ 都成潔、東宝、2015年5月29日閲覧。
- ^ 都成潔 - テレビドラマデータベース、2015年5月29日閲覧。
- ^ 都城潔 - テレビドラマデータベース(誤記)、2015年5月29日閲覧。
- ^ まぼろし探偵、テレビドラマデータベース、2015年5月29日閲覧。
- ^ 吉永小百合 - 日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
- ^ a b 渡辺護 - 日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
- ^ 福島亨 - 日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
- ^ a b c d 『悶える女子学生』を製作したやつは斉藤邦唯って言って、まだつきあいがありますけど、井川耕一郎、2013年8月3日付、2015年5月29日閲覧。
- ^ a b 悶える女子学生、高千穂映画・センチュリー映画社、1964年11月。
- ^ 1965年 公開作品一覧 509作品、日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
- ^ 渡辺護 はじまりから、最後のおくりもの。、神戸映画資料館、2014年12月付、2015年5月29日閲覧。
- ^ 渡辺護『あばずれ』の照明は村瀬栄一、井川耕一郎、2013年2月14日付、2015年5月29日閲覧。
- ^ 1966年 公開作品一覧 486作品、日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。
- ^ 大蔵映画黎明期プログラムリスト、PINK HOLIC, トライワークス、2015年5月29日閲覧。
- ^ フィルムリスト検索結果、デジタル・ミーム、2015年5月29日閲覧。
- ^ アラーの使者 #1、東映チャンネル、2015年5月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 『テレビ大鑑 1958』、『キネマ旬報』増刊第207号、キネマ旬報社、1958年6月20日発行
- 『東海の虹 中部日本放送十年史』、中部日本放送、1960年発行
- 『映画年鑑 1967』、時事通信社、1967年発行
- 『映画年鑑 1968』、時事通信社、1968年発行
- 『日本映画作品全集』、『キネマ旬報』増刊第619号、キネマ旬報社、1973年11月20日発行
- 『日本映画発達史 V 映像時代の到来』、田中純一郎、中公文庫、中央公論社、1976年7月10日発行 ISBN 4122003520
- 『みんなの寅さん 「男はつらいよ」の世界』、佐藤忠男、朝日文庫、朝日新聞社、1992年12月発行 ISBN 4022607459
- 『日テレドラマ半世紀』、日本テレビ放送網、2005年7月発行 ISBN 4820399055
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]画像外部リンク | |
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悶える女子学生 1964年11月公開 (高千穂映画・センチュリー映画社) | |
悶える女子学生 同上 | |
あばずれ 1965年6月公開 (扇映画プロダクション・新東宝興業) | |
紅壺 1965年6月公開 (扇映画プロダクション・センチュリー映画社) | |
紅壺 同上 (扇映画プロダクション・日本セントラル映画) | |
情夫と牝 1965年10月公開 (扇映画プロダクション・ムービー配給社) |
- 斎藤邦唯 - KINENOTE
- 斎藤邦唯 - 日本映画データベース
- 斉藤邦唯 - 日本映画データベース
- 斎藤邦雄 - 東京国立近代美術館フィルムセンター (誤記)
- 斎藤邦唯 - 文化庁日本映画情報システム
- 斎藤邦唯 - テレビドラマデータベース
- 斉藤邦唯 - テレビドラマデータベース
- 斎藤邦雄 - テレビドラマデータベース (誤記)