新小山市民病院

新小山市民病院[1]
情報
英語名称 Shin-Oyama City Hospital
前身 小山町国民健康保険直営診療所、下都賀郡市医師会病院
標榜診療科 内科、消化器内科、循環器内科、脳神経内科、脳神経外科、外科、婦人科、整形外科、眼科、小児科、皮膚科、泌尿器科、耳鼻咽喉科、麻酔科、リハビリテーション科、放射線科、心臓血管外科、呼吸器内科、糖尿病・代謝内科、腎臓内科、救急科、アレルギー・リウマチ科、形成外科、病理診断科、血液内科
許可病床数 300[2]
一般病床:300床
開設者 地方独立行政法人新小山市民病院  理事長 島田和幸
管理者 島田和幸(病院長[3]
開設年月日 2016年(平成28年)1月4日[2]
所在地
323-0827
二次医療圏 県南
法人番号 6060005007830 ウィキデータを編集
PJ 医療機関
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移転前の病院

地方独立行政法人新小山市民病院(ちほうどくりつぎょうせいほうじんしんおやましみんびょういん)は、栃木県小山市大字神鳥谷にある地方独立行政法人の病院である。2次救急告示医療機関である[2]

沿革

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昭和21年、小山町国民健康保険直営診療所として開設され(のち小山町国民健康保険病院と改称)、昭和43年に小山市立となる。昭和55年に下都賀郡市医師会病院と合併した際に小山市民病院となり、平成25年には地方独立行政法人に経営形態を変更し、新小山市民病院と改称した。2016年(平成28年)1月4日に小山市若木町から小山市大字神鳥谷(ひととのや)に移転した。

年表

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  • 1946年昭和21年):小山町国民健康保険直営診療所として開設(24床)
  • 1950年(昭和25年):小山町国民健康保険病院に改称(一般24床、結核14床)
  • 1968年(昭和43年):小山市立病院に改称(一般51床、結核24床、伝染24床)
  • 1980年(昭和55年):下都賀郡市医師会病院と合併、小山市民病院と改称
    • 本院(一般98床、結核12床、伝染24床)
    • 分院(一般222床)
  • 1983年(昭和58年):分院休止(一般212床、結核8床)
  • 1985年(昭和60年):総合病院となる(一般244床、結核8床)
  • 1988年(昭和63年):分院廃止
  • 1990年平成2年):南4階病棟休床(平成4年11月再開)
  • 1995年(平成7年):城南高校病院実習棟の建築
  • 1996年(平成8年):結核病床の一般病床への転床(一般330床、伝染10床、人間ドック12床)
  • 1997年(平成9年):院外処方箋発行開始
  • 1999年(平成11年):伝染病棟を感染症病棟へ転床(一般330床、感染症8床、人間ドック12床)
  • 2004年(平成16年):感染症棟廃止、健康健診センターを設置 (一般330床、人間ドック12床)
  • 2013年(平成25年):小山市民病院は地方独立行政法人に経営形態を変更し、新小山市民病院と改称。
  • 2016年(平成28年)1月4日:小山市大字神鳥谷に移転、新病院開院[2]
  • 2022年(令和4年)4月1日:栃木県より地域災害拠点病院に指定[4]

保険指定施設

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  • 保険医療機関(健康保険法国民健康保険法
  • 救急告示病院
  • 労災保険指定医療機関
  • 更生医療指定機関
  • 育成医療指定医療機関
  • 身体障害者福祉法指定医の配置されている医療機関
  • 生活保護法指定医療機関
  • 母体保護法指定医の配置されている医療機関
  • 臨床研修指定病院
  • 栃木県がん治療中核病院
  • 地域医療支援病院

診療科

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アクセス

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ "機能情報詳細表示"(2012年1月18日時点のアーカイブ)、とちぎ医療情報ネット、2009年9月25日閲覧
  2. ^ a b c d 平井隆昭 (2016年1月5日). “脳疾患の患者に24時間救急対応 新小山市民病院が開院”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 栃木全県版 
  3. ^ 院長挨拶”. 地方独立行政法人 新小山市民病院. 2021年8月22日閲覧。
  4. ^ 新小山市民病院だよりNo.37 新小山市民病院 2022年12月17日閲覧

外部リンク

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