明福寺
明福寺 | |
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所在地 | 三重県三重郡菰野町菰野792-1 |
位置 | 北緯35度0分35.3秒 東経136度30分52.3秒 / 北緯35.009806度 東経136.514528度座標: 北緯35度0分35.3秒 東経136度30分52.3秒 / 北緯35.009806度 東経136.514528度 |
山号 | 発起山 |
宗派 | 真宗大谷派 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
正式名 | 発起山明福寺 |
文化財 | 円空仏(町指定文化財) |
法人番号 | 8190005009523 |
明福寺(みょうふくじ)は、三重県菰野町にある真宗大谷派の寺院。
沿革
[編集]開基の法欽は、大和国高市郡越智の出身で、 永正の頃に伊勢へと移り住み、菰野にて念仏道場を開く。教如に帰依して、寺号、本尊、親鸞影絵を授与される。享保の頃に山門と鐘楼を建立。本堂は1854(安政元)年の大地震にて倒壊後、再建された。本堂に安置されている薬師如来/阿弥陀如来像は円空による作[1]。一材の両面に二仏が掘られた「両面仏」と呼ばれる珍しいもので、延宝2年(1674年)の作[1]。町指定有形文化財。13世住職であった賢竜の弟、大正が明治初年の廃仏毀釈により、像が伝来していたが廃寺となった伊勢の常明寺から譲り受けて、明福寺へと持ち帰ったものである[2]。
文化11年(1814年)には、測量に訪れた伊能忠敬がこの寺に宿泊した[3]。昭和36年(1961年)には、俳人の山口誓子が当寺の住職に招かれて寺を訪れ、円空仏に感銘を受けて句を詠んだ[4]。寺には昭和51年(1976年)に建てられたその句碑がある[4]。
文化財
[編集]- 円空作両面仏(菰野町指定文化財)[2]
脚注
[編集]- ^ a b 『微笑みに込められた祈り 円空・木喰展』(2015年)、p.223
- ^ a b 【町指定】円空作両面仏 - 菰野町図書館、円空作両面仏 | こものいろどり.com、34 仏師僧・円空 - 歴史の情報蔵(県史編さんグループ)
- ^ みえの歴史街道/三重県の歴史街道:菰野道・ピックアップエリア1
- ^ a b 三重県内の句碑/句碑詳細:三重郡菰野町明福寺の山口誓子句碑