末光元広
末光 元広 | |
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生誕 | 1888年1月11日 日本 愛媛県 |
死没 | 1958年10月26日(70歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1909年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
末光 元広(すえみつ もとひろ、1888年(明治21年)1月11日[1] - 1958年(昭和33年)10月26日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1888年(明治21年)に愛媛県で生まれた[1]。陸軍士官学校第21期卒業[1]。1936年(昭和11年)3月7日に電信第3大隊長に就任し[2]、8月1日に陸軍航空兵大佐に進級した[2]。1937年(昭和12年)に第3師団司令部附となり[2]、第八高等学校に配属され、1938年(昭和13年)には第4通信隊長に転じた[2]。
1940年(昭和15年)に陸軍少将に進級し[2]、津軽要塞司令官に就任した[1]。1941年(昭和16年)に教育総監部附となり[1]、1942年(昭和17年)に陸軍少年通信兵学校長に就任した[1]。1943年(昭和18年)11月6日には第2方面軍通信隊司令官に転じ[1]、南方方面に出征。1944年(昭和19年)6月19日に第4航空通信司令官に就任し[1]、10月26日に陸軍中将に進級[2]、1945年(昭和20年)6月15日に陸軍歩兵学校附となる[1]。7月16日に第62兵站警備隊を根幹として編成された第148師団長に親補され、武器弾薬が不足する中で、新京で終戦を迎えた[1]。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。