松山区 (台北市)
別称: 錫口 | |
地理 | |
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位置 | 北緯25°02" 東経121°34" |
面積: | 9.2878 km² |
各種表記 | |
繁体字: | 松山 |
日本語読み: | まつやま(慣用読み)[1] しょうざん(漢音読み) |
拼音: | Sōngshān |
注音符号: | ㄙㄨㄥ ㄕㄢ |
片仮名転写: | ソンシャン |
台湾語: | Siông-san |
客家語: | Tshiùng-sân |
行政 | |
行政区分: | 市轄区 |
上位行政区画: | 台北市 |
下位行政区画: | 33里762鄰 |
松山区長: | 薛秋火 |
公式サイト: | 松山区政府 |
情報 | |
総人口: | 209,689 人(2016年1月) |
世帯数: | 80,250 戸(2016年1月) |
郵便番号: | 105 |
市外局番: | 02 |
松山区(ソンシャン/まつやま[2]-く)は、台北市の市轄区。
地理
[編集]台北市の中心部に位置し、区内は住宅地を中心に構成されているが、八徳路及び南京東路周辺は商業地となっている。また台湾国内最大の松山空港を擁し、台北の空の玄関口としての地位を占めている。
歴史
[編集]元来は原住民語で「河の湾曲した場所」を意味するMalysyakkawから麻里錫口社と称されていた。ここで表す河とは基隆河を指している。
1709年、陳頼章による入植が進み、泉州同安人の漢人集落が形成されると、錫口と称されるようになった。日本統治時代の1920年に「附近の丘岡には、島内稀に見る松林を有す」ることに因み内地風地名の「松山(まつやま)」と改称され[3]現在に至る。別に、錫口の風景が愛媛県の松山に似ているから、との説もある。松山改名当初は台北州七星郡に属していた[1]が、1938年に台北市に編入される。戦後は松山区として改編された。「松山」は、日本語では戦前からの慣例で「まつやま」と読むこともあるほか[4]、漢音読みのしょうざん[5]と読むこともある。台北捷運の日本語アナウンスでは「まつやま」が採用されている[6]。
1990年に区南部が信義区として独立し現在に至る。
下部行政区域
[編集]地区 | 里 |
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東社 | 中華里、民福里、東昌里、松基里、龍田里、民有里、東光里、東勢里、精忠里 |
三民 | 三民里、東栄里、新東里、富泰里、介寿里、荘敬里、新益里、富錦里 |
中崙 | 中正里、吉仁里、敦化里、復源里、福成里、中崙里、美仁里、復建里、復勢里 |
本鎮 | 安平里、自強里、新聚里、鵬程里、吉祥里、復盛里、慈祐里 |
教育
[編集]高級中学
[編集]国民中学
[編集]国民小学
[編集]幼稚園
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交通
[編集]種類 | 路線名 | 駅又はIC等設備名称 |
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航空 | 国内線 | 松山空港 |
鉄道 | 縦貫線 | 松山駅 |
台北捷運 | 松山線 | 松山駅 南京三民駅 台北小巨蛋駅 南京復興駅 |
台北捷運 | 内湖線 文山線 | 松山機場駅 中山国中駅 南京復興駅 |
観光
[編集]出典
[編集]- ^ a b “府令 / 臺灣總督府令第47號 / 州、廳ノ位置、管轄區域及郡市ノ名稱、管轄區域”. 官報. p. 167 (1920年9月7日). 2019年7月15日閲覧。
- ^ 「州、廳ノ位置、管轄區域及郡市ノ名稱、位置、管轄區域」大正九年八月十日、臺灣總督府令第四十七號
- ^ 水越幸一「市郡の區域稱呼其所在地並街庄の稱呼等に就て」『臺灣時報』第十六號、大正九年、一四四-一四五頁。
- ^ 台湾 台北の電車内で爆発25人けが2016年7月8日 NHKニュース
- ^ 羽田から台湾へ飛び、「東京水」を売り込む 台北・松山空港に直行便が就航、台湾がより身近になった 猪瀬直樹の「眼からウロコ」 2010年11月9日 日経BP
- ^ Shippo Hsu's Vlog (2024-05-31), [2024年5月 台北捷運 松山新店線 全線日韓文廣播] 2024年10月17日閲覧。