沖種郎
沖 種郎(おき たねお、1925年2月5日 - 2005年)は、日本の建築家、都市計画家。通称「オキタネ」。
人物
[編集]1925年(大正15年)、京都府峰山町に生まれる[1]。1945年(昭和20年)第六高等学校 (旧制)を卒業後、東京大学に入学。1951年(昭和26年)同大工学部建築学科卒業[2]後、大学院修士課程に進学。丹下健三計画研究室に所属し学ぶかたわら、広島平和記念会館本館、神奈川県立図書館・音楽ホール計画、外務省庁舎計画案、広島子供の家、愛知県民館を担当する。1954年(昭和29年)修士課程修了後、丹下健三のもとで清水市庁舎、図書印刷・原町工場(沼津市)、香川県庁舎を担当するほか、白百合学園(仙台市)や旭洋印刷社屋などを手がける。
1959年(昭和34年)には芝浦工業大学に転出、助教授に就任、後に教授。1973年(昭和48年)からは同校学長。 1974年(昭和49年)7月1日から翌年まで芝浦工業大学高校校長も兼任[3]。 1980年(昭和55年)に退職。
1961年(昭和36年)、大谷幸夫らと設計連合を設立。1963年(昭和38年)に国立国際会館設計競技に1等入選。その他受賞は第10回サンパウロ・ビエンナーレ銀賞ほか多数。
1964年(昭和39年)には、京都市から長期計画の委嘱を受けて、ヨーロッパ視察の機会を得、1966年(昭和41年)から京都市長期開発計画の委員となる。1970年(昭和45年)から2年間、日本建築家協会理事をつとめた。
代表作等
[編集]- 函館ラ・サール学園 1958年
- 城内学園 静岡県沼津市 1961年
- 宮津市庁舎[4](京都府宮津市) 1962年
- 天照皇大神宮教本部道場 1964年
- 史都計画・京都 1965年
- スペイン・ビルバオ市住宅団地計画 1962年
- 奈良教育大学 1966年
- 京都市北部清掃工場 1968年
- 京都市動物園放養式類人猿舎 1969年
- EXPO'70、マッシュバルーン、ダイダラザウルス駅舎、スナックシェルター
- 芝浦工業大学大宮図書館 1971年
- 桜井南地区再開発計画(奈良県桜井市) 1971年
- 勝川駅前開発計画(愛知県春日井市) 1971年
- 茨城県文化財保護計画調査 1972年
- マリンハウスフキ 1977年
脚注
[編集]- ^ “宮津市役所の建物に注目してみたら実はスゴイ名建築物だった!”. 宮津市. 2024年3月24日閲覧。
- ^ 沖種郎『出身県別 現代人物事典 西日本版』p366 サン・データ・システム 1980年
- ^ “本校の沿革”. 芝浦工業大学附属中学校・高等学校 (2021年). 2022年12月24日閲覧。
- ^ “宮津市役所の建物に注目してみたら実はスゴイ名建築物だった!”. 宮津市 (2021年2月25日). 2022年12月24日閲覧。
参考文献
[編集]- 新建築 1965年7月号、12月号
- 建築文化 1972年5月号、1962年5月号、1965年11月号