田中千里
田中 千里(たなか ちさと[1] / せんり[2]、1872年9月22日(明治5年8月20日)[2][3] - 1938年(昭和13年)2月11日[1])は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選県知事。
経歴
[編集]石川県出身。田中信吾の長男として生まれる[2]。第五高等学校を卒業。1906年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、内務省に入省し茨城県属となる[2][4]。
以後、茨城県警視・保安課長兼衛生課長、同庶務課長、青森県事務官・教育社寺兵事課長、長野県事務官・警察部長、広島県警察部長、神奈川県警察部長、千葉県内務部長、大阪府警察部長などを歴任[2]。
1921年5月、大分県知事に就任。県立学校新設、道路取締令細則の施行、内務部社会課の新設などを推進[2]。1923年10月、熊本県知事に転任。郡制廃止事業を推進。1924年6月、休職となる[5]。同年9月10日に退官[4][6]。その後、山陽中央水電 (株) 取締役、阪和電気鉄道 (株) 取締役を務めた[2]。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。