石黒建設
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | 日本 〒910-8540 福井県福井市西開発3-301-1 |
設立 | 1948年 |
業種 | 建設業 |
法人番号 | 1210001000522 |
事業内容 | 総合建設業 |
代表者 | 代表取締役社長 斎藤泰輔 |
資本金 | 5億円 |
従業員数 | 176名(グループ計209名) |
外部リンク | http://www.ishigrow.co.jp/ |
特記事項:出典→[1] |
石黒建設株式会社(いしぐろけんせつ、英: ISHI-GROW CORPORATION)は、福井県福井市に本社を置く総合建設業の企業である[1]。中部地方、関東地方、近畿地方を事業範囲としている[2]。
企業理念は「存在意義」「経営姿勢」「行動規律」の構成、開拓者魂は「難局に際しては 先ず腹をくくり 全てを投げ出し 事に体当たりせよ」、モットーは「たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ」(彫刻家、北村西望の座右の銘)[1]。
事業所
[編集]- 本社[1]
- 福井県福井市西開発3-301-1
- 支社[1]
- 支店[1]
- グループ(全額出資)[1]
- 石黒工建株式会社(富山県小矢部市芹川4048)
- 石黒住建株式会社(福井県福井市西開発3-301-1)
- 石黒興産株式会社(福井県福井市西開発3-301-1)
沿革
[編集]1887年(明治20年)、石黒兵太郎が東京・横浜視察で煉瓦造洋風建築に注目し、1893年(明治26年)、石黒と他2名が石動町(現・小矢部市)の新産業興しのため、煉瓦事業を開始した(翌1984年(明治27年)の日清戦争にて半年間休業)[1][3]。1895年(明治28年)には、石黒単独で煉瓦事業を存続し、『石黒商店』として創業した[3]。
1925年(大正14年)に合名会社となり、石川県に進出して県外に初進出、1930年(昭和5年)には『石黒合名会社』に改称、1937年(昭和12年)には、煉瓦部門を分離し『石黒工業』(現・石黒煉瓦工業)を設立した[3]。
1946年(昭和21年)、福井県に進出し、福井出張所を開設。セメント・陶器部門を分離し、中越産業(現・石黒産業)を設立した。1948年(昭和23年)、建設部門が福井市佐佳枝中町に本社を置く『石黒建設』、富山市に本社を置く『石黒土木興業』(現 前田建設)にそれぞれ分割された[3][4]。
1961年(昭和36年)、県内地元業者で初のRC造の新本社屋が福井市志比口に移転竣工した[3]。
1990年(平成2年)、新本社ビルが現在地に移転竣工。S造のインテリジェント機能を持つ社屋である。同時にCIも制定された[3]。