砥鹿神社

砥鹿神社

里宮 拝殿
所在地 里宮:愛知県豊川市一宮町西垣内2
奥宮:愛知県豊川市上長山町本宮下4
位置 里宮:北緯34度50分51.5秒 東経137度25分16.3秒 / 北緯34.847639度 東経137.421194度 / 34.847639; 137.421194 (本宮)座標: 北緯34度50分51.5秒 東経137度25分16.3秒 / 北緯34.847639度 東経137.421194度 / 34.847639; 137.421194 (本宮)
奥宮:北緯34度54分21秒 東経137度25分16.8秒 / 北緯34.90583度 東経137.421333度 / 34.90583; 137.421333 (奥宮)
主祭神 大己貴命
神体 本宮山神体山
社格 式内社(小)
三河国一宮
国幣小社
別表神社
創建 (伝)大宝年間(701年-704年
例祭 5月4日
地図
砥鹿神社の位置(愛知県内)
里宮
里宮
奥宮
奥宮
地図
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5 km
里宮
.
奥宮
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砥鹿神社(とがじんじゃ)は、愛知県豊川市にある神社式内小社三河国一宮旧社格国幣小社で、現在は神社本庁別表神社東海地方の総鎮守として崇敬される[1]

本宮山(豊川市・岡崎市新城市の境、海抜789メートル)の山頂に奥宮(豊川市上長山町本宮下)、山麓に里宮(豊川市一宮町西垣内)が鎮座する。

祭神

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祭神は次の1柱(里宮・奥宮同じ)[2]

歴史

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創建

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社記(天正2年(1574年)の「三河国一宮砥鹿大菩薩御縁起」)では、大宝年間(701年-704年)に文武天皇の時に天皇の病を鎮めるための勅使として草鹿砥公宣(くさかどのきんのぶ)が派遣され、本茂山(本宮山)の神を迎えて里宮が創建されたとする[3][4]

現在も砥鹿神社奥宮が鎮座する本宮山は東三河地方では中心的な孤峰であり、山中には磐座、山麓には古墳群の分布が知られることから、古代から山自体を御神体として信仰する山岳信仰の対象であったと考えられている[4]。また上記伝承に見える草鹿砥氏は砥鹿神社の旧社家で、同氏は穂別の後裔と伝えることから、かつて当地一帯を治めたとされる穂国造により奉斎されたと推測する説がある[3]

概史

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三河主要3神の神階推移
砥鹿神 知立神 狭投神
850年 従五位下 -- --
851年 従五位上 従五位上 従五位下
864年 従五位上
→正五位下
従五位上
→正五位下
従五位下
→従五位上
870年 正五位下
→正五位上
正五位下
→正五位上
従五位上
→正五位下
876年 従四位下
→従四位上
従四位下
→従四位上
従五位上
→正五位下
877年 -- -- 正五位上
→従四位下
一宮制 一宮 二宮 三宮

国史では、「砥鹿神」の神階嘉祥3年(850年)に従五位下、仁寿元年(851年)に従五位上、貞観6年(864年)に正五位下、貞観12年(870年)に正五位上、貞観18年(876年)に従四位上に昇叙されたと見える[3]。嘉祥3年条以外はいずれの記事でも知立神(愛知県知立市知立神社三河国二宮)と併記され、六国史終了時点の神階は三河国内では知立神とともに最高位になる。

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では参河国宝飫郡に「砥鹿神社」と記載され、式内社に列している[3]。また、『三河国内神名帳』では「正一位 砥鹿大明神」と記載されている[5]

中世以降は、三河国一宮として尊崇された(一宮としての文献上初見は文永元年(1264年)の訴状)[4]

戦国時代永禄年間には、付近に徳川家康の命を受けた本多信俊が一宮砦を構えて今川軍に包囲されたが、家康が寡勢で救援に駆けつけて多勢の今川軍を蹴散らし、砥鹿神社に宿陣したとも伝わる。また慶長7年(1602年)には、家康より朱印領として百石の寄進を受けた[6]

明治維新後、明治4年(1871年)には近代社格制度において国幣小社に列した[2]。戦後は神社本庁別表神社に列している。

神階

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六国史時代における神階奉叙の記録
  • 嘉祥3年(850年)7月1日:従五位下 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「砥鹿神」。
  • 仁寿元年(851年)10月7日:従五位上 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「砥鹿神」。
  • 貞観6年(864年)2月19日:従五位上から正五位下 (『日本三代実録』) - 表記は「砥鹿神」。
  • 貞観12年(870年)8月28日:正五位下から正五位上 (『日本三代実録』) - 表記は「砥鹿神」。
  • 貞観18年(876年)6月8日:従四位下から従四位上 (『日本三代実録』) - 表記は「砥鹿神」。
六国史以後
  • 正一位 (『三河国内神名帳』):表記は「砥鹿大明神」[5]

境内

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里宮

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奥宮

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主な祭事

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文化財

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愛知県指定文化財

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有形文化財[7]
  • 田峯の銅鐸(考古資料)[8] - 弥生時代。昭和50年(1975年)6月16日指定。
天然記念物[7]
  • 砥鹿神社のケヤキ[9] - 昭和47年(1972年)6月7日指定。
  • 砥鹿神社奥宮の社叢[10] - 昭和47年(1972年)6月7日指定。

豊川市指定文化財

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有形文化財[7]
  • 砥鹿神社西参道石鳥居(建造物) - 江戸時代、天保13年(1842年)の造営。平成25年(2013年)1月21日指定。
  • 砥鹿神社の和鞍(工芸品) - 室町時代。昭和63年(1988年)3月28日指定。
無形民俗文化財[7]
  • 田遊祭 - 平成10年(1998年)12月21日指定。
  • 粥占祭 - 平成10年(1998年)12月21日指定。
  • 火舞祭 - 平成10年(1998年)12月21日指定。

現地情報

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所在地

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里宮
愛知県豊川市一宮町西垣内2
奥宮
愛知県豊川市上長山町本宮下4

交通アクセス

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里宮まで
奥宮まで

脚注

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  1. ^ 豊川市 砥鹿神社
  2. ^ a b 神社由緒書。
  3. ^ a b c d 砥鹿神社(平凡社) 1981.
  4. ^ a b c 中世諸国一宮制 2000, pp. 124–125.
  5. ^ a b 『古事類苑 第9冊』(国立国会図書館デジタルコレクション)202-203コマ。
  6. ^ 現地案内板より
  7. ^ a b c d 豊川市の指定文化財一覧” (PDF). 豊川市. 2015年12月9日閲覧。
  8. ^ 田峯の銅鐸”. 愛知県. 2013年6月18日閲覧。
  9. ^ 砥鹿神社のケヤキ”. 愛知県. 2013年5月23日閲覧。
  10. ^ 砥鹿神社奥宮の社叢”. 愛知県. 2013年5月23日閲覧。

参考文献

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  • 「砥鹿神社」『日本歴史地名大系 23 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490239 
  • 中世諸国一宮制研究会編 編『中世諸国一宮制の基礎的研究』岩田書院、2000年。ISBN 978-4872941708 

関連図書

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  • 古事類苑』 神宮司庁編、砥鹿神社項。
  • 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、42頁
  • 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、247-248頁
  • 『愛知県の歴史散歩(下)』〈新全国歴史散歩シリーズ23〉、山川出版、1995年、175頁。

関連項目

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外部リンク

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