紀豊城 紀 豊城(き の とよき、生没年不詳)は、平安時代前期の人物。美濃守・紀善峯の子。無官位。 経歴[編集] 勝手気ままに振る舞う性格であったことから、しばしば異母兄・夏井から厳しく責めたてられた。これを苦にして豊城は大納言・伴善男の許へ身を寄せてその従僕となる。貞観8年(866年)に発生した応天門の変では、豊城は伴善男・中庸親子らと共に首謀者とされる。本来は斬刑に当たるところ減刑され、安房国への流罪となった[1]。 脚注[編集] ^ 『日本三代実録』貞観8年9月22日条 参考文献[編集] 武田祐吉、佐藤謙三訳『読み下し 日本三代実録 上巻』戎光祥出版、2009年