足立元春 足立 元春(あだち もとはる、生没年不詳)は、鎌倉時代の武士。足立遠元の子。通称八郎 。基春とも。左衛門尉 [1]。 略歴[編集] 源頼家や源実朝に仕えた [1]。『吾妻鏡』には1211年以降に元春の名が登場するようになり、この頃すでに遠元自身は子へと職を継ぎ、世を去っていたと推測される[2]。1212年には比叡山の僧兵らによって暴動が興っており三井寺が標的とされた。将軍源実朝が三井寺警備の命令を出した際に、元春が使者を務めた [3]。 系譜[編集] 子:足立遠親 参考文献[編集] 渡辺世祐・八代国治『武蔵武士』(博文館、1913年) 脚注[編集] ^ a b 渡辺 1913, p. 325. ^ “桶川市”. 2022年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月13日閲覧。 ^ “吾妻鏡入門”. 2022年3月13日閲覧。 外部リンク[編集] この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集