鄂隠慧奯
鄂隠 慧奯 (がくいん えかつ) | |
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正平12年/延文2年(1357年)- 応永32年2月18日(1425年3月8日) | |
諱 | 梵奯 → 慧奯 |
諡号 | 仏慧正続国師 |
生地 | 日本・筑後国 |
没地 | 日本 |
寺院 | 臨済宗 |
鄂隠 慧奯(がくいん えかつ、正平12年/延文2年(1357年)- 応永32年2月18日(1425年3月8日)、奯は(大+歳))は、南北朝時代から室町時代中期にかけての臨済宗の僧。諱は初め梵奯とし、のちに慧奯と改めている。字は初め鄂隠と称し、いったん大奯と改めたが、後に鄂隠に戻している。別号は関西。諡号は仏慧正続国師。出身は筑後国。
幼い頃に絶海中津に従って出家し、その法を継いだ。1386年(至徳3年/元中3年)に明に渡り、10年間滞在した後、日本に帰国。1414年(応永21年)に京都相国寺の塔頭鹿苑院の院主となったが、その後土佐国に隠遁した。