関町
せきちょう 関町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
廃止日 | 2005年(平成17年)1月11日[1] | ||||
廃止理由 | 新設合併 亀山市、関町 → 亀山市[1] | ||||
現在の自治体 | 亀山市[1] | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東海地方、近畿地方 | ||||
都道府県 | 三重県 | ||||
郡 | 鈴鹿郡 | ||||
市町村コード | 24361-2 | ||||
面積 | 79.88 km2. | ||||
総人口 | 7,277人 (2004年11月1日) | ||||
隣接自治体 | 三重県 亀山市、伊賀市 安芸郡芸濃町 滋賀県 甲賀市 | ||||
町の木 | スギ | ||||
町の花 | シャクナゲ | ||||
町の鳥 町の獣 | キジ シカ | ||||
関町役場 | |||||
所在地 | 〒519-1192 三重県鈴鹿郡関町木崎町919番地1 | ||||
座標 | 北緯34度51分17秒 東経136度23分28秒 / 北緯34.85483度 東経136.39114度座標: 北緯34度51分17秒 東経136度23分28秒 / 北緯34.85483度 東経136.39114度 | ||||
ウィキプロジェクト |
関町(せきちょう)は、三重県鈴鹿郡にあった町。2005年(平成17年)1月11日に亀山市と合併し、新しい亀山市となったため廃止された[1]。
中心地区である関宿は、江戸時代の東海道五十三次で、鈴鹿峠越えを控え、大和街道・伊勢別街道へ分岐する宿場町として栄えた。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、木崎村・関中町・新所村・古厩村・久我村の区域をもって関町が発足。
- 1955年(昭和30年)2月1日 - 神辺村の一部(大字小野字末藤・上門田・下門田・南会下・北会下・西野・長田・山神谷・栂木・東丸・西丸・走り下)・白川村の一部(大字鷲山および大字白木字一色・吉尾・石場・山田)を編入。
- 1955年(明治30年)5月 - 関町長に伊藤偉作就任。
- 1955年(明治30年)7月 - 関保育園完成。
- 1955年(昭和30年)4月17日 - 坂下村・加太村と合併し、改めて関町が発足。
- 1956年(昭和31年)8月1日 - 加太一ツ家を阿山郡柘植町に編入。
- 1957年(昭和32年)10月 - 関町長に伊藤茂就任。
- 1958年(昭和33年)4月 - 芸濃町の一部 (萩原・福徳/旧明村)を編入。
- 1974年(昭和49年)4月 - 観音山公園聖橋完成。
- 1974年(昭和49年)8月 - 坂下地区簡易水道給水開始。
- 2005年(平成17年)1月11日 - 亀山市と合併し、改めて亀山市が発足[1]。同日関町廃止。
行政
[編集]- 町長:清水孝哉
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]公共施設
[編集]教育
[編集]- 中学校
- 関中学校
- 小学校
- 加太小学校
- 関小学校