陶村 (山口県)
すえそん 陶村 | |
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廃止日 | 1944年(昭和19年)4月1日 |
廃止理由 | 新設合併 山口市、小郡町、阿知須町、平川村、大歳村、陶村、名田島村、秋穂二島村、嘉川村、佐山村→山口市 |
現在の自治体 | 山口市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方 |
都道府県 | 山口県 |
郡 | 吉敷郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 小郡町、秋穂二島村、名田島村、平川村、鋳銭司村 |
陶村役場 | |
所在地 | 山口県吉敷郡陶村(現・山口市陶2595番地 - 山口市陶地域交流センターの住所) |
座標 | 北緯34度05分22秒 東経131度25分50秒 / 北緯34.0895度 東経131.43053度座標: 北緯34度05分22秒 東経131度25分50秒 / 北緯34.0895度 東経131.43053度 |
ウィキプロジェクト |
1944年(昭和19年)4月1日に山口市などとの新設合併で消滅した。現在は山口市南東部の一地域となっている。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、近世以来の陶村が単独で自治体を形成。
- 1922年3月 - 京都における全国水平社の創立大会に柳井伝一、下枝主税、森岡数雄の3人が出席し帰郷の後、山口県水平社の結成をめざす活動を開始した[2]。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 山口市・大歳村・平川村・秋穂二島村・名田島村・小郡町・嘉川村・阿知須町・佐山村と合併し、改めて山口市が発足。同日陶村廃止。
政治
[編集]1929年出版の『郷土の誇り 山口県々勢 第3輯』によれば、村長、助役、村会議員は以下の通り。
- 村長
- 田村種之助[3]
- 助役
- 吉武雄次[3]
- 村会議員
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(以上定員12名、1名村長兼任)[3]
人口
[編集]1919年出版の『日本案内 正巻之中』によると、戸数500余、人口3000余[4]。
経済
[編集]産業
[編集]主生業は農業だが、粘土質の土地が多いため古来土管・瓦等の製造が盛んである[1]。また牛皮獣肉の産に富む[4]。
- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、陶村の篤農家は「西村勝平、光永貞治郎」などがいた[5]。『郷土の誇り 山口県々勢 第3輯』では村会議員や村長をつとめた田村種之助を「極めて温厚な篤農家」として紹介している[3]。
- 商工業
医療
[編集]- 医師
現況、その他
[編集]合併後は山口市の南東部の一地域(陶地区)となり、市の地域交流センターが置かれている。
出身・ゆかりのある人物
[編集]政治・経済・行政
[編集]- 田村種之助(農業、政治家・村長)[3]
- 吉武雄次(役場書記、助役)[3]
- 柳井政雄(部落解放運動家、実業家、政治家、ヤクザ) - 小郡大正町の小郡商事代表者。柳井等の兄、ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長柳井正の伯父にあたる。
- 柳井等(実業家) - 宇部でメンズショップ小郡商事を創業。柳井正の父。
その他
[編集]- 下枝主税 - 山口県水平社創立に尽力。
- 森岡数雄 - 同上。
- 柳井傳一 - 同上。柳井政雄の叔父、柳井正の大叔父。
脚注
[編集]- ^ a b 『日本地名大辞典 第4巻』3526-3527頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月29日閲覧。
- ^ 山口県の部落問題について 近代、部落解放同盟山口県連合会。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『郷土の誇り 山口県々勢 第3輯』63-64頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月22日閲覧。
- ^ a b 『日本案内 正巻之中』1165頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月27日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』162頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月22日閲覧。
- ^ a b 『山口県商工人名録』127-161頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月26日閲覧。
- ^ a b 『大日本医師名簿』380頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『山口県商工人名録』山口県内務部、1910年。
- 開国社編『日本案内 正巻之中』開国社、1919年。
- 高崎雅雄編『大日本医師名簿』光明社、1925年。
- 山口県勢刊行会編『郷土の誇り 山口県々勢 第3輯』山口県勢刊行会、1929年。
- 日本書房編『日本地名大辞典 第4巻』日本書房、1937-1938年。