高橋康順
高橋康順(たかはし こうじゅん、1891年〈明治24年〉- 没年不明)は日本の農商務・商工官僚、満州国官僚。
経歴
[編集]1891年、秋田県仙北郡金沢村で平民[1]・高橋兵蔵の長男として誕生[2]。第一高等学校を経て[1]、1914年、高等文官試験に合格・1916年に帝国大学仏法科を卒業[2]。
農商務省に入省し、商工局に配属される[1]。臨時産業調査局事務官 農商務事務官、鉱山監督局書記官、特許局事務官、抗告審判官、商工書記官、鉱山局鉱政課長、臨時産業合理局事務官、大臣官房文書課長、東京鉱山監督局長、特許局事務官審判部長を歴任し、1933年退官[2]。満州国に招かれ、実業部理事官、総務司長兼特許発明局長兼臨時産業調査局長、1933年6月21日から1936年8月25日まで実業部総務司長を務め、1936年8月25日から10月まで次官に相当する実業部次長と総務司長を兼ねた[2]。1936年10月、満州生命が設立されると、理事長に就任。その後、満州発明協会理事長、満州油化工業理事長、新京商工会副会長、満州国協和会中央本部参与を務めた。
1943年6月満州国参議府参議に任じられた。
1945年8月にソ連の赤軍に逮捕され、シベリアに送られた[3]。中華人民共和国が成立すると中国に引き渡され、撫順戦犯管理所で病死した[4]。
親族
[編集]その他
[編集]宗教は禅宗。趣味は旅行、読書、園芸[2]。
関連項目
[編集]- 岸信介…農商務省・商工省の後輩で、渡満し満州経営に携わった。のちに内閣総理大臣を務めた。高橋の次代の産業部次長(産業部は実業部の後身)
- 撫順戦犯管理所
- 佐々木到一…陸軍中将。第24回国会海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会で高橋と共に言及されている[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。
- 戦前期官僚制研究会 編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』秦郁彦、1981年。
官職 | ||
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先代 初代 | 実業部次長 1936年 | 次代 産業部次長 岸信介 |
先代 松島鑑 | 実業部総務司長 1933年 - 1936年 | 次代 岸信介 |